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2008.08.30 Saturday

ヘルプ長岡店リニューアルオープン



長岡店

弊社の早くからの顧客で『HELP』という会社がある。
この会社の社長との付き合いも私が38歳の時だったから、
もう17年になる。
何故覚えているかというと、草野球を始めた時が、
5月生まれの私が39歳になった直後だったからである。

仕事の関係で社長と枚方の酪農牧場で一緒になった。
『お前は会社を作って何がしたいんや』と聞かれ、
『野球チームを作りたい』と答えた。
『野球が好きなのか』と聞かれ、
『小学校の頃は飯も喰わずに野球をしていた』
『わしは2チーム持ってるぞ』
で、野球の話になった。

何やかやで、牛乳は取引成立した。
それは、京都には京都生協しかないので、
もうひとつ別な生協を作ろうとされていた当時のLコープ。
その生協に牛乳を入れる事になった。
この牛乳は8月8日のblog『伊吹牛乳』で書いた『太田牧場』。
その後の経緯は記憶していないが、牛乳が始まって間もなく、
『太秦にHELPの○○が居るからお前の商品を営業して来てくれ』と言われ、
それ以来HELPさんは上得意である。

結局、社長の野球チームに入り、私の13年に及ぶ野球人生が始まる。
始めた頃私はバットは指で握って、手の平に巻き込むのだと思っていた。
ユニホームの着方すら知らなかった。
『吉田、1本のヒットを打つ事より、1個のエラーを無くせ』
『お前の1本のヒットが1点に結びつく確立より、
1個のエラーが1失点に結びつく確立の方が高い』と教えられた。
多い時は社長と二人で朝からバットを担いで、
週に3日位野球をしていた時期もあった。
入っているチームに試合がないと違うリーグに、
社長の顔で飛び入り参加するのである。

社長とは本当に仲良くしてもらった。
仕事の話は年に何分するかという程度だった。
お互い身体がイメージ通りに動かなくなったことも手伝って、
野球に対する熱が冷めたのは、この3年ほど前である。
毎年信州まで試合に行ったし、名古屋ドームにも何回も行った。
野球を辞めてからは、会う機会もめっきり減り、
年に2回程度しか会わなくなってしまった。
そういえば、タイに何度も一緒に行ったし、
アメリカにもヨーロッパにも一緒に行った。
愉快な道中だった。
互いにセンスは違うが私の一番の理解者だと思っている。

前日に『明日は長岡店さんのリニューアルオープン』と聞き、
ひょっとすると社長が来てるかも知れないと思い、
開店に間に合うように出かけた。
着いて、何となく裏から入ろうと回ると、
駐車場に社長の車を発見、『いるなっ』と思った。
裏でタバコを吸っていた。実に久し振りである。
『えっ、どちらさんでしたっけ』と言われてしまった。
『オープン時だけ付き合うからちょっと待て』と言われ、
正面に回って写真を撮っていた。

開店して5分で手持ちぶたさになって、
画像の右下、傘を差してもらっている社長に、
『もう上に行こうな』と誘って社長室に行った。
『この建物も、たばこ吸えるのはワシの部屋だけや』
二人で灰皿を探したが見つからず、
紙の皿に水をはって持って来てくれた。

この建物で社長がしているのは、
1階の食料品販売、2階で語学学校・リンパマーサージ。
淡路島では乗馬倶楽部もやっている。
私のいる小豆島からは淡路島の南端が見えるし、
淡路島の乗馬倶楽部からも小豆島が見える。
二人でトラクターがどうの、チェーンソーがどうの、
船を二人で買って、船で行き来しようの。
この数年で二人の話題は随分変わったが、
兄貴と弟のような関係は今も変わらない。
あっという間に11時半になってしまって、
『さあ、今から小豆島に行ってくるわ』と出てきた。


2008.08.27 Wednesday

栗ゆたか南瓜 定植7日目



成長度平均の苗

いよいよ島での農業も本気モードに突入する。
今回は2反栽培するつもりであったが、苗の調子が振るわなかったので、
私が1.5反、英さんが0.5反の計2反の栽培となる。
今までは、とりあえず味も量も一人前を目指していただけだったが、
この作から、採算を考慮に入れてコスト計算を始める。

画像?は散水チューブで水遣りをしているところだが、
これも、作業効率を上げる為にした仕掛け。
この島ではどうしても乾燥するので、夏の苗は散水が必要である。
今日のテレビで山火事の画像が出ていた。
他人事ではなく、小豆島も降雨量が極端に少ないので、緊張して見ていた。
38時間延焼を続けているのに、ヘリコプター10機とは。

相変わらず一人そっぽを向いている苗がある。
でも、この苗を見ていただくと、徒長ということが良く解る。





その徒長部分が割れている苗を発見と、今日連絡があった。
枯れているのは双葉。現物を見ていないので何とも言えないが、
こんな症状は初めてなので、原因も解らなければ、
当然対処の仕方も解らない。
このblogを見られた方で御存知の方は、是非御指導願いたい。
現在1,000本中の4本らしいが、明日以降増えるようなら、
土を薄く被せてみようかと思案している。


2008.08.26 Tuesday

横浜



カフェ1


カフェ2

ここは、横浜。中華街も近くにあった。横浜スタジアムも近い。
木立も、私の小豆島の家に負けないくらい立派な樹があり、世話が行き届いている。
画像は洋菓子屋さんのテラス。
『ムーン・ジャック』って空海を想わせる豪快なネーミングの菓子があった。
私が飲んだカフェラテは780円だったと思う。
商談の興奮を此処で鎮めている。
途中で水を足しに来てくれた姉さんに、
『興奮してて、静まったら帰るから‥』と言ったら笑ってた。
関西の質の低いギャクでも通用した。

中川もいい付き合いをしている。
商談相手の商品部長さんは実に愉快な人であった。
中川が以前の職場で取引していただいていたそうだ。
気持ち良く話をさせてもらって、随分色んな話をした。
もっとも、代表取締役の名刺を出しているのに、
『社長ですよね』って確認をされた。
年商800億以上のスーパーがあり、上場のコンビにもあり、
そのグループの商品部長さんから見れば、私は‥‥。
いくつから『自分の顔に責任を持つ』んやったかな。

ともかく、中川はマロン南瓜、私はもちぶたを提案させてもらった。
どちらも、念のいった商品である。




新幹線の密室

新幹線の喫煙室。
ここで吸ってもあまり美味しくない。
でも、利用者は多い。
『カシャッ』というシャッター音に同室の男性が訝しい目で私を見た。
『灰皿を写したんです』って言ったら、にこって落差のある笑顔を見せた。
今年になって2度首都圏に新幹線で行った。
私も普段は飛行機を利用する。
飛行機も、利用し始めた頃から比べると、随分混むようになった。
新幹線を利用していた人が飛行機を利用するようになったんだと思っていた。
ところが、朝7時台の京都駅のホームは凄かった。
6〜7分間隔で新幹線が入ってくる。
車両はどの便も7割程度埋まっている。
新幹線は飛行機の比じゃない位人を運んでいる。
シートの横には、PC用のコンセントも付いている。
正直、日本て国はみんな忙しいんだと思った。


2008.08.24 Sunday

もちぶた営業



とんてき

久し振りに『商品作り』という事を思い出した。
そういえば忘れていた。
確かアルファーも商品作りを旨としてスタートした筈だった。
私の出会う生産物を素材として、如何に商品に仕立てていくかが真骨頂であった。

フード生田さん、楽しそうである。
専務を尋ねて店舗に入ると、精肉売り場で『とんてき』を陳列されていた。
如何にも美味そうである。肉の正体は『肩ロース』。
豚肉では一番好きな部位である。
赤身と脂が適度に混ざり合っていて、味がある。

白い一押しメニューは、
『この豚肉にタマネギスライスを乗せて、アルミホイルで包んで30分間熟成する。そのままフライパンに乗せて弱火で蒸し焼きにする。火が通った頃アルミホイルから出し、強火で両面焦げ目を入れる。これで、タマネギの酵素が豚肉に染み込み驚くほど柔らかく仕上がります』と書いてある。
1枚200g近くに切ってあり、ボリューム満点。しかも通路に、はみ出す勢いである。
よく見ると、包丁で切れ目をたくさん入れてあった。
生田専務の『こちらにどうぞ』との言葉を遮って、
『写真を撮らせてもらってもいいですか』って言ってしまった。




スペアリブ

中断左はスペアリブである。
全体に商品が踊っているように見えて、誇らしげである。
ブランド名は『クィーンズポーク』だったように思う。間違っていたらごめんなさい。
これは、買い物が楽しくなりそうだ。
この方に私は、もちぶたを営業しているのである。
クィーンズポークと競争しようというのではない。
私は生田専務に『もちぶた』を使って商品作りをしてもらいたくなった。
そのようにお願いした。
此処で見た商品作りを、競合地域でない他店に、紹介しても良いか頼んでみた。
専務曰く『うちも、他店のいいとこを盗ませてもらう。だからいいですよ』と言ってもらった。




イクタのミルク

商談が終了し、店舗に戻って買い物をした。
今回は店の隅々まで見させてもらった。
牛乳は安い。微笑ましいパッケージデザイン。上手い。
買ってみたくなる商品がいっぱいある。
とんてきも買って帰って、レシピ通りに調理した。
表示通りに柔らかく、美味かった。


2008.08.18 Monday

栗ゆたか南瓜の定植



定植作業

結局マルチは剥いだ。
剥いだマルチの下を20cm位の定植溝を予め掘り、
苗を30cm間隔に定植していく。
今回は苗を徒長させてしまったから深く植えた。

左で作業をしているのが、新入社員の星卓馬君。
履歴書にはのびのびした字が書かれている。
農業経験はないが、農場のマネジャーを目指してもらう。
『一条30mで、株間が30cm、7条定植するから、
1分で2株定植できるとして、3人で2時間位で済む』と。
『そういう風に計算して計るんですね』
『目安としてな』
私は計算が好きである。
麦藁帽が2日で似合い始めた。

右は勝さん。
『牛に鋤を引かせていた』って話だから、大ベテランである。
当社では、もう一年になる。
被っている帽子は、中川が自分の帽子を買うついでに、
勝さんにプレゼントで買ってきた。

冬至用は、寒くなるのに成長が間に合わないから、親蔓1本で仕立てる。
散水して濡れている畝は画像の左側に蔓を伸ばす。
その隣の畝は右側に蔓を伸ばす。
間が通路となる。
従って、今二人が植えている畝は左に伸ばしてくる。
その間が約8m。
株元から大体1.5m〜2.0mのところに実は成る。
今週収穫した夏作の南瓜は平均2kgになったが、
冬作はどうなることやら。
去年は平均で1kgにしか成らなかった。


散水チューブ

で、植えた苗がこれ。
散水は1畝15分から20分くらいしている。
同時に2畝散水できるようにした。
でも、真夏の太陽には焼け石に水の様でもある。
今週一週間はたっぷり水をやる事にしている。
そこから、着果するまでは水をぎりぎりにして、
着果から25日間の肥大期には、またたっぷりの水をやりたい。
着果予定は9月15日位と思っている。
それからは、実が肥料を吸える程度の水にする。
11月の5日〜15日頃に収穫を始められる予定。
とりあえず今回はそんな算段でいる。

2008.08.18 Monday

育苗


今日は夏作の南瓜を全て収穫した。
予定より、1ヶ月遅れである。
2本仕立てにすると、こんなに遅れるとは想定外だった。
季節にも因るのだろうが、何より2本に仕立てる方法を知らなかった。
自然と脇目が出てきて、それから芯を止めるのだと思っていた。
そうではないらしい。
芯を止めたら脇目が出て来るらしい。
そろっと愛嬌では済ませなくなってきた。


播種7日

ところが、次回冬至用の育苗も失敗している。
播種からこんなに早く芽が伸びると思わなかった。
金曜日に播種して、次の金曜日に島に戻った画像が上。
もう徒長している。
徒長させるとエネルギーロスを起こす。
ひ弱に成ってしまう。
今から、去年同様必死になってやらないといけない。


マルチの下の散水

画像はマルチの下に敷いたエバフローから散水している様子。
このマルチに穴を開けて定植する予定であった。
しかし、この穴に手を突っ込むと中はサウナ状態であった。
もちろん、穴を開けて定植する訳だから、苗はサウナの中にいる訳ではない。
しかし、心配である。
この部分は草取りしなくて済むし、
冬に向かうからマルチで地温を維持した方がいいに決まっている。
迷う。
当然マルチ自体が熱を持つ、その上を蔓が這うのである。
今日の炎天で明日から秋だといいが。
マルチを張った理由は、ふたつ。
ひとつは菌帯米の分解促進&鳥害対策、
もうひとつは散水の手間を省く。
この二つは解消できた。
やっぱり取る事にしよう。

2008.08.15 Friday

都会の熱



高槻の夕焼け

会社からの帰り、画像の下の雲が広範囲に焼けていた。
月を交差するように飛行機が飛んでいて、実に劇的であった。
自宅に帰ってきたら、また違う雲が焼けたいた。
会社でも中川が『今年は秋が早そう』と言っている。
私も同感である。月初めに小豆島でそう思った。
こういう季節感を共有できることは嬉しい。

今年はどうした訳か冷房を欠かせなくなった。
冷房は勿論好きではない。
私は38歳の時、会社の事務所を拡張した。
その工事現場を見に行った時、内装の内張り材(石膏ボードと思う)や、
色んな木材の埃で鼻をやられてしまった。
以来、空気中の微粒子と冷気に鼻が過剰反応をするようになった。
夏は仕事にならず、出る鼻水を強制的に止めるため、市販薬を使うようになり、
この副作用で、せっかく親が付けて生んでくれた歯を失うことに成った。

にもかかわらず、今年は連日冷房を使っている。
堪え性がなくなったのか、暑さに勝つ体力がなくなったのか。
私は、歳のせいにしている。

先日、小豆島のメーカーで『名水ソーメン‥』って報道があったので、
相変わらず受け狙いのタイミングだなあと思いながら、
会社で扱っている『名水にら研究会』の会長に電話を入れた。
随分御無沙汰をしてしまっていた。
この方は、雲仙農協で進駐軍の要請によって、
レタスやブロッコリーの種を、長崎島原半島に下ろされた営農指導員であった。
『森さんは失礼ですが何歳の時に農協を辞めて、にら栽培を始められました』と、
ふと聞いてみた。
『58歳、65歳までは吉田さん大丈夫ですよ』
『南瓜だけではなく、南瓜の加工品も開発しなさい』と応えてもらった。

今日から30歳の星卓馬君も、住込み職員として来てくれる。
私も後10年、頑張るかな。

2008.08.14 Thursday

夏休み/働く者への敬意



風の子島

先週末、家から見える海が青かったので、浜まで降りてみた。
画像中央雲の切れ目、漁船が走っている奥が、
鳴門海峡で左が淡路島、右が徳島鳴門である。
その向こうは紀伊水道。
暑さに海面も水蒸気を立てて、向こう岸が霞んでいる。
これで、夕方熱も冷めてくれば、徳島の海岸縁の家までくっきり見える。

左の突堤からリールで投げてキスを釣る。
写真の撮り位置の下が、餌のゴカイを捕まえる場所。
ゴカイは山から水が流れ着き、少し泥っぽい所が好きらしい。
つるっとした石の下よりも、ゴツゴツと凹凸のある石の下にいる。
ところが、今年の5月頃より隣の土地の防波堤工事が始まり、
海水の進入を食い止める土手を作ってしまった為、
ゴカイの生息地域が埋められてしまった。

町道から進入してくる私道を、
工事車両の通行認可をほしいと、県事務所が誓約書を持ってやってきた。
既に工事が始まり、数週間経ってからのことである。
その誓約書には『‥文句を言いません‥』って書いてある。
署名捺印してくれと言うのである。
『協力は惜しまないが今頃やって来て、文句言いませんと約束するほど、
私は御人好しでもありません』となった。
工期半分くらいで私道は、随分歪んでしまった。
私の署名捺印条件は『私の言う現況復帰』であった。

しかし、ゴカイの生息地の現況復帰は無理だろう。
ゴカイが帰ってくるのに『4〜5年は掛かるだろう』と英さんと話している。


2008.08.13 Wednesday

鷹の爪 栽培



苗作り

昨年、直播で『採れればいいや』って程度に栽培してみた。
遊びに来た友達に『全然違うで‥』って笑われた。
確かに、見せるべき物ではなかった。
その時の種を今年、悔しくて『真剣に‥』と思ってやっている。
画像は移植後1週間である。
この前に127穴のセルポット2枚で発芽させている。
発芽した苗を10.5cmのこのポットに移植する。
この時点で既に半分になった。
さすが在来種で、種屋の種ならとうにクレームに成っているだろう。
播種は4月初旬。
『定植は慌てず充分暖かくなってから‥』、との事だったので入梅前にした。


高畝

この畝は30cmほどの高さになっている。
おまけに手前から奥に傾斜になっている。
今回、この畝の高さが仇になった。
その事を書きたくて書いている。
全部で120株程定植した。
現在は、手前の数本が立ち枯れた。
要は水分があるところまで、根が張れていない株は、
直射日光と水分不足で根から枯れてきている。
水を株元に遣っても画像奥へ流れていくから、
どうしても手前の株は水分不足になってしまうのだろう。


実の成り具合

『茄子の花と親の言う事は千にひとつの間違いも無い』というが、
思った以上にこの唐辛子も、花が確実に実になっているように思う。
この実が赤くなってくれば、景色が変わるだろうと楽しみにしている。
分かりにくいがサイズは、人差し指よりも大きくなる。
鷹の爪といってもただ辛いだけではなく、甘くもある品種である。


酢糖散布

この画像は遊びに来た16歳の佳祐君が、『アミノ酢糖』を散布しているところ。
『アミノ酢糖』は、吸った窒素をアミノ酸・たんぱく質に転流し、
甘くて美味い野菜が出来てくる妙薬。
従って、硝酸態窒素の残留も極めて低く抑えられる。
本来は赤い唐辛子として乾燥させて、一味や七味として販売する。
ところが、生のままで販売できないかと言われた。
野菜として販売するのである。
私はどうかとも思うが、以前ハラペーニョを販売していたことがあった。
カレーに入れて楽しんでいた。辛味に深さが出るのである。
そういえば、佳祐君を連れて来たsava-chanが、
私のタマネギをみじん切りし、酢漬けにして持ってきてくれた。
ドレッシングにしたら、我ながら美味くて感心した。
みじん切りしてカレーに入れても別物になった。


2008.08.08 Friday

牛乳事情



伊吹牛乳

久し振りに伊吹山の麓まで行ってきた。
27歳から30歳直前まで、
無農薬有機栽培の野菜や自然食糧品を、
週に一回大津から彦根まで行商していた。
冬は湖岸道路を北に上がっていくと、
雪を被った西の比良山系や、北の伊吹山を見ながら走れる。
比良山系の雪は雪だが、伊吹山の雪は凍ってテカッていた。
画像の背景の山が伊吹山の麓の端。
うすい緑の屋根が今回訪問した『伊吹牛乳』の工場と直売所。

農業共済新聞だより転載
転載始め‥
低温殺菌牛乳 生きる自然のおいしさ
ブランド定着 乳製品拡大へ
滋賀県伊吹町の農業生産法人
「有限会社ミルクファーム伊吹」
2003 年 8 月 27 日
 「伊吹から自然のおいしさを各地にお届けしたい」と滋賀県伊吹町の農業生産法人「有限会社ミルクファーム伊吹」(三家清憲(ミツヤキヨノリ)=48歳、15人)では、伝統の味にこだわり、ブランドが定着した「伊吹牛乳」や、アイスクリームなどの乳製品の製造・販売を行っている。

 「伝統の味を守りつつ、消費者に愛される味を追求していくことが、厳しい競争社会の中で、大手企業に立ち向かうための戦略です」と話す、農業生産法人「有限会社ミルクファーム伊吹」の三家さん。
 伊吹地域で、1948年に酪農家4戸が、北海道から7頭の乳牛を導入。50年に「自ら搾った牛乳を身近な人たちに飲んでもらいたい」と「伊吹牛乳」の産地直販が始った。以来、伊吹牛乳というブランドが定着している。
 98年JA広域合併に伴い、JAレーク伊吹の牛乳部門から、分離して、JAや地元、酪農家などが出資して、ミルクファーム伊吹は設立。同時に地域畜産再編整備対策事業を活用して「ミルクプラント」(牛乳処理工場)が建設された。
 ミルクファーム伊吹では、高温・短時間で連続処理を行なって製造する大手企業と違い、釜でじっくり炊き85度の温度まで蒸気で15分間殺菌する。そうすることでタンパク質・ビタミン類が保持され、こくのあるまろやかな味になるという。
 また、「牛乳は新鮮なものほどいい」という考えから、原乳の調達から製品になるまで時間のかかる大手企業と違い、「3日で仕上げてます」と三家さんは話す。
 牛乳は近隣7町の学校給食にも供給されていて、子供たちの評判も良く、エリアも徐々に広がっているという。
 乳製品のアイスクリームも、「あっさりしているのにこくがあり、口いっぱいに広がる牛乳の香りは格別」と消費者から評判だ。
 「今後も伊吹牛乳を守り、従来の味を受継ぎ、定着したブランドを活用して新たな製品作りを目指したい」と三家さんは構想を描いている。

転載終わり

この記事を見て走った。
今回は松江のお客様から『いい牛乳をほしい』と言って頂いて、
それで、彦根の友人『田中印刷所』の社長に聞いて調べた。
朝に電話をして応対してくれた女性に事情を説明し、
『社長に会いたいが会えなければ、それでも良いので今から行きます』と、
伊吹山見たさもあって気軽に出発した。

記事には4軒の酪農家とあるが『今は2軒しか残っていない』と、
時間を作ってくれた社長と話を出来た。
『自分はもちろん今でも牛を飼っている』との事であった。
途中で三家社長から電話をもらった時、4時を指定されたので、
朝早い仕事で、午後はひと時休まれるのだなと思い、
今も牛を飼っておられる事は想像できていた。
結局、『原乳は滋賀県下60軒の酪農家から蒲生のJA集乳センターに、
集まった生乳を入れているので、滋賀県産の生乳と言う事は出来ても、
伊吹産とは言い難い』との事であった。

実は会社創業当時は『低温殺菌牛乳』を扱っていた。
書けば長くなるが、書いておきたい。
その時も奈良のお客様から『低温殺菌牛乳をほしい』と要望された。
大阪北部市場の運送会社から、商品引取の帰り、
信号待ちをしていた交差点を左から左折して行くトラックがあった。
トラックの背中に『低温殺菌牛乳』の文字が目に入った。
信号が変わるのを待って、必死で追いかけた。
時間が無かったので、とにかく電話番号を念入りに3回つぶやき、頭に入れた。
一仕事を終え事務所で早速電話をした。
『太田牧場』さんの専務さんが、たまたま電話に出てくれた。
小学生の頃、瓶牛乳のキャップを集めて、
メンコ代わりにみんなが1枚づづ出して、
ひっくり返せば自分の物に成る遊びが流行っていた。
もちろん、珍しい牛乳のキャップは自慢の種に成る。
ある日の事、同級生が『大阪の親戚から貰って来た』って、
太田牧場のキャップを出した。

どういう訳か覚えていた。
ラジオでコマーシャルを、流される規模の乳業メーカーさんで、
私の会社など相手にしてもらえる所ではない。
事実「私が電話に出て吉田さん良かったなあ」と言ってもらった事がある。
専務さんは私の無理な要望をいっぱい聞いてくれた。
このメーカーさんは今は廃業されているが、創業は古く大阪市内で酪農をされていた。
私の要望は先ず『酪農家を特定したい!』だった。
弱小の会社が売り出すには、突出した商品を作らなければならない。
それには単に『低温殺菌』ってだけでは足りないのである。
酪農家から企画をスタートさせる、商品開発でないと駄目であった。
これは『信頼できる酪農家があるから‥』。でも、そう簡単な問題ではない。
『ラインを流す時に、和泉牧場から集乳した原乳から始め、
その牛乳を吉田さんの商品に充てる様、工場に指示をする』と言ってくれた。
そもそも、この会社の低温殺菌牛乳は、ブームとして注目される以前から、
『天皇陛下が飲む牛乳の殺菌温度が65℃30分らしいから、
その殺菌方法で【昔牛乳】という商品名で瓶詰め製造していた』。
次の無理な要望である。
『申し訳ないけど、お客様のPBにしたい』。
『分かりました。だけどパックの消費期限は6ヶ月。
それ以上になれば、紙の耐久性が落ちますよ』とOKしてくれた。
他のお客様も出来てきて、メーカーブランドの紙パックも作っていただいた。
デザインは真っ白なベースに真っ黒な牛が一頭いるだけ。
その牛のいる上下の位置が実に微妙なのである。
『下の方にもって来れば落ち着くのは分かっているが、
それでは面白くないでしょう』。
『この不安定さがたまらない』となかなか楽しそうだった。
結局、随分遊んでもらえた。

内環状線沿いの何丁目何番地何号という住所だが、
何番地が全部太田さんの土地である。
プラント設備の工場の他に3つも大きなマンションがあった。
この内環沿いのマンションの1階で『自然食品屋さんをするから、
全部吉田さんとこで商品を納めてくれませんか』。
『家賃相当の利益が出ればいいだけですから』。
この話は荷が重いと思いお断りした。
また、『最近映画館でゆっくり映画が見られない』。
『ソファーにどっぷり腰を落とし、リラックスして見られる映画館があれば‥』
と私が言うと『吉田さん、映画館作ろうか』って言ってくれるのである。
本当に私みたいな者に、親友のように親身になっていただいた。

今の私は、あの頃の様に無理をお願いする気力はないし、
言っても聞き入れてもらえるような、社会の余力もまた無い。

勿論立場は、無理を聞く方にいる。

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