骨格のある大葉
こんな大葉初めて食べた
ベビーリーフの入念さ
同窓の人ー福原紀彦君
「 行動する知性 」
少し、まじめに描くと、
高校の同級生で、中央大学の学長で総長の講演が、あった。
この高校を卒業してから、ずうと根無し草か浮草みたいな稼業で、
そろっと、この旅も終わりに近づいてきていて、今更帰りはしないけど、自分の生まれたところが恋しくなり始めている。
そんな事もあって、この催しへの誘いがあったとき、< これも何かの縁 > と思って、聞いてみる事にした。
なかなか、聞き応えのある内容で、その中の一節の言葉を耳にしてメモまでした。
現実から遊離して得た知識も、いつか現実と合致して、血と肉につながり、空から色づく時が訪れ、
その時に、知識は知性へと変換され、知識は私的なものだけれど、知性は公共性を帯びるもので、
これが自然と他の為に動こうとした時、志へと昇華するのであって、その基となる < 素 > を養う事を教育と言う。
これを中央大学の「 人が人を育てる 」 教育方針とした という講演であったように聞こえた。
そもそも、中央大学は、増島六一郎なる幕末の彦根藩に生まれて、明治〜昭和迄を生きたひとが、
維新後の国造りの為に、英国に留学する資金を、三菱創始者の岩崎弥太郎に資金援助を申し出て、後年、
その岩崎弥太郎が学校経営に行き詰ったとき、その縁で買い上げて作ったという、鶴の恩返しみたいな話だと言っていた。
自分が歴代最年少で総長・学長の立場を得たのは、数学が得意で理数系で学び、
その後に、文系の法律を身に着け、弁護士資格を有したが、電子決済が日本で取り入れられる時、に、
数学が分かる法律家という事で、国からの抜擢を受けて、そのプロジェクトの一線で活躍できた御蔭だと言ってもいた。
その数学は、高校生の時に友達と、難しい証明問題を解きあっていた縁の知識が、こうして役に立って・・・・と、
「 行動する知性 」 の話は、自分の話というわけだが、彦根出身の創設者に128年後、
同じく彦根で学んだ自分に、お鉢が回ってくるのも何かの縁 という、
この高校の新校舎落成記念講演にしては、出来過ぎの話でもあった。
大塚君、よくぞ誘っていただきました。
でも、今回私が出かける気になったのは、長い鉢巻きをおでこに巻き、
はかま姿で、体育祭の団の応援に本気になっている卒業アルバムに載っていた一枚の写真が、
ずうと、気になっていて、その答えを得るためでした。
その答えは、増島六一郎は、彦根藩の弓術指南役の父親が61歳の時の子供で、
同じ頃に長岡藩で父親が56歳の時に生まれた、山本五十六と比べて、
「 彦根藩は、長岡藩に勝った 」 と 心でガッツポーズを、
した気概の、冗談で充分に理解できました。