2012.02.29 Wednesday
ルールに従う
割と、頻度高く思う事がある。
昨日私が乗った新幹線車両。
乗客は10人程度だった。
京都から乗って、指定席で、2シートの通路側を取っていたが、窓側に座っていた。
検札の方が、『 隣の方が来られたら、移って下さいね 』 『 ハイッ 』。
名古屋に着いた。
隣の席だ、という人が乗ってきた。
私は大ではないが、いっぱいの空席の中で、男が二人窮屈に隣同士で座ろうという訳だ。
私はゴメンなので、通路を挟んで隣の3シートの通路側に座った。
検札の方が『 先ほどこちらに座っておられた方ですよね 』 『 ハイッ 』 『 念の為に 』 『 ・・・・ 』
この風景は、よくある風景で、券売の兄さん姉さんも、・・・・
言われた事を信じるなら、二酸化炭素の増加で気温が上昇していると、思っているのだろうか。
2012.02.27 Monday
ハウスの内張り
昨年末にニラの森さんのところに行って以来、結露の落下をどうして防ぐかを考えていた。
この天井の低いハウスに針金を張る訳にもいかず、半分イジケながら何か簡単に出来る方法があるはずだ、
と、いつも得意のやっつけ仕事の方法を見出そうとしていたが、月曜の朝、そのアイデアは突然やって来て、
やっぱり、何てことは無かった。
0.1mmの少し軽いビニールをパッカーで、パイプに留めるだけ。
何で、針金から頭が放たれなかったのだろう。
既に、そのビニールは買ってあったので、パッカーを買い足して、留めて歩いた。
これで、ある程度の露の落下はあっても、今までのように、土が跳ねてベビーリーフを汚す事は無くなる。
2012.02.26 Sunday
春の雨
金曜日の朝、窓から見ると、雨にスカイツリーが舫っていた。
『 月さま あめが ・・・ 』 と言ってくれる人は生憎、いなくて、
買おうにもコンビニも無く、買っても帰りの夕方までには上がりそうだったから、
『 春 さめじゃ〜 ・・・ 』 と浅草寺の中を、濡れながら歩き、本堂の軒を借り、お辞儀もしないで横切っての出勤。
いち日晴れたと思ったら、今日はまた朝から霧のような雨が降っていた。
確か、この日は、中川が高知で人参をジュースにして試飲してもらいながらの宣伝販売をしているはず。
口ではヘラヘラと能天気な事を言いながら、臍では一文字に結んで、じっと我慢のしどころと堪えている。
2012.02.25 Saturday
鉄を打つ
自分の何代か前の人に、鍛冶屋さんがいたと聞いた。
記憶では、こんな刀や刃物を打つのではなく、農機具を打っていたんじゃないかと思っている。
姫路のお客様で書写という地域にお店を持たれていて、そこで社長と会う約束をさせてもらい、
姫路の東の外れから、トコトコと車を走らせていると、お城を過ぎた辺りで 【 菊重本店 】 という刃物屋さんを見つけた。
ちょうど、小豆島の包丁は、この家に来た時に、とりあえずホームセンターで買ってきた物をそのまま使っていたので、
この店を一度覘いてみたくて、ずうと機会を伺っていたが、この日は日曜日で、朝から雪が積もっていて、
畑に入れず、それで早めの船に乗って行ってみると、刃物もさる事ながら、農具と山の道具がバリッとしたのがいっぱいで、
どれも、マニアックなプロ仕様で、垂涎物の道具が山ほどあった。
使う、という意味でもそうだが、ひょっとしたら作るという意味でも惹かれる血があるのかも知れないと思う。
今年は早々と、ゴボウが姿を消してしまっているみたい。
それで急遽鹿児島の新ゴボウ、何て品種だったか名前を忘れてしまったが、
元々普段見るような大きく長くならないゴボウで、< 姫ゴボウ > って言ったかな、
もう10年ほど前に、このゴボウと出会って、恋して、取引を頼んで帰ってきたのだが、帰ってくると、
聞いた価格が1.5倍に訂正されていて、少しガッカリしてしまってそのままフェードアウトしてしまっていた記憶がある。
でも、味はすこぶる好い。
柔らかくて、味が染み込み易いので、薄味でしっかりした味付けになり、香りの邪魔をしない。
買いたての包丁で、切られている事が写真にもはっきり出ていて、エッジがしっかり立って、
断面を見ると、細胞が潰れていなくて、サッと切られている状態がよく見える。
こういう切れ方をした野菜は、鮮度も長く維持されると聞いたが、そうだろうな。
2012.02.23 Thursday
Slow DE Fast な商品の 営業
左は、初日の設営からホテルへの帰り道、右は二日目の会場への出勤道。
この寺は、【 浅草寺(せんぞうじ) 】 というらしい。
この寺の東に会場があり、西にホテルがある。
真ん中を抜けて行き来しているが、中学の修学旅行で来た雷門は、南にある。
で、こんなブースで遣っている。
(有)まきばの【プレフライコロッケ】と新潟県産黄金もち米を使った【五目おこわ】、
木曽路物産(株)の【蒙古王かんすい】を使った(有)金子製麺の【冷凍ら〜めん】を、中心に宣伝している。
いずれも、製品を作るまでの原材料確保と製造工程は真面目一徹の時間を掛けたSL0WFOODで、
食べる時は、冷凍製品なので、温めてるだけのFASTFOODに、早や変わりする食品をテーマにして訴えている。
訪れてくれるムソー(株)さんのお客様の評判は、上々である。
ポイントは、プレフライコロッケと五目おこわは、電子レンジの上手な使い方を提案している点にある。
コロッケなら、食べられるまでのチンする時間を4分の3で、一旦取り出して、家庭のソースを薄っすら掛けて、
もう一度レンジを4分の1掛けると、ソースがコロッケの表面だけではなく、中まで満遍なく染み込み、グッと美味くなる。
冷凍ら〜めんとうどんは、具材のたっぷり感と鍋一個で簡単に可食状態になると、商品を裏向けて説明している。
楽しみな話しと共に、残念な話とがある複雑な商談会になっているが、神の配剤と思わざるを得ない、
ラッキーな出来事も朝からあり、相変わらず、不思議な縁の中を歩いている。
夢なら早く醒めてほしいし、夢で無いなら早く実現してほしい。
2012.02.21 Tuesday
プー パット ポン カリー
懐かしい。
チケット売りのH・I・Sの娘とも仲良くなるくらい、通った。
TGはタイ航空だが、先日機内スタッフがテレビに出てきたら直ぐに分かるほど、フィリピン航空の服も目に焼きついている。
タイで食べた料理で、一番好きなメニューは、名前は出て来ないが、春雨をいっぱいの香辛料系の野菜と蒸しあげた料理だった。
好きなシーフードを、好きな料理法を言って、食べさせてもらうレストランで、海老の塩焼きを食べたくなって、
『 Barbecue with salt 』 って言うと、怪訝な顔をされて、確認されても繰り返すと、その通り塩焼きにして持ってきてくれたが、
輪になってこっちを見て何やら話しているし、料理人はテーブルにまで来て、『 本当にこんなものが美味いのか 』って顔された。
思わず 『 Simple is beautiful 』 って言ってやろうかと思ったが、それが英語かどうか分からなくてやめた。
まあ、彼らにしたら、香辛料・調味料の妙味が料理という文化なんであって、塩で焼くだけなんてのは、野蛮なのかもしれない。
吉本隆明の言葉を検索で読んで、パソコンに記憶させておいたのは、この記事がヒットしての動機だったことを思い出した。
・・・・転載始め
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1105 標題 <この国はどこへ行こうとしているのか>科学技術に退歩はない:特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本 よ! 文芸評論家・吉本隆明さん 掲載誌(紙・書)名 毎日新聞(東京夕刊) 出版地 東京 掲載頁 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110527dde012040005000c.html 掲載年月日 2011.5.27 区分 取材談話 見出し・語録 雨がポツリポツリと降るなか、路地奥の行き止まりに自宅はあった。案内されて和室で座布団に座ると、 隣には白い猫が1匹。吉本さんは四つんばいで現れた。糖尿病や前立腺肥大、足腰の衰えなどで、体が不自 由な状態にある。日本の言論界を長年リードした「戦後最大の思想家」は、そのまま頭が床につくくらい丁 寧なお辞儀をした。白内障の目はこちらをまっすぐ見つめていた。 東日本大震災の取材で歩いた現場を「焼け野原にも似た光景でした」と伝えると、聞こえにくくなったと いう耳に神経を集中させていた吉本さんは静かに語り出した。「おっしゃったような光景から東京大空襲を 思い出します。友達を捜すために焼け野原を歩きました。煙に目をやられた人々がトボトボ歩き、周囲には 遺体が転がっているだけでどうにもならない。逃げた方向によって全滅に近い地区もあったと思います」。 何かを訴えるように両手を動かす。 東京・月島生まれの詩人であり、文芸評論家。政治、経済、宗教、哲学、カルチャー……あらゆる分野に わたり、出した本は300冊以上。1960〜70年代には多くの若者の支持を集め、今も言論界で活躍す る。「知の巨人」とも呼ばれる。 吉本さんは大震災について「僕は現場まで行くことができない。戦争では戦闘の近くまで出かけていき実 感しているけれど、今回は距離の隔たりがある。避難民がもっとごった返している場面を想像していたんだ が、ポツンポツンとして静かな感じがする……」。 ふと、04年に出版された吉本さんの著書「人生とは何か」の一節を思い出した。 <(体は)ボロボロの状態です。「老いる」ことと「衰える」ことは意味が違いますが、こんな状況にな ったときには、死にたくなっちゃうんですよ。年を取って、精神状態がある軌道に入ると、なかなか抜け出 せないのです。僕は死のうとか、自殺しようとまではいきませんでしたが、「これは生きている意味がない んじゃないか」ということは、ものすごく考えましたね。(略)結局は、その状態を自分自身で承認するほ かないのです……> まずは現実を受け入れ、そこから始めるしかない。今の東北の被災者に似ている、と思った。 吉本さんは1982年、文学者らによる反核運動を批判する「『反核』異論」も出版している。その中で 核エネルギーについてこう記した。<その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についてい えば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の 党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。(略)自然科学的な「本質」からいえ ば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得 したと同義である> 東京工業大出身の「知の巨人」には、科学技術に対する信頼が底流にあるようだ。「原子力は核分裂の時、 莫大(ばくだい)なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、問題点はいかに放射性物質を遮断するかに 尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発 装置と同じくらい金をかけて、多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じ レベルの防御装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」 目線はぶれることなく、記者を向いている。こちらは専門的な内容を頭の中で必死に整理し、質問する。 「福島の土地に多くの放射性物質が降り注ぎました。2万人以上もの人々が住んでいた場所から避難して いますが」と問うと、吉本さんは「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれ ない。専門ではない人が怒るのもごもっともだが……」と理解を示しつつも、ゆっくり続けた。「動物にな い人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退 歩することはあり得ない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のと ころ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」 吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。<知識や科学技 術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃的であろうが否定はできないん ですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです> 話し始めて1時間半、卓上の緑茶をすすると、ぬるかった。家の人が熱いお茶をいれ直してくれた。吉本 さんは手ぶりがつい大きくなり、湯のみをひっくり返した。記者がティッシュで机をふいた。 「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされてしまったとい いましょうか。歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、支配力がある人たちが考え た結果が多く作用している。そういう時代になったことについて、私は倫理的な善悪の理屈はつけない。核 燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも大きなエネルギーを得られるようになった。一方、否定的な 人にとっては、人間の生存を第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、すでに 人間性を逸脱しているということでしょう」 いつの間にかいなくなっていた白い猫が、再び部屋に入って座布団に寝転んだ。吉本さんは気づいていな いかのように続けた。「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争で はたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持 ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」 気づくと2時間半が過ぎていた。吉本さんは疲れるどころかますますさえている。自らの思想を「伝えた い」という思いのみが衰えた体を突き動かしているのだと感じた。 「ただ」と続けた。「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決 になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています」 話を終えると吉本さんは玄関口まで送り出してくれた。言葉だけではなく「全身思想家」に思えた。
・・・転載終わり
『 後戻りは出来ない 』 って言うけれど、料理は<美味いものを食べたい>という本質的な本能に後押しされているが、
単に、< 儲けたい > という欲だけで進めば、料理のように緻密に管理・創造されて積み重なってきたKnowhowの辛抱強さは、
この場合発揮されずに、食い散らかしで後を省みない手法だけでは、その間危険極まりなく、操業中止は誰の目にも妥当で、
そういう意味では、御し難い技術を御すところまで人間の精神が進化を遂げていかないと、100mを9秒切って走れる、かもしれないこの時代に、
なんとも、相変わらずの、石油争奪戦に、何かちぐはぐな気がする。
2012.02.20 Monday
リンゴのクラフティー
先週の日曜日、高槻に戻って、洋食を食べてきた。
高槻で食べる洋食っていうと、数件のレストランがあるが、一軒だけ同年代の夫婦がやっている店がある。
行くと、大将が表に出て来ていて、中に入ると、もう看板が仕舞われていた。
『 えっ、もう帰ろうと思ってた ? 』 『 今晩は、暇だから早仕舞いしようと ・・・ 』
結局食べ終わるまで、他の客はひと組も来なかった。
二人が食べたメニューは、4500円と5000円のコース。
3000円台だったら、今の御時世は予約しないと入れないくらい繁盛する。
僅か千円程度の違いなんだが、この金額の差は、来店客数に大きな差を作る。
事実、この店は前回来たのがいつだったか覚えていないくらい久し振りで、もう少しカジュアルな店に通っていた。
そのカジュアルな店も、努力を感じるメニューの内容で、だから繁盛していて、その味に慣れてしまっていた事を、
今回、この年配夫婦の店に来て、思い知らされてしまい、少なからずショックを受けた。
この僅かな違いの額が、原料につぎ込まれていて、その素材の味を充分引き出すだけの年季を感じてしまったからだが、
そんな事ではなく、その事と繁盛とが繋がっていない現状が寂しく思い、分っている事だが、少し重かった。
そこは、デザートになると、ワゴンで7〜8種類の洋菓子を載せて来て、僕らが三種類選ぶシステムになっている。
そのひとつで選んだ焼き菓子が、大そう気に入って聞いてみると、『 リンゴのラフティ 』 だった。
早速、家で作ってくれた。
美味かった。
普通の家庭で作る、< 田舎菓子 > がいい。
が、この菓子は、プロの年季が上で、奥行きがあった。
本人は、少し巣が入った状態を指して、『 焼き過ぎたかな 』 って言っていた。
回数作れば、何をどんなバランスで入れれば良いかは分ってくるし、何より作り慣れる事が大事かな。
おばあさんの味噌汁みたいなもんで、僅かな味噌と醤油と塩で絶妙な味を引き出し、ケロッ としてる。