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2009.05.29 Friday

パン作り

 

株式会社『翔泳社』って出版社は始めて聞いた。
本屋の小倅(こせがれ)で、出版社は大概知っているし、
子供が生まれる前に、『プラサード書店』って本屋を、
槇田タダトって友達(樵、どうしてる。
去年宮古島で贋さんって富士吉田の近所の同級生、
ってのに会ったぞ)に頼まれて、起ち上げた時には、
バックパックを担いで、東京にある出版社を訪ねまわった。
本の産直の店をやっていた。

バックパックに、いっぱい仕入れた本を詰めて、
満員の山手線に乗って、新宿で中央線に乗り換えて、
西荻窪まで帰ってくる。

私が生まれる前後に始めたと聞いている、
私の実家は、お袋が滋賀県の彦根から京都まで、
東販はじめ取次店を回って、風呂敷に包んで帰ってくる。
それを駅まで親父が自転車で迎えに行くのだが、
一日で二往復もしていたらしい。
背中にひと包み背負い、右手左手にひと包みずつ下げて、
150数センチの身長で、
今は新快速で45分だが、
当時は、汽車だったかもしれない。

私たちの年代がする昔話は、
ほのぼのもするが、少し哀しさも混じる。



親父は明治の44年生まれだが、
今思えばハイカラな人で、当時からフランスパンを食べていた。
近くのパン屋が焼くフランスパンを買いに行っていたが、
フランスって国があるのを知ったのは、随分経ってからだった。

最初はレーズンパンで、二回目は収穫したての玉葱パンである。
そろっと麦の刈り取りシーズンだと思うが、
これで、麦から植えれれば、また世界が変わる。
30年ほど前に自然食品の行商をしていた頃、
【ホシノ天然酵母】を売っていたが、
巡り巡って、今の会社のお客様の自然食品店で、
自分が販売していたと同じような原料を買って、
こうしてパンを焼いて食べている。


2009.05.28 Thursday

『土の上』の博士

 
静岡県湖西市の白須賀。
『汐見坂』は昔、富士山が見えたらしいが、
今は殆んど気がつかない。
西国から東海道を上ると、
最初に富士山が見える地点だっただろう。
『汐見出荷組合』ってのを作って、
長年野菜の栽培をされている、佐原さんが今回の博士。
昨日の会話の中で、
『一番下の娘が、もう二十歳‥』とあった。
確か、付き合い始めの頃は、中学校の役員で忙しいと。
毎年、この時期に出かけているが、
もうそんなに時が経っているのか‥、知らなかった。

事は単純で、私は次の一言に惚れて始まった。
初めて会った時に、

『野菜は漢方』
げに、まっこと。

私は、食はエネルギーだと思っているし、
食べた物でしか私たちの肉体も精神も出来ていない。

『アトピーを治せる野菜』
『究極の目標は癌を治せる野菜作り』
声は小さく、ポツポツとして聞き取りにくいが、
話している内容は、とても大きく深い。



私が右手に持っている芋の切れ端が、今回の種芋らしい。
何回も見ているはずなのに、初めて気が付いた。
私の切ったインカの目覚めと、全く違う切り方をしている。
聞くと、左の手で持っている芋に手を伸ばして、
両手で持って説明してくれた。
上を向いている中心の窪みが、頭に当たり、その底が尻に当たる。
頭から尻まで、違う性格のエネルギーを宿していて、
それ等が全体として調和しているらしい。
1個の生命を生む基と成る種だから、
全体を包含していることが望ましいのだから、
当然、私が持っているような切り方になると言う。

それにしても、 こういう風に切るには、困難が伴うと思うから、
芽(窪みの全てから目は出る)の残し方を聞くと、
感動的な事を指摘された。

何と頭の窪みを中心に、右回りで螺旋状に芽が出るという。
これを桜沢如一は『スパイラル』と本に書いていたが、
確かに、綺麗に規則正しく螺旋を描いている。
この芋のその数は8つ。
今思い出せば、8つに切ると言っていたから、
ひょっとすると、どの芋も8つなのかも知れない。
橘香道は、『数と間に力がある』と書いていたから、
間とは思考の間の事だろうけど、
一度、トマトの部屋の数も数えてみよう。
気になり、今数えてみたら5だった。
此間の玉葱の燐辺の数は、9(皮は入れていない)だった。

いやいや、そんな事より、毎日ジャガイモの芽取りをしていたのに、
『全く気付かなかった』と言うと、
『見てなかったのじゃない』とあっさり手厳しい。




ジャガイモは本葉が3〜4枚で、もう生殖機能をもつらしいから、
その時期にはカルシウムが必要で、
7〜8枚で、もう実が出来始めるから、
その時には細胞分裂を促すリン酸が必要らしい。
だけど、博士はこんなレベルじゃない。
元素記号を全て覚えていて、
2Oなら水と酸素という具合に、
硫酸には水素と硫黄と酸素と直ぐに閃くから、
糖が必要なら、ガムシロップをコップ一杯位の水で薄めて   となるし、
窒素の効きを抑えて、栄養成長から生殖成長に切り替える為に、
硫黄が必要なら、バッテリー液を薄めれば良い  となる。

もちろん、希釈倍数はどういう計算をしているか、想像も付かないが、
明確に数字で応えてくれる。
南瓜栽培の時に、ジャガイモも同じ澱粉だろうからと、
聞いた時に教えられた。
ところが、バッテリー液は危険物だから市販されていない。
と言うと、『補充液なら売っている』とにべも無い。
ところがところが、市販されている補充液は、
『単なる蒸留水だ』と、車の整備を依頼しているところが教えてくれた。
そこで、今回聞くと『北海道なら希硫酸が入っている』と、
含有率まで知っている。

いつどんな肥料を作ればいいのか全て理解していそうだから、
『その内、肥料屋になってるのと違うか』と言えば、
『それは無い、無い』と。
何故なら、冒頭の野菜で身体を正常に戻す、
それだけの力のある野菜を栽培したくって、考えているだけで、
肥料を作る事には興味は無いらしい。
恐れ入り屋の鬼子母神である。





2009.05.23 Saturday

試食会

 
5畝の畑で栽培していた、七宝早生という玉葱を全て収穫した。
その半分を吊るし、半分は葉を切って冷蔵庫に入れた。
こういう形で、冷蔵庫が再稼動した。
今まで、お金で買った、つまり仕入れた野菜を入れていた冷蔵庫に、
これからは、自分達で栽培した野菜が入る事になる。
後、1反収穫を待っている玉葱(七宝甘・もちじ3号)があり、
6畝分のインカ目覚めを入れる予定になっている。
インカの目覚めも、2ヶ月弱冷蔵庫で眠らせて、
甘味をつけてから(澱粉は冷気で糖化する)出荷する。

私は『商い』で仕事というものを感じてきたから、
この農場が『職場である』実感を、
冷蔵庫が動き出した事で、一番強く感じてしまう。





その商いで、いつも食べ比べをする。
どちらがうちの商品か言わずに、
みんなで食べ比べをして批評しあう。
今回は、収穫したての玉葱と、島のスーパーさんで購入してきた、
愛媛産の玉葱の試食を、星と佳代子でした。

『高槻ではいつもしてることやが、これ当たらなかったら‥』
『見た目からしたら、こっちですね』
『おぅーっ、見た目から入るとは分ってるなあ』
右の皿を食べて、味わって、
直ぐに左の皿にいくのかと思えば、番茶を一口飲んで、
それから食べて、『こっちですね』と右の皿を指差した。
『あっ、匂いを嗅ぐのを忘れた』って。
味見の仕方を分っている。
食糧品屋の農場スタッフとして、姿勢も合格点である。

少しの唐辛子とにんにくを入れて、
オリーブオイルを温める。
そこに玉葱を入れて、色が変わってきた頃に塩・胡椒、少々。
佳代子曰く『包丁の入り方から違う』、
『こっちは直ぐにヘナヘナとなってしまう』、
『それが食感の違いになってる』。
確かに、野菜は味が、
細胞の肌理(きめ)細やかさに表れる。
肌理が細かいと包丁に吸い付くように切れていく。
化成窒素で育てられた野菜は、
細胞が粗く、ゴツゴツした感じが包丁を通して伝わってくる。
八百屋を始めた頃は、見た目の細胞の細やかさで味が判ったが、
今は、もっと全体から滲み出す野菜の気が、その育ちを伝えてくる。
命の糧たる所以である。

なかなか御機嫌な試食会だった。

自慢話に花を咲かせたお詫びに歌謡曲を一曲。



2009.05.20 Wednesday

三浦の南瓜



この畑を見て、ホォーっと唸る人は、
よほどの南瓜通と思う。
どの産地にも一人か二人は居るもんだと思った。
息子さんが45歳と聞いたから、
主のお父さんは70うん歳かな。
一代で、ここまでうまく出来るものでもないと思っている。
テレビでよく出てくる伝統工芸品と同じように、
野菜作りも、何代かに亘り引き継がれていく、
技術というものを感じ始めている。

6月の初旬に収穫できるということだが、
今年は是非この南瓜を食べてみたい。
この産地は、昨年の6月末頃に出会って、
わずか仕入れさせてもらったが、
その時には、この方の作は終了していた。

今回の出張のメインは、この産地訪問だが、
やんごとない事情で、渋谷まで足を伸ばす事になった。
ついでという事で、埼玉の大宮の、その先の七里(ななさと)まで、
実によく電車に乗った。

昨日6時38分に高槻駅を出て、
京都で新幹線に乗り換えて、
新横浜で降りて、電車を2回乗り継いで、
3回目に京急の電車で、ようやく南瓜畑に着いた。
それから、京急で品川まで行って、
ホテルにチェックインして、
それから、山手線、東京メトロで六本木、
六本木でラー油を買って、ジンジャーエールを飲んで、
タクシーでホテルに戻った。

今朝は、品川から渋谷に行き、
渋谷からメトロで池袋に行き、埼京線で大宮まで行って、
大宮から東武線に乗って、
七里駅まで。



関東平野独特の雰囲気が懐かしくって、
つい何でもない駅を撮ってしまった。
ここの訪問先で岸和田の方に会った。
昨日、関西から戻られたらしく、
マスク姿をそう説明されていた。

これからしばらくは、出かけるのを控えた方が、礼儀かなと思った。
一企業の為の煽りを、また利用して煽る人。
浮世の事だから、人災も天災の内と思えば、
それまでだが、今から帰る関西はどんなになっているかな。

羽田空港で2時間半も時間があり、
煙草を吸いながら飛行機待ちをするスペースを、
中川が見つけた。



全く目立たない場所で、しかも近くに来ても、
訝しい雰囲気があるので、殆んど人が入って来ない。

革靴でコンクリートの上を、長時間歩き、
電車の人ごみにまみれ、
でも、久し振りの東京は、ちょっと静かだったかな。


2009.05.16 Saturday

火の神様

 


懐古趣味というか、
どうもこの島に来て、ひとコマひとコマに、
想いが詰まってしまって、
画像の火床も結局ギリギリまで残していた。

今日はいよいよ撤去して、
ハウスへ入るトラクターのスロープを作らなければ。
この火床は、丁度2年ほど世話になった。
もうひとつの桜近くの私が作った物をモデルに、
三国志好きのN君に依頼した。
昨年、英さんによって壊され、
もちろん、元々火を焚く用のブロックではないから弱っていたが、
ユンボで誤って叩いてしまって、
星の手で修復されていた。

畑がドンドン拡張されていって、
桜の樹の下の火床も移設しなければならない。

山の暮らしから、
農家の暮らしに近づいているといえば、
そうかもしれないが、
少し、世知辛い気がする。

畑が貸してもらえれば、
そこを職場として通勤すればいいのだが、
未だ島の人に馴染みが薄く、
なかなか貸してもらえない。
勢い自分の所有する土地を開墾して畑にする。

隣の隣の土地を8000坪購入して、
イチゴ農場を作るという方が、
先日、この家にみえたが、
私には、垂涎物でも手が出ない。


2009.05.16 Saturday

【野菜の栽培】 たまねぎの収穫開始





収穫を始めた。
倒れて、熟してそうな5畝を収穫した。
全体的な印象は、草に負けた畝と、
草取りを順調に出来た畝との差が、
極端になっている。

前作の印象しかなかったので、
草もそんなに気にしていなかったが、
今作は、随分草が増えて、次から次へと生えてきた。
結局、スタート時の耕転の問題だったが、
屋久島の日高一昌さんの言う通り、
勉強になったと思うのは、後から気付くことで、
毎年、違う事が出てきて、満足な結果を得るには、
尚、数年かかる事がわかる。

収穫している間、『お父さん、どこにいるの‥』が、
頭の中を流れていた。
この方は、上手に歳をいく見本の人のようだ。


2009.05.14 Thursday

 

『碁(ご)』
石を土に換えたら、基礎の基、基本の基となる。
土と石の違いも明確にならない。
うちの畑からは、脆(もろ)い石が沢山出てくる。
それらは、どれも鉄を多く含んでいそうな色をしている。
今は別な会社にいる清水に、
『おい、これはその内、石になぞ』と言ったら、
馬鹿にされたというか、もっとひどくて蔑(さげす)むような目で見られた。
どうも、理系の連中は、科学という宗教に侵されて、
夢を見るということを知らない。
でも、本当に石と土とは、固さ以外にどう違うのだろう。

ここ2〜3ヶ月前から、パソコンと碁を打ち始めた。
未だにルールは解からないが、
将棋とは違う面白さがある。
上の譜(将棋は譜というが、碁も譜というのかな)は、
1目程度の差で、黒の私が勝ったということになる。
途中で、分岐点があって、そこまで戻ってもう一度やると、
36目差で勝てていたことになった。
将棋より、
如何に小さい欲を捨てて、
大きな欲の成就に賭けるかが、
勝敗の分かれ道になる気がして、
面白い。
些細な事でも、直ぐムキになってしまう私には、
いい訓練になる。

ムキになって、友人を取り返しが付かなくしてしまった、
『こころ』という小説を読み終えた。
草枕もそうだったが、これぞ文学者というものか。
描写が微に入り細に入り、
しかも、その表現の発想が、
突飛(とっぴ)であり、虚を付く。
浮世離れした、優雅な調べのなかで、
何層にも積み上げられて、説明を加えていく。
一層にこだわっていると、何の描写だったか忘れてしまうほど。

漢字使いも実に興味深い。
これ以上、夏目漱石を読み続けようとは思わないが、
この時期の文学というものへの、興味は残っている。
何の興味かというと、言葉への忠実な精神ということになる。

どうも、『感謝しています』という言葉が、
安っぽ過ぎる。
『謝る』という言葉と、『感謝』という言葉は、
同意だが、安っぽさの由縁は、ここにある。
感謝はしているというが、決して謝らない。
『感謝』しているといえば、自分を高く評価することになるが、
『謝る』と自分を低くしてしまうとでも、
思っている節がある。

喧嘩になると、『謝れ!』ってのも、
非を認めろって意味で、本来の謝るとは少し違うニュアンスになる。

言葉が安っぽくなり始めたのは、
マク○ナ○ドがやり始めかな。
そうだとすると、自分の国語への無意識の愚弄となる。
親父は王さんと歩みっつで、
私たちの世代は、父親から将棋を習った。
今思うと、どうして負けたのか不思議だが、
負けた。

王さんが歩を前に戦いに出てきて、
歩を交換して、打てる場所を見つけて『と金』を作られてたんだろうけど、
見てる盤の広さ違いかな。

『官僚の為の国から、国民の為の国にする』って言っても、
やっぱり、見てるところが少し違うか。
もうひとりの人は、何を言ってるのかさっぱり分らない。
共通しているのは、どちらもお上品。
自分の信念が明確過ぎると、
昇華してしまって、アホらしくって相手してられないって、
そんなとこかな。



2009.05.10 Sunday

胸の緊迫

  
  

いくらblogとはいえ、
他の人に何の役にも立たず、
何の共感も得られないような、
そんな内容は遠慮すべきであると思っている。
しかも、このblogは会社のホームページに直結している。

言い訳から始まったが、
今回だけは勘弁してもらいたい。

何の変哲も無いプレハブ冷蔵庫の設置作業。
これは、2007年末まで弊社が設置して、
毎日年間365日青果の入出荷作業をしていた、
その一部の冷蔵庫。

本意ではなかったが、
他人(ひと)には他人の事情もあろうかと、
20年間積み上げてきたものを、
一度御破算にした。

夏目漱石の『草枕』が面白かったので、
毎週往復、200分の船の中の書物として、
続きで、『こころ』を読んでいる。
今は長い長い、先生の手紙を読んでいる最中だが、
『草枕』の続きで読んでいるので、
油断していると、なるほどなあと思える展開に、
少々驚きとシニカルな笑いを以って、進んでいる。

ひとの平素と彼等の我欲が絡む時に、
自分の行く道が、
決して平凡でなく、
深く広い行いで、『よしよし』と。
所詮は、与えられた条件も、
自分で招いた条件であるから、
そのなかで最善の道を選択できるものである。

50人弱が働く職場を、
2ヶ月で整理して、
そのなかに人だけではなく、
共に働いてきた冷蔵庫も、8坪分だけは、
この小豆島で、いつか立ち上げる時が来ると、
一昨年の年末に高槻を搬出して、昨年の正月に小豆島に搬入していた。

搬出の時は、周りの方の御機嫌にも、助けられて、
終始、希望にたんたんと包まれていた。
しかし、此処にこの日こうして、
再度立ち上がってくると、
どうもいかん。

この2年の、
無情と無念が、
新たな形になった喜びに、
心がふるえ、かたまり、
裂けそうになる。

この気持ちを、
唯一共有できる可能性がある人間に、
社の中川がいる。

朝から始まった再建に、
昼に農作業を終えて見に戻ると、
画像のところまで出来ていた。
確か『最近土曜日は、午前中まで社で仕事をしています』を思い出して、
急ぎ、撮影してパソコンに落とし、メールした。


時期を同じくして
昨夜あの冷蔵庫は
どうなっているのだろうと
思っていたところです。
ブログに倉庫の掃除の話が書いてあり
そういえばあの冷蔵庫はまだ解体されたまま
埃をかぶっているのだろうと思いながら、
建ち上がった絵が冷蔵庫の姿が・・・・・・
昨夜社長の電話をもらう直前ブログを
読んでいてふと頭を過っていたところです。

うれしいです。
メール有難うございました。

中川佳夫

と返ってきた。


わぁおぅー




2009.05.08 Friday

【野菜の栽培】 唐辛子の定植

 


でけた。
何処の言葉か正確には知らないが、
小さい頃から、気を入れてやった事は、
『でけたぁ〜』である。

約1000本、去年の試験栽培の10倍。
ハウスが風で飛んだりして、ようやくたどり着いた。
トラクターで畝を作るが、
傾斜地でのトラクターの走行が如何に恐ろしいか。

最初の頃は、恐いもの知らずでやっていた。
『イザとなったら、転ぶ逆側に飛び降りたらいいや』
と思っていた。

でも実際、転(こ)けるか否かの瀬戸際に、
トラクターは、飛び降りられるような構造になっていないし、
自分自身も、全身に力が入っていて、
瞬時に飛べるもんではない事が分ってきた。
特に今回は、苗が徒長し始めているので、
畑が少々ぬかるむなかを、最後の草取り兼ねた耕転に、
ハンドルが利かなくなって、にっちもさっちもいかなかった。

20馬力で、しかも中古だからパワーが無いし、
後に畝形成機を付けているので、
前輪が浮く。

ハンドルを切り過ぎると、曲がらない。
むしろ戻した方が、多少の幅で曲がる。
でも、気持ちは恐怖で満たされているから、
どうしてもハンドを切り過ぎてしまう。

こんな処で事故にあったら、
誰も気の毒がってくれなくて、
むしろ、『フンっ』って思う人の方が多かろうと、
そんな事まで、考えながら恐怖とハンドルと戦っていた。

佳代子が肩に担いでいるのは、
株間の2寸ずつに、印を付けた篠竹だが、
その右手の草が残る2畝は、恐怖のあまり逃げ出した。

トラクターの下敷きになって、
唐辛子ではなくて、私が植わってしまう事を想像した。

昨日までの雨で、午前中は足元も軟らかく、
こんな足場だったら、
さすがのイチローもヒットを打てないだろうと思いながら、
午後からは、作業もしやすく、根も付きやすい湿り具合で。

本当にいい土になってきた。
農家が作物より、土作りにこだわる気持ちが分った。
美味しい野菜が出来るのも嬉しいが、
土が段々良くなってくるのも、何とも誇らしく思える。

そんな訳で、今日は終了後、
トラクターを念入りに磨いた。
こいつが踏ん張ってくれたお陰で。



本当に今日も、この畑の左端の畝で、
引くも地獄、進むも地獄を味わった。



だから、思わず抱きしめる代わりに、
写真を撮ってやった。


2009.05.07 Thursday

Mark Knopfler



今日はしっとり降って、部屋の中には洗濯物が並んでいる。
台風1号の影響だろうが、梅雨みたいな二三日である。
マークノップラーとチャールズ英国王みたいなおじさんの競演。
バンジョーを持った方が似合う、兄弟のような兄さん方。
のんびりした朝だった。

デビット・キャラダインって俳優を知っているだろうか。
私が若い頃、テレビドラマで少林寺の修行が出てきていた。
ふっと、マークノップラーの顔を見ていて、
思い出した。

玉葱を吊るす為、倉庫を掃除していると、
電動シャッターをくぐり、真っ直ぐにスズメ蜂が、
奥に向かって行って姿を消した。
柱のボルト止めで刳(く)り貫いた部分。
コツコツと巣作りをしている。
まだ巣は球状になっていない。
電球に傘が掛かっている程度。
電球部分には卵であろう小豆か大豆程度が、
理路整然と並んでいる。
掃除機で吸ったろうかと思ったが、
何ぶん現役の巣は初めてなので、
何が出てくるか判らない。

役場に電話をした。
駆除係りのような部署があるのかと思えば、
民間の業者を紹介してくれた。
電話をすると都合良く、午後からこの近くに用事があるとの事で、
直ぐに来てくれた。

どうするのかなあと興味深々で見ていると、
全身真っ白の防護服(私はこれが見たかった)に身を固め、
白を蜂は嫌うらしいが、
それ以上に滑って蜂が刺すまで、摑(つか)まっていられないらしい。
逃げ場を防いで、洗剤をピュッピュウと掛けて終い。

私の見立て通り、女王蜂だけで卵を産み、
巣作りをしていた事になる。

今年は家にもよく入ってくる。
もう三匹もやっつけている。
やっつけて庭に放り出しておいたら、
自分では端まで見えないであろう、その大きな蜂を、
小さな蟻が、集団で巣に運ぼうとしている。
見ていると、動くのである。
全員が巣の方向を知っていて、
一所懸命担いでいる。

ところが、巣穴の入り口は狭くて、
とても入らない。
更に時間が経ってから見てみると、
入り口まで運んで、後はバラして運び込んだようで、
跡形もなくなっていた。

最近は、こんな事にばかり心を奪われて、
白状すると、商売に、もひとつ身が入らなくなっている。
『カッ!』 とスイッチが入らない。
どうもいかん。

56にもなって今頃、生きる基本を学んでいて、
どうなるものでもないだろう。
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