2009.01.31 Saturday
寄らば大樹の陰
『寄らば大樹の陰』って言葉がある。
ネット上の【諺・百科】で調べると、
‥
《意味》
たよりにするなら、力のあるしっかりした人物がよいということ
《使い方》
寄らば大樹の陰の若者ばかりでは、将来が思いやられる
‥とある。
画像の畑で、それまでの倍の面積に拡張し、試験的に『唐辛子』を栽培した。
縦22m、横9mの約2畝で、畝を6列。
畝幅は80cm、通路は70cm、畝の高さは30cm。株間は70cm取ってあった。
苗が足りずに、右側の畝を残した。
これは判断ミスであった。
左の畝を残すべきであった。
畑の左に見える巨木の影響で、左から順に育ちが良くない。
左側は東に当たる。
最初は、陰による日照の不足かと思っていた。
ところが、ジィーっと見ていると、それだけでも無さそうな事が分った。
むしろ、もっと根本的な『生のエネルギー』が、空間にある事を感じた。
科学的に立証できるかもしれないが、そんな事はどうでもいい。
科学など、生命活動の前には無力である。
天に向かって伸びるのは、天から引っ張る力が働いているからかもしれない。
この引っ張ってくれる力を、大樹に全て吸い取られて、
唐辛子にまで回ってきていないと思えるのだ。
この天から引っ張る力が、土にある養分を、
根から、吸い上げる力となっていると思われる。
『鶏口となるも牛後となるなかれ』って言葉がある。
英語圏では『Better be the head of a dog than the tail of a lion.』
これが、『‥大樹の陰の若者ばかりでは、将来が思いやられる』って言葉の裏返し。
昔、韓国の趙何とかさんのところ、農業の勉強会にツアーで行った事がある。
この方は、日本でも有名な割りに、何も得るところが無かったが、
焼肉食堂で出会った、日本の若者が、
『韓国では、どんな小さな会社でも、経営しているだけで、
どんな大きな会社の従業員さんより、尊敬される風習があるのですよ』と言っていた。
この『鶏口牛後』の言葉は、
『韓』の国王が、隣の大国『秦』に降伏しそうになった時に、
『蘇秦』って人が、この言葉を進言して、他と同盟を結んだ、
この話が起源らしい。
なるほどな、その時の話が今の時代も生きていたって事か。
という事は、会社を経営する事は、
従業員が『牛後』とならぬよう、
一人一人が、『頭』になるように留意するとなる。
それゃそうだ。
社長ってのは、この事だけを実現すれば良いような気がする。
会社の規模は、その一人一人の力の集まり具合でしかない。
要は、社長がそれで満足できるかどうかである。
社長の個人的な『欲』は、勘違いを起こしやすい。
私も胸に手を当てよう。
明日、左の大樹の枝を、殆んど切る事にしている。
2009.01.30 Friday
唐辛子の栽培終了
唐辛子の栽培がようやく終焉した。
付いた実を全て収穫した。
最後の乾燥に出している。
天日で乾燥し始めたが、実に大変で、
特に今年は夏から秋に、小豆島でも雨が続き、
結局、シイタケ栽培をしている箭木さんに頼んで、
干しシイタケの乾燥機に入れてもらっている。
箭木さんとは一昨年知り合った。
シイタケの栽培と山の仕事を兼業で生計を立てている。
私にはであるが、理想的な生活様式に見える。
私の所にも、一度樹を切りに来てもらったことがある。
貸してもらっている畑が、杉の木立で陰になるので、
貸主に頼んで『全部切り倒す事は出来ないが、枝を払ったり、梳くなら‥』と
許可をもらえたので、樹に登っての枝払いは、
私には無理と思い、箭木さんに頼んだ経緯がある。
この日曜日にも樹を切りに来てくれる。
その時に最終の乾燥を終えるので、今回の総収穫量がはっきりする。
昨年は100本の苗を定植したのが6月1日。
播種はそのひと月ほど前。
少し遅かったので、収量は充分ではないと思われる。
定植は5月の連休明けくらいが理想だろう。
今年はそのようにして、1000本程度の挑戦をしたい。
収穫総量は乾燥後で1トン目標。
もっとも、種取がうまく行っていればの話であるが。
2009.01.26 Monday
一心寺
今日は星の2週間遅れで、誕生祝いの日。
先々週に星は誕生日を迎えていた。
ケーキを買って食べる約束をしていて、すっかり忘れていた。
私たちは元旦に『一心寺』に参拝したが、星は郷里に帰っていた。
いつも、見上げるばかりの寺に、一度は行ってみたいと思うので、
その詫びも含めて、3時で仕事を切り上げ、星と三人で行き直しをした。
上の山門をくぐると、この建物がある。
この建物の奥に10畳敷き位の洞があって、そこに立った石の仏像がある。
『ちーん』と鳴らしてみたが、実家の仏壇にある方が響きがいい。
山門には鐘があり、『がぁーん』と打つと、『ごぉお〜ん』と鳴る。
強く打つと大きく応え、小さく打つと弱くしか鳴らない。
今年の大晦日にやってみたい。
こんなblogを見てくれている。
『K.K』と『観客』さん、随分前には『ANTHONY』君。
何処で検索を掛けていてくれるのか。
何回も何回もそのコメントを読んで、嬉しさを反芻している。
みんな『生きている』と伝えてくれている。
私も生きにくい世を、『生きている』。
社会主義を通り越して、世界的な全体主義になりそうだ。
その事は、世界中で連日、温暖化、温暖化と、
修行するぞ、修行するぞと洗脳したグループみたいに、
情報が、ひつの出所から発信されていることで、予測がつく。
海に突出している陸地の、左が『風の子島』右が『大角鼻岬』。
その手前の陸地の、コチョコチョとした処で、
いっぱしのつもりで、得意気になっている。
2009.01.26 Monday
和やかさ
本来のアルファーに戻って、一年が経過した。
事業も、みんなが良く頑張って、上々の結果であった。
分社による倉庫設備等の除却損を、1000万円、一気に計上して、
営業利益はあるものの、赤字で決算を終えた。
これは、今期利益を出して、簡単に取り戻せる数字である。
もちろん、最低限の地方税等、存在する限り発生する税は別として、
事業税は利益に対して発生する。
ところで、アメリカの大統領が代わった。
『変わった』と思ってる人も多いと思うが、
やっぱり『代わった』だけかな。
むしろ、CO2の排出税等、益々重税に喘ぐ事になりそうかな。
人気がありそうな分、この先が思いやられる。
権力者がヒーローになる時は、あまりいい時代じゃない気がする。
どうも、あの瞳が気になってしようがない。
テレビに出ていた最後の頃の、貴花田君の眼に似ている。
宮沢りえちゃんと付き合っていた頃は、もっと、素直な眼をしていた。
一体、何がきっかけで、こうも人は変わってしまうのか、不思議にも思う。
忘年会の画像だが、みんな楽しそう。
よう食べた。
中川と『忘年会は蟹でも食いに行くか』と言っていた。
『みんなに話しても、あまり嬉しそうじゃないんですよ』
『女の人は、子供をおいといて自分だけ美味いもん食っても、
手放しで喜べへんみたいやから』
『子供も連れて来てええよって言うたら、みんな喜んでましたわ』
て事で、子供が二人参加してくれた。
新年会はもう一人参加してくれた。
お陰で、子供をだしにみんなで大はしゃぎできた。
こうなったら、『楽しんだもん勝ちかな』っと思っている。
2009.01.24 Saturday
パイプハウスの解体
パイプをどのように引き抜くかが問題であった。
子供の頃に、三脚を立てて、滑車で石を吊っている現場の記憶があった。
その先には、梃子の原理を応用した、
引っ張れば、引っ張るほど締まる、簡単な道具が付いていた。
その道具を高槻で、2時間捜し歩いたが、どの店にも置いていないし、
道具の名前も知らないので、探してもらいようも無かった。
仕方なく、長崎の末吉さんに『パイプを引き抜く時はどうしてる?』と、
そしたら、農機具屋に聞いてくれて、『パイプハンド』なるものがあると聞いた。
早速、『100%農家 くぢら』に、持っているか聞いたところ、
『4つ在庫がある』との事であった。
チェーンブロックは英さんが持って来てくれた。
三脚が無いから、脚立で代用した。
画像では分りづらいが、オレンジ色のパイプハンドに、
チェーンブロックのフックを掛けて、
方向によっては、ずれて外れてしまうので、手で支えておく。
そうすると、するすると抜けて来てくれた。
蔓が巻きついていたり、野バラが沢山、自生していたり、
困難はいっぱいあるものの、何とか午前中で一棟やっつけた。
今日は小豆島も、この冬初めて氷が張る寒さで、
昼には未だ小一時間あるが、これ以上やる気になれなくて、
この英さんの畑の上に散歩に行った。
上の画像も、英さんの畑で、5畝位はあるだろうか。
御覧のような荒れようで、勿体ないを連発しながら、
そのロケーションの良さに惚れ惚れした。
英さんの土地は、本当に広いし、魅力がある。
ここら一体の畑が復活する日は、その内やってくることになる。
気持ちいい百姓が、この地域で賑うことを夢見ている。
2009.01.23 Friday
ようやくパイプハウス
もともとは、こんな状態だったところ。
昨年の12月に、パイプハウスを取り出すのに、
チェーンソー、チップソー、手鋸、剪定鋏。
ありとあらゆる道具を使って、とにかく、全部切り倒した。
何の蔓か分らない蔓が、巻き付いていて、とんでもない状態であった。
ここは、家の北東の角に当たるので、
一昨年、此処に来て、最初に掃除を始めた箇所でもある。
この方角の風通しを良くしないと、神さんがやって来ないと思っていた。
そもそも、ここを掃除している時に、初めて英さんと二人で話をした。
初めて英さんに会った時は、その数週間前だった。
英さんは、私の土地に黙って車を停めて、
私には一瞥呉れただけで、黙って浜に釣りに行った。
気になって、しばらくしてから浜に追いかけて行った。
少し探したら、何と、浜と山の境界に、這い蹲(つくば)って、
何やらしている。
どう言うてええやら分らず、『何が捕れますのん?』と聞いた。
『フナムシや』『餌代も馬鹿にならんやろ』と、
バケツに入れたフナムシを見せてくれた。
変な虫だった。
こんなんで釣れるんやと思ったが、それ以上追求せず、家に帰った。
しばらくすると、バケツに7〜8匹のガシラを釣って帰ってきた。
2度目に会った時に、大笑いした。
私が此処に来たから、隣の安藤さん、浜田さんと境界線の確認となった。
何やら、私の認識とは違う事を言っているが、
『どうでもいいや』
『権利書があるんやから、何かあったら測量すれば‥』と思っていた。
その時に丁度、英さんがやって来た。
私はこの前の、変な奴っちゃと思ってたら、みんなは、よく知ってそうだった。
『この上の土地の英っていうんや』と紹介してくれた。
『なんや、そうやったら、この前、そういえばいいのに』って思ってた。
で、『英さんともちょうど良いから確認しよう』と言って、
浜田さんが、上の境界(英さんの土地との)に連れて行った。
最初は、トボトボと英さんも付いて来ていたが、途中で、
『坪、何十万もする都会やったらまだしも、こんなとこで3mや4m、』
『どうでもええわ。腹減るだけや!』だって。
私は、腹を抱えて、笑ってしまった。
英さんの、そのひと言と、私の大笑いで、そのままお開きになった。
初めて話したのは、3回目に出会った時だった。
英さんは、同じように車を私の土地に停めると、
自分(ここは英さんの土地)の土地で、ゴソゴソ音はするし、樹は揺れてるし、
私も気付いて、樹や竹や蔓のジャングルから這い出たら、
『こいつ何しとるんや』びっくりした顔していた。
『樹が蔓に絡まれてるから、取ってやってるんや』
『ふーん、藤も咲いたら綺麗やで。』
私が怪訝な顔してると『樹がかわいそうや言うんなら、
下を切っとけば、その内、風が綺麗にしてくれるわ』って、
会話が始まった。
私は、丁度いいやと思って、自分が高槻でしている会社と、
此処に何しに来たかを話しした。
『面白いことやってるなあ。儂もそっちにいこうかなあ』と、
直ぐに反応が返ってきた。
お互いが認知しあった瞬間だった。
やっとパイプハウスの登場。
画像、右中央にうっすらとパイプが見える。
8年ほど前に英さんが建てて、オクラの栽培に使っていた。
このハウスパイプをベビーリーフ用の畑に移動させる。
今は、こんな感じ。
横の桟を外したところ。
2009.01.19 Monday
いつになることやら‥
先ず、画像を見てもらおう、かな。
石を集めるのに2日、積み始めて1日半。
日曜日は約束したように、昼に雨が降ってきてやめた。
月曜の朝、出勤して、中川に『朝から見てもらう写真ではないが‥』と、
パソコンの画像を見せると『おぉーっ、アルファー土木部署!』って。
上段の土留めとして大木を利用した。
『答えの無いパズル』が出たほど、苦労をした。
しかし、口には出さなくとも、二人とも達成感は今ひとつであった。
下段はハウスを建ててからでも、土留め作業を出来るから、
私自身は『石を積むか』と考えていた。
昔は、普通の小川。
でも、山が近いので大きな石がごろごろ。
うちの上の家で育った英さんは、
『台風とか、まとまった雨が降ったら、石が上から転がってくる大きな音が、
ゴロゴロと聞こえて、気持ち悪かった』らしい。
小豆島では、30年ほど前に大水害があり、
それ以来と思われる看板『土石流注意』が、
『川らしき』、としか思えない所にも、設置されている。
まるで責任逃れの言い訳みたいな気もしないではない。
子供の頃なら飛び越えられそうな幅の川が、家の西側を海に注いでいる。
この川が、コンクリートで『天突き』の様に塗り固められている。
その時に、川の両側に石を放り出したのだろう。
浜近くに散乱している石を、とり合えず用立てさせてもらった。
これをひっくり返し、とっくり返し、形を合わせながら一直線に、
中に倒れるように角度をつけて、積んでいっている。
内側は、畑作りで出てきた、中位の石と小石を詰めている。
何となく、ムードが出てきて、嬉しい。
雨が掛かって、適当な湿り気を帯びた石が、
美しく輝いている。
私と英さんの、共同作業も息が合ってきた。
役割分担は、英さんが石を積む、
その次のスペースに適した石を私が見繕う。
チェーンを石に巻いて、ユンボで吊り上げ、
そのスペースに下ろしていく。
私は見繕う時に『この面をこの角度で丁度納まる』と見込みをつけている。
だけど、その事を英さんには伝えない。
英さんは英さんの頭で、やって来た石を見定め、据えていく。
私のイメージと一致する場合もあるし、
実際には、英さんの据え方の方がピッタリきている場合もある。
勿論『こうして欲しかったなあ』と思う据え方もある。
英さんも『もう少し納まりやすい石を吊って来いや』と思っているかもしれない。
だけど互いに、口には出さない。
人との呼吸というものは面白いものである。
口に出してしまえば、理になり成否になる。
『答えの無いパズル』の言葉を楽しむ所以である。
成否で物事を図るから角が立つ。
呼吸は内省するから、成長できる。
ここに、これから社会の目指すべきキーがある。
2009.01.11 Sunday
Us and them
冬の小泊湾
昨年12月29日の深夜、画像に写る家で育たれた、
『安藤輝男』さんが亡くなられた。
私の住む小泊は、輝男さんのお父さん、勝男さんが、
浜田さんという方と共に拓かれた土地である。
浜田家は娘さんの雅子さんが養子に入って継いでおられる。
輝男さんは私より2歳年長の57歳。
私が此処に来た時は名古屋の船会社に勤務されていた。
休みで帰ってこられている時に、何度かお会いしたが、
『60で定年になったら、此処でうろうろ遊ぶから‥』と仰っていた。
私もそれを楽しみにしていた。
農業にはあまり興味が無さそうだったが、海のことはプロ級であった。
僅かな時間で『蛸が入っとった』とスーパーの買い物袋に持って帰ってきた。
私が初めて釣った魚も、浜から上がってh来る時に出会って、
見せると『すすったら終わりやなあ』と冷やかしてくれた。
30代の頃は、誰か友達が亡くなっても『早かったなあ』と他人事だったが、
段々、自分に置き換えてしまうようになり、後を引くようになって来た。
いつの頃からか、近しい人が亡くなると、写経を6枚して供養に焼いている。
今回も聞いた30日から元旦迄の3日で2枚ずつ写経した。
丁度、2日の朝、浜田さんの御主人と英さんが揃ったので、
3人で浜に行き、2枚ずつ燃やした。
3日間、ずうと、ピンクフロイドを聞いて、小泊湾を眺めて過ごした。
遺伝子がいくら解明できても、脳の研究がいくら進んでも、
そんな事とは全く関係なく、
人は存在しているだけで素晴らしいのではないか。
確かに肉体は限りある人生であるが、
魂は時間と空間を超えた存在なのではないかと思えてくる。
裏の藪を、チェーンソーで掃除している。
何年も放っておかれて、植物が入り乱れて生存している。
おびただしい量の、竹が自生している。
ふと、手を止めて海を見て冒頭の写真を撮った。
2009.01.10 Saturday
まるで山の暮らし
木の枝をクロスに組んで、ボルトで留めて、
チェーンソーで樹を切りやすい台を作ろうとした。
枝を集めている所に行って、頃合の枝を集めて、
星に『済まんけどチェーンソー、取って来てくれ』って頼んだ。
その後、すぐに修理しなければいけないような代物が、想像できた。
家の方に戻る途中で、チェーンソーを持ってくる星に、
『方針、変更や! 』
『このおっさん、何言うとんにゃあ、と思ってるやろ』
枝じゃなくて、もっと太い幹を使って、作ろうと考え直した。
最近切り倒して、頃合に刻んで、積んである所に行った。
丁度、目に飛び込んできたのが、高さ太さ共に40cm強の丸太。
これを立てて、天板部分を『V字』型に切り込んで、
3つ並べたのが、上の画像。
10分で出来た。
しかも、壊れる事はない。
星は、
『新作のチェーンソー用の台木を使って薪ストーブと風呂用の薪を切った。
チェーンソーで切る時に厄介なのが手前に木がずれてきて切りにくいことだが、
それが解消される良い台木ができてまた作業がしやすくなった。
家の前にあった長い木は全て切り終わった』と、喜んで日誌に書いてくれた。
世知辛い時期にのんびりした話である。
今朝、会社の中川が、
『不況というものは、人の心の話と考えます。
心の不況、世の中、欲を求めて走り、
今は、どの欲に向いて、走ればよいか
迷っている様に見えます。無駄の狂騒曲。』
というメールを送って来てくれた。
凄い事を言う。
そのものズバリである。
2009.01.09 Friday
答えの無いパズル
『答えの無いパズル』とは、画像中の英さんの言葉。
少し説明を要するだろうが、
昨年来続けている"ベビーリーフ"用の畑作りの続きである。
2段の、のり面が崩れてこないように土留めをしている。
最初は石を組むつもりだった。
それも大変なので田んぼの畦用の、波トタンを入れるつもりだった。
それも、もひとつなので、画像の様に樹を積み上げることにした。
真っ直ぐでない樹を、隙間無く平面に積んでいくのに、
『あーでもない、こーでもない』と二人でやるのだが、
結局は『こーしよう』と言った本人も、言われた相手も、
所詮、妥協の産物で、独特の雰囲気を残したまま次に移る。
この雰囲気を称して『答えの無いパズル』って台詞が出た。
土留めとして何年効果があるかは分からないが、
私はこれで大丈夫だと思っている。
上の画像の一番手前に横たわっている幹は、左で切れている所が株元。
株元は直径が70cmと100cmの楕円形、右が最初の枝分かれ。
昨年の暮れに倒し、一週間経過するが、
ユンボで吊るすと、まだ樹液が滴り落ちた。
葉はすべて枯れ落ちているが、樹液は透き通り、
ただの水ではなく、根と幹との命の交換をしているかの様子に、
少し胸が痛む。
この地の元の所有者が『これは、親父が大事にしとった樹や』、
『親父は漁師やったから、樹を大事にしていた』と正月に言った。
この台詞には参った。
仰るとおり、『森は海の恋人』って本があったが、
落ち葉等の腐葉土を、潜り抜けてきた雨水が、海に注ぎ込み、
その栄養で海藻やプランクトンが育つ、山と海の循環。
それは充分理解できる。
釣りに欠かせない餌のゴカイも、
山からの雨水が注ぎ込む地点に、多く生息している。
そこは砂浜の中でも、少し泥っぽいから、
ゴカイには栄養が一杯あるのかもしれない。
その樹の落ち葉と、私の畑の肥料が流亡するのと、
どっちがどうだか分らないが、
日が当たらない畑は駄目なので、やはり仕方が無い。
後は、『親父が‥』という情緒の問題である。