2012.08.31 Friday
お気楽
今日は、姉に橘香道の写経の話をしたので、久し振りに写経ネタです。
本気になって写経はあまりした事が無くて、横着を以って旨としていた。
それでも、イザ写経すると、割と上手く書こうとしていて、結局は自分でも気に入らない文字が並んでいた。
今は松本に戻っている水田がここに居る頃、色んな方の写経や筆文字を見せてくれて、
なかでも、良寛さんの文字は、屈託が無く、気楽に書いてあるように受け止められて、
しばらくして、自分も書いていて楽しい文字を書こうと、こういう写経に変ってきた。
やっぱり、字は下手だが、それでも書いていて、何か楽しくなって、「 もっと面白い字も書けるのではないか 」 と思えてきた。
2012.08.29 Wednesday
姫路と網干、高砂と加古川
今週の花。
ちょっと強烈。
小豆島では、百日紅(サルスベリらしい)が、咲き始めた。
何処から何処までを<播磨>というのか知らないが、
彦根から京都に行くのにJRに乗ると、『西明石行き』か『網干行き』だった。
明石は分るが、西明石とはどんな所なのかとか、網干なるところは何処に存在するのか、神秘に満ちていた。
御客様の【網干店】という文字は、10年も前から見てきたが、今日は実際に行って、行く途上で<網干駅>なる標識を見つけた。
まったく縁の無かった地なのに、懐かしさや嬉しさが可笑しかった。
6店舗ほどに、この月初め、冷凍製品を8品目配置して頂いて、一度もお店に行っていなくて失礼していたが、
今日、遅ればせながら、ようやく全店を訪問できて、ちょっとテンションが高くなっている。
2012.08.28 Tuesday
おろし金
夕飯の仕度時、私が座っていると、この作業がまわってくる。
今日は、初めてお目見えの道具。
そう高価には見えないこの道具は、滑らない割りに、肝心の卸し金部分の切れ味が、今ひとつだった。
この大根卸は、サンマの塩焼きに添えられて出て来た。
美味しかった。
子供の頃は、サンマの腹の部分の苦味が苦手で、これをいつも取り除いて食べていたが、
この苦味が実は大根卸と良くあい、妙味はここにあるとは思わなかった。
価格を聞いてみると、立派な形(なり)をしていたが、一尾248円と知って、そういえば大人になってしばらくは、
秋になって、毎年サンマの価格がテレビのニュースで報じられ、物価の上昇よりサンマの不漁による環境変化が話題だった。
今はマグロに代表されるように、遠洋漁業の大型の魚が当たり前のようになっているが、
こうして冷静に魚を食べてみると、近海の小型の魚を一尾丸ごと食べる方が、食事としては健全である事が良く分る。
『 料理長 』 は、毎度の事だが、魚を食べるのが苦手のようで、見るも無残な食べ方をしていた。
今までは、釣ってきたキスの塩焼きも、私が身を解して、料理長の御飯茶碗にのせてやっていたが、
思わず、『 少しは上手く食べられるようにしろ 』 と、まさか、息子の結婚式の料理に、サンマが出てくるとは思わないが、
これでは、とても人様の前で魚を食べる事が出来ないので、鮭の皮を食べられないとか、
鯛のあら炊きの骨を分解して、しゃぶる美味しさを知らないのはいいとしても、
漁師と魚に感謝して、骨だけを残してきれいに食べられるように、教える事にした。
別に苦手の、ひとつやふたつはあってもいいのだが、意外と素直に聞いていた。
2012.08.27 Monday
右脳と左脳
出自不明
でも、本当に右脳と左脳の違いなんてあるのだろうか。
私は、ずうと指先の細胞にも記憶装置と思考能力が備わっていると感じてきているし、人にもそう話している。
おしゃべりな私は、いつも勝手に口がしゃべって、頭が後追いで整理をしてくれている。
このブログだって、指が勝手にキーボードを打って、後で辻褄を合わせているだけで、感覚と思考の境界も無い。
ずぼらといえばそれまで だが、この1年 2年は、大して考える事も無く、ただ流れに身を任せて進んでいるだけだが、
特に不安ということもなく、そんな事は無いか、不安が過(よ)ぎる事もあるが、何故かその不安は定着しない。
でなければ、2反半程度の南瓜栽培に一所懸命になどなってられないし、自分の仕事の質に疑問を持ちながら、
その仕事に打ち込んでなどいられないはずだが、何故かこのひとつひとつの果てにこそ、至福の時が待っている気がしている。
2012.08.26 Sunday
いつも
いつも、カボチャの抑制栽培が始まると、他の事に手がまわらなくなり、
それでも、年々しなければいけない事が増えてきているので、それなりに大変なのだが、
どうしても、庭の世話は一番最後になり、始まる前に、だからと思って掃除をしておいたが、やっぱりこうなって、
一段落している間に、もう一度きれいにしておこう。
報告がふたつ。
南瓜は、順調です。但し、歩留まりは秘密です。
私の腰は、『 定植作業中にどこかに飛んでいった 』、と書きましたが、本当です。
結石は数日前に、無事体外へ出て来ました。<梅ちゃん先生>は、誤診ではありませんが、判断を怖がったという事です。
私に陣痛という痛みが分らないのと同様に、結石の腰痛は、彼女には医学書で症例パターンを記憶するだけです。
彼女が熱心であれば、私にもっと取材をし、生きた判例を得る事が出来たと思いますが、彼女も人を選んだのでしょう。
そもそも何故、毎年夏のこの時期に結石になるのかというと、身体の水分が汗となって全身から出てしまい、
じん臓という器官を通して出て行く水分量が、極端に減少するからではないか、と自己診断しています。
スイカ糖のような利尿剤に頼った事もありましたが、夏の暑い時期にあの甘ったるい味を毎日舐める事は気が進まなく、
偶然ですが、このところ一気に煙草の量が増えたこともあり、
今年は、≪ムソー三年番茶がぶ飲み作戦≫で、毎日3リットル位の番茶を飲んでいます。
みなさん、私のような腰を気遣っていただきまして、ありがとうございます、お陰さまで軽く済み、感謝しております。
2012.08.25 Saturday
・・・・・・
この数ヶ月、毎朝5時や4時に起きていて、睡眠時間が昼の動きにそぐわない短さだった。
浅草で二日間仕事をしての帰りの飛行機が、20時15分発で、その次の朝が5時出発の予定だった。
ところが、戻る予定の飛行機が1時間も遅れるとアナウンスがあり、何故か絶望的な気になってしまっていた。
出発1時間前だった事もあり、搭乗口付近はガラガラだったので、4席並びのベンチに、靴を脱いでスーツにネクタイ姿のまま、
長々と仕事鞄を枕に横たわり、元々、恥や外聞って言葉とは無縁に生きているが、その通り眠りこけていた。
いつも、路上やら、ひとの集まりやすいところで、2〜3個の荷物と共に寝ているひとを横目で見て、
自分との違いを探していたが、着ている服が少し違うだけで、さすがにこの時は寸分違わなかったように思う。
小一時間経って目が醒めて、あたりを見渡してみると、待合のベンチは余す所無く埋め尽くされていて、
目の前を、小学校・中学校程度の親子連れ三人が、座る場所を探しているところだった。
いつだったか、那覇の仕入先の女性社長に、船に乗るなりいつも横たわって眠りこける私に、
「 吉田さんは、旅慣れているのですね 」 て、言われたが、幼児と一緒で乗り物に乗ったら眠ってしまうだけで、
この時も、事情は違うが、気にしていたのは、「ここで椅子4つ占領してもいいよな」 と周りの状況を確認しただけだった。
「 こんな、ジジイの横に座るかな 」 と思いながら席を2つ空けたら、選ぶ余地が無かったからか、
二人の子供が座り、お母さんはひとつ横で1席空いていた所に座り、本を読み始めて私を気にする風でもなかった。
へとへとに疲れてしまって、高槻の家に戻ったのは23時30分だった。
それから、晩御飯?を食べて、抱えてる問題を解決して、眠ったのは日を超えて3時近かった。
4時に起きて15分コーヒーを飲んで、でも身体が動かず、45分まで30分寝て、15分で顔を洗えばいいと、
ベッドに転がったが、 「 45分よう 」 と声を掛けられたが、その時は、「 ひと船 遅らせる 」 と起きなかった。
そんな調子で、今朝は何故か、無事な南瓜を昨日見て、ホッとしたのも手伝って、8時頃まで起き出そうとは思わなかった。
前日の夕方に、播種する畝は焼いていたので、90分あればベビーリーフの播種作業は終わるので、
ダラダラしながら、家に戻ったら11時を少し回っていて、早いけど昼にしようという雰囲気で、待っていてもなかなか出て来ず、
「 何か手の込んだ物を作っているのかな 」 と思っていたら、「 〇〇〇〇さんで買ってきた 」 って画像の韓国冷麺だった。
なんとも、シャープさのかけらも無い味で、私は我慢して食べ切ったが、『 料理長 』は、半分残していた。
この後、夕方の5時まで昼寝が続いて、この数ヶ月の寝不足を一気に解消した。
解消したら、身体のあちこちのくるぶしが痛くなっているのに気が付いた。
2012.08.24 Friday
恋するマロン 定植後10日
さながら、恋するマロンの抑制栽培日誌みたいな様相で、自分でも他に記すべき事は無いのかと思うが、
それでも、この作物は、畑に行く度に違う顔を見せてくれるので自分では飽きはしない。
初期の水遣りの、畝の左右高低さもあって、列によって初期成育不足の箇所がハッキリしてきた。
画像では、手前の方が遠心力が働きにくいというか、向心力が強いというか、要はマルチの上に流れた水が入りやすく、
従って、こちらの下の方は成長が正常と思え、上の方の株は初期の根張りを苦労したように見て取れる。
ただ、私の勘だが、いずれ追いついてくるようにも思え、今年は2週間定植が早いので、遅れても間に合う気もしている。
水を我慢した甲斐もあり、徒長気味だった苗が少し改善されてきていて、しめしめと顔がほころぶ。
次は、追肥をして、中耕し、そろそろ台風の準備をしとかないと、大きな台風が来るような気がする。
来るならあまり樹が大きくならない来週か再来週に、しかも木曜日から土曜日に来て欲しいと思っているが、そうもいかないか。
2012.08.22 Wednesday
どぜう
今年は浅草に縁があるみたい。
10月にも、もう一度来る事になるが、どうもこの街が気に入ってしまっている。
江戸って、いうと、やっぱり海に注ぐ川べりのイメージが、そう云われれば普通かもしれないが、
仕事場から、<浅草ビューホテル>まで、2kmほどあるが歩いてみようと、川淵を歩き始めた。
一日立ちっ放しで、腰に、じんわり痛みを感じながらも歩いていると、
川船が縁に停めてあり、この船と宿がセットになった観光資源がここにはあったのかも知れない。
浅草寺に集まってくる人の副産物というか、名目に隠れたもうひとつの楽しみがここにはあったのか、
羽目を外す楽しみが、かつては色々用意されていて、その、賑わいが残した光の裏側を歩いているような気がしてくる。
琵琶湖育ちの私は、水辺の文化に馴染みを感じやすいのか、
こうして頻繁に出張する様になって、<どじょう>なる文字を見ると、必ず食べたくなって注文をする。
子供の頃に、どじょうを買いに行くお使いが好きで、
どじょうってのは、忙しく上下に泳ぐ変な習慣を持っていて、それが何とも興味をそそり、
そのどじょうを千枚通しを使って、手際良く捌いていくおばさんの姿に見とれていたほど、身体の底に焼き付いているからかな。
ちょっと今のこの国には、場違いに思えるような賑わいを見せる飯田屋ってどじょう屋を出て、
寂れた裏通りを遠回りしながらホテルに帰る道で、爺さんたちが集まっているコーヒーショップを見つけ、
一旦通り過ぎてから、後戻りして珈琲を飲みに入ったら、やっぱり丁寧な一人前の味が出てきた。
爺さんたちは、上品でも何でもなく、でも店のところどころにマリリンモンローの白黒写真が飾ってあった。
悪戯小僧のままジジイになったような集まりで、お金を払いしなにカウンターの中を覗くと、他に人は無く、
『 やっぱり、この爺さんが淹れてくれたのか 』 と思い、何故自分がこういう喫茶店が好きなのかの理由を告げると、
軽く笑いながら 「 また来たら、ふらっと寄ってくれ 」 と言っていて、外に出るとプリウスの個人タクシーが2台停まっていた。
きっと、あの客の爺さん二人は、婆さんをほったらかして、もう稼ぐ必要もないのに、自分にか婆さんにかの言い訳に、
個人タクシーの運転手を続け、仕事もせずにこういうところで、愚にも付かない話をしているのだろう。
日本の夜に、コンビニにたむろする若者は、ギラギラした感じを隠さないが、タイの若者は、似たような状況でも、
こういう爺さん達の様に、どこかのんびりと今日と大して変わりの無い明日の間の、時間の流れに漂っている。
ああ、いいなあ と思って、少しの間、其処に身を置きたくなる自分に、「 お前もジジイになったなあ 」 と、言っている。