2014.01.31 Friday
沖縄の冬
しばらく我慢していたのに、財布のひもが緩んでしまった。
また、あるものの再利用で、我慢しよう。
この1月の消費の冷え込みは、こんなところか。
そういえば、せっかくあつらえたスーツも、引き取りに行っていない。
何を写しても面白いが、昔から、農機具を写している時が一番楽しい。
やっぱり、農業に対するあこがれみたいなものが潜在的にあるのか、
先祖からの、農具の鍛冶屋だった血がそうさせるのか、作物を写しているより心が躍る。
なぜそこまでして沖縄にこだわろうとしているのかというと、
地球は今から【 マウンダー極小期 】のような小氷河期が来るのではと思っているからなんだが、
今回の沖縄産地訪問で、やっぱり、もっと念のいった作戦への変更を考えさせられてしまった。
沖縄での南瓜栽培は、15年ほど前から復活し始めたが、復活というにはその根拠があり、
ひょっとすると、地球の温暖時期と寒冷時期との符号が一致するのかも知れない。
で、その作戦変更のオプションとして用意していた出張が、再来週に控えているが、
いや、きっとそうなると思えてきた。
2014.01.25 Saturday
チェーンオイル
今年の冬は、最近になく暖かいと思っている。
先日、志賀高原のリンゴ農家の定期訪問を受けて、
「 でも、ことしは暖かいやろ 」と聞くと、
「 自分が経験する冬で、初めてくらい寒い 」と言う。
「 いくつよ 」と聞くと「 58 数えで 」だと言う。
若く見えるけど・・、と思っていたが、ほとんど自分と変わらないとは思っていなかった。
高知に行って、同じことを聞くと、同じように「 ひゃっこい 」と言う。
おかしいなあ、と思って、宮崎に行って聞くと、やっぱり同じ返事を聞いた。
信州でも、四国でも、九州でも、寒い らしい。
今年の冬は、面倒で薪の用意が出来ていない。
しかたが ないので、数年前に倒してあつた樹を引っ張り出して来て、
切る事にして、チェーンソーのエンジンを数年振りに掛けた。
マフラーを焼こうと思ったが、固定しているネジが持っている道具では合わない形状なので、
あきらめた。
ゼノアは、なんで、ここだけ特殊なパーツを使うんだろう。
ハスクバーナは、重くて自分の腕力では扱いにくく、ゼノアを買い足して、
これはいいや、と思っていたが、やっぱり、どこかに不都合はある。
マフラーに煤が溜まって、エンジンの出力が落ちていて、堅い樹がなかなか切れなくなっている。
気に入っている、樫の木は硬くて斧では割れないので、縦挽きをするのだが、だから余計に切れない。
チェーンオイルは、ようやくいいのを見つけて、それで箱で買ってある。
いつのまにか 3個使って、見てみると、残り3個になっていた。
2013.07.31 Wednesday
温暖化? 寒冷化?
いっぱい心配事はあるが、この「 地球寒冷化 」もそのひとつ。
北海道の稲作も、食味の向上著しく、既に輸出に向けて動いていると聞いているが、
私の記憶では、この10年ほど毎年同じ天候不順を聞いていて、最初に気づいたのは小豆島に通い出した年だった。
だから、もう7年前の事になるが、帯広の和田農園さんと夏前に、その年の状況を聞いた時に、春が遅く、
春が来ても、陽が差す日が少なくて、やっぱり不順だと言われ、その時に応えた私が、
「 そういえば和田さん、この2〜3年毎年同じ事を言われていませんか。気候が そういう周期に入っているんでしょうか 」
それ以来、どうも日本の東半分というか、北半分というか、少し気候が変わり始めてるんじゃないか、
そう思い始めた。
それでも、野菜は、どこかで帳尻を合わせて、ちゃんと時期になると出荷されてくるから、
不思議というか、品種の改良も進んでいるんだろうけど、「 作っている農家は大したもんだ 」っていうのが普通になっていた。
ひとが支配し、支配されることがこの社会の掟であるならば、エネルギーと食料と、
今であれば情報を、支配する事が一番手っ取り早い。
この社会において知識人たらんとして、その操りから逃れて生きてきたつもりで、
その時々の思いをネタにして、それを価値として商品に盛り込み、仕事をしたきた。
その思いの進化こそが、会社の立脚点であり、継続の力となってきた。
食品添加物だらけの美味しくない食べ物や、特定の要素だけの化成肥料で形だけ整えた野菜は、
気の利く方なら、誰も基礎的には敬遠して、本来の食べ物を選ぶ事が、少数派といえども一般的になっている。
マクロビオティックには、判断力に七つの段階があるという。
根源的に疑う事をせず、そこから情報を集めようとしない不思議さがある。
国が、安全と言えば、そうではないのじゃないかと思うけれど、危険と言われれば、そうではないのじゃないかとは、疑わない。
会社のサーバーのバックアップ機能が、「 閾値を超えたために停止していた 」 と中澤が昨日言っていたが、
白と黒の間に灰色があり、灰色を認める事で生きながら、その閾値を探る事が短絡から抜け出る事につながるのかな。
温暖化になるのか、寒冷化するのかそれは分からないが、その備えはしておく方がいいような気がする。
2013.06.06 Thursday
本気になれるか
地球温暖化と産業熱との因果関係には、とっくに決着がついていると思っているが、
4〜5年前に、会社の中澤にそんな事を言っていて、その頃にその話を聞いて買ったらしい。
入社の、動機通りに仕事の対する熱を持続しながら就業していけるには、どういう会社でなくてはならないか。
そんな話をしていて、ふと、身と時間を割いていけるだけの「 納得の事実 」が必要だと思った。
先に行って、今の事実が事実じゃなかったと判明しても、そのこと自体は問題ではなく、
今の事実を、どこまで真に事実と思えるかどうかで、
既に疑わしいものに落ちているにもかかわらず、
邁進しろと言われれば、やっぱり二の足を踏んでしまうだろうから、
会社としての思想は常に磨いていかないといけないんだろうな。
衣食足りて、「 知 」へと向い、その知の結果として「 公平 」の実現に向かうべきところが、
「 不安 」や「 恐怖 」 から逃れる手段に利用されるだけなら、新たな価値を創造する事も無い。
不安や恐怖の解決を内包しながらも、より根源的な事実の発見に力を注ぎながら、
なされるべき時をじっと待つ しかないんだろうか。
2009.02.06 Friday
インカの目覚め
ここを全面耕して、インカの目覚めを栽培する。
しかし、暖かい冬である。
今日は、朝からT-shirtの上に薄手のフリースだけで、作業を始めた。
それでも、汗ばむ。
暖冬を『地球温暖化』と言葉を置き換えてもいい。
でも、これだけの暖かさを、
『人間が輩出している二酸化炭素の由来に因る』
は、少々無理があると思う。
『他人(ひと)のせいにするのも、ほどほどにせい』と叱られたが、
『大きな声で繰り返せば通る』と思っている子供に似ている。
前回、スルスルと樹に登る箭木さんに、
『きっと、猿が樹に登るのを研究してるんやろ』と思っていたが、
何もつかまる所の無い樹は、最初、樹に梯子を掛けて登っていく。
この梯子の掛け方が、実にいい加減である。
私なら、慎重に慎重にがっしり安定するように掛けるのだが、
箭木さんはちょっともたれさせるだけで、直ぐ登り始める。
バランス感覚というのか、大げさに言えば、
重力の方向に対する感覚が、身体に染み付いているとしか思えない。
綱渡りの曲芸師に、似ていると思った。
こういうバランス感覚で、社会や世界を見ていれば、
圧倒的な力関係の前に、如何ともし難い事はあろうとも、
抑圧は、最小限にかわせる筈だとも思う。
我が家で一番最初に咲く、この梅ともオサラバしなければならない。
この間、随分と樹を切ってきた。
御覧のように樹に囲まれてるという以上に、樹だらけのところである。
上の画像の中だけでも、梅の樹だけで、7本もある。
畑を作るためといえども、樹をこれだけ切り倒すと、
段々、心が沈んでくる。
上だけ切る樹もあれば、根こそぎユンボで起こす樹もある。
この地で長年営んできている命を絶つのである。
私に何も影響ない筈が無い。
唐辛子が影響を受けた巨木も、このような姿になった。
モニュメントみたい。
サボテンみたい。
トーテンポールみたい。
『顔、彫ったら』って英さんが言ってた。
ここで、残る樹は、この樹の右一番奥にある桜だけ。
少々未練たらしいが、此処に来た時の春は『桃源郷』かと思った。
清水が『此処を全部畑にする』って言ってたけど、
『それは勘弁してくれ』って言っていた。
『花より団子』『花より畑』にする。
『森を守ろう』、それはその通りである。
しかし、ちと寂しい。
2008.08.01 Friday
【Madonna】三昧
小豆島のリビング
Boseのスピーカーの話は以前書いた。
http://video.msn.com/video.aspx?mkt=ja-jp
『小豆島は私が思うに、日本という島国の縮図である』
これは、私が昨年1月にこの島に入植して、最初に持った印象である。
但し、ここはまだ昭和を生きている気がする。
きっと世界が激変しても、しばらく気付かずにいるだろう。
そんな気がする。
もっとも、日本という国も世界で何が起こっているかも気付かずにいる。
グローバル化の第二幕開けと成った明治維新も、
役どころの外にいた藩は、西南戦争が終結する頃に、
ようやく事態に気付いたのかもしれない。
人造国家北京がアフリカ大陸で何をしようと、
CO2問題がそれを助長しようと、
とりあえず、テレビが物を言わない限り知らん振りである。
太陽光発電、鹿除けの電線には有効、一車線規制の信号機には有効。
電力量も調べてみると面白い事が分かるかもしれない。
勘でしか相変わらず物を言えないが、パソコンのモニター位のパネルの大きさで、
1台のパソコンを動かすのが精一杯なのでは。但し、晴れの昼間だけ。
原油価格は当の昔に下がってきているのに、
明日からレギュラーガソリンは¥180/Lと言っている。
来週辺りからは急激に下げた反発で少し上昇するかな。
少々の金儲けと世界の混乱が狙い。
まだ、修正のチャンスはある。
私の周りに最近、お金の亡者が増殖してきている。
という事は、本人が気付いていないだけで私がそうなっているのだろう。
金融に付いて書いている本を何冊買っても、最後まで読めずに積まれていくだけ。
何、にしろ、行動を積み重ねて事を成していく本は、きちっと最後まで読みきれる。
画像のフェルメールの前の本、『改正 西国立志編』=原名:自助論。
私の父親:徳治郎の蔵書を1ヶ月法要の後、貰ってきたものである。
BOSTON REDSOXの松坂が、甲子園で投げていた。
母親によって傷んだ所を修理してある。
『SELF HELP』 by SAMUEL SMILESとある。
司馬遼太郎の文で、
『明治時代の若者のバイブル』となった本である、とあったのを記憶していた。
父親は明治44年生まれだから、この本は昭和の初期位に読まれたと想像している。
中は赤鉛筆で丁寧に線を引き、「 」を付け、理解に務めたのだろう。
西洋の書を文学博士:中村正直が訳して出版している。
大正4年初版、この現物は第32版大正8年とある。
だから、父親は京都辺りの古本屋で買ってきたのだろう。
『端に出て そばに祖母なき お月さま』
幼少の頃に両親を亡くし、おばあさんに育てられた父親が、
祖母、私の曾婆さんになるのだろうが、亡くして、
縁側からひとり月を見ていた事を思い出して、
後に詠んだ句と思っている。
先日、姉が母親の代わりに、この小豆島を訪ねてくれて、
ふと、父親を思い出した。
2008.07.17 Thursday
CO2
中国自動車道名塩トンネル
【CO2排出権取引】が、意外に評判が良かったので、二番煎じである。
前回画像は右カーブだった。どっちでもいいか。
繰り返しテレビに映る氷山の崩落は、
WTCビルの崩壊と似ている。
CO2濃度と気温上昇との因果関係を、きちっと調べてみた記憶が無い。
『宗教は事実かどうか疑わしいが、科学は事実である』
何処かでこんな図式が、私の頭の中で出来上がっている。
実は宗教も科学も自分で確かめようなんてない。
数学も私のレベルでは肌で感じることはできない。
唯一、因数分解は何となく分かるような気がする。
昔、真田雪村の上田までの野球帰り、
【先輩M】に、私は算盤2級だと言うと、
『38×25は幾つだ』と聞かれた。
『(40-2)×25』と応えた。これだと暗算できる。
『38×(100÷4)』も暗算しやすい。
これはウェーバリー課長似の数学先生が授業中、
中1の時で教えてくれた。
【先輩M】もコツコツとは違う次元を言いたかったのだろう。
何でも自分で確かめていては前に進めないし、
それ以上に信じることは大事なことである。
私は自分の母親は、お袋であると信じている。
母親にとっては事実でも、私にとっては生まれてきた記憶が無い。
かといって、いつの間にか信じてしまっている事も多い。
特に科学的な事は信じ込みやすい。
ノンフィクションって言葉もフィクションから派生した言葉であろうに、
この【ノン】って冠頭語?冠詞?もよく分からない。
後半を否定したら別な意味になってしまう。
怪しげな映画で覚えた単語だが、DEPENDとINDEPENDみたいなもの。
白じゃなくても、黒かどうか分からない。
今は地球の歴史上で、さほど重大な局面ではないのでないか。
こういう仮設も必要だ。CO2の事だ。
食糧生産である農業では、雲がもたらす雨が必要である。
雲が少ないと太陽光線が地表に多く降り注ぎ、
植物にもっとも必要な光合成が活発になるが、
雲が少ないと旱魃になる。
こういうシンプルさで考えると、
気温は太陽活動の量と、雲の量の多少が、
大きな要因といえるではないだろうか。
今回のテーマは、二酸化炭素と気温の相関関係である。
雲が少なく気温が上がるから、二酸化炭素の量が増えるのかもしれない。
人為的に二酸化炭素が増えたから温暖化ってホントかな。
人間なんて宇宙から見たらちっぽけな存在で…って教えられてきたのに、
いつの間に、ちっぽけな存在の60億が地球に温暖化をもたらすまで、
巨大になったのだろう。
現在CO2を排出している人口は勘であるが、半分以下じゃないのか。
残りの半分、60億が全員CO2を排出したところで、
そう大して地球に影響があるとは思いにくい。
2008.06.09 Monday
CO2排出権取引
高速道路
名神高速道路・山陽自動車道・播但道・姫路バイパスの、
自動車専用道路を使用して高槻と小豆島を毎週往復している。
その距離にして約110km、最近は渋滞も無く順調に流れている。
私は目前が空いていればそれなりのスピードで走るし、
隣の車線が空いていれば隣に移ってでも前に進む。
道中1時間強掛かるので道連れがほしくなる。
その日の自分のペースに合った車を見つけると後ろを着いて行く。
前の車が嫌がって横に退くとそのまま前に出る。
大概の車はその後着いて来てくれる。
前に出たり後ろに下がったり、お互いに一緒に行こうという、
ゆったりした気持ちが通ってくる。
ところが違うタイプの車もある。
とにかく張り合うことが好きなんだなと思えるタイプ。
つまり競争のような。
これは疲れるし危ないので別々に行くことにしている。
画像は山勘で3回シャッターを押したうちの1枚である。
この車はスピードも上がるが、距離に対する燃料効率も低い。
きっとCO2も撒き散らしながら走っていることだろう。
先日、見たことも無いベンツに乗っている方曰く、
「CO2もあまり出ない車は乗っていても面白くない。
人は言ってる事とやってる事が少々違ってもいいんだ」と、
何やら後ろめたそうだった。
私がプリウスに乗り換えてCO2の排出量を削減し、
彼の乗る車が吐き出すCO2の量をカバーする。
その関係を金銭で解消する。
そうすると彼は心置きなく楽しめる車に乗ることが出来、
私にはお金が入ってくる。
これがCO2の排出権取引だと思うのだが、
では、そのレートは誰がどのように決めるのだろう。
私と彼とのルールは二人で決めればよいし、
そのトータルは必ずゼロになる。
しかし、京都議定書以来の取引は、どうなっているのだろう。
支払った側と受け取った側のトータルはゼロに成るのだろうか。
影も形も無いところからお金が生まれるあたりは、
何だか利息や税金に似ている。
これも何処かで消えていくルートがあるのだろうか。