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2013.05.31 Friday

骨格のある大葉

 





乾燥しているんだが、乾燥している訳ではない。

必要最少減の湿度は充分にある。


それでも、聞くと「 収穫時に、必要と思えばスプレーでシュッ シュッ とする 」

「 出荷場でも、その後の事を考えて、必要に応じて、シュッ シュッ とする 」 



畑に行く前、社長室で話している時に、懸念の収穫後の製品作りのポイントを聞いた。


私の一番の心配は、いつも変わらぬ一定の湿度保持。


乾燥させて栽培する事は大切だが、よくお店で陳列される時に、

すっかり乾燥して、萎れてしまって、葉脈の窪みも無くなるほど、ダラーっとしてるものがある。



豊橋の農家と付き合っている時に、しばしば、その姿を目撃してはガッカリしたものだ。




話の上では、その点を充分理解してくれていたが、この出荷場の様子を見て、「 期待していいのかな 」 と思ってしまった。



詰まるところは、ハウスの中でも野中君と話していたように、「 健康な野菜は美味い 」と言う結論だ。


しつこいようでも、もう一度書くと、骨格がしっかりしているという事は、健康が力強さで表現されていることであり、

長く口の中に残る、清涼な芳香も、ちょっとやそっとでは挫けない意志の表れで、ひょっとすると、

この大葉は効くかもしれないな。




2013.05.30 Thursday

こんな大葉初めて食べた

 






記事は、またあとで落ち着いて書こう。

・・・・・


< 骨格のある大葉 > ってイメージがわくだろうか。


自分の中では、これが理想だと思うのだが、葉は、ぎりぎりに近いところまで乾燥しているように見えた。


話がひと区切りついたところで、「 いちまい、採って食べていいか 」 と聞いて、

「 勿論 」 だという事で、茎の根元から少し外して爪で切り取った。

表の画像を撮り、眺めていたが、裏の画像も撮りたくなって、ひっくり返すと、

葉脈が想像以上に綺麗に走っていて、如何にストレスがなく育っているかがよく分かった。

さて、ひと口かじってみたが、味は、今ひとつわからない。

もう、ひと口、  やっぱりよく分からない。

それで、諦めてバリバリ食べてみた。


味は分からなかった。

分かったことは、葉が乾燥しているのに、分厚いという事だけで、

葉脈は、葉の広がりに対して平行に走っているのに、垂直に歯ごたえを感じて、

つまり、立てに何かの通り道があるかのように、列を成している並んでいる何かがあった。


それで、何かの拍子に30歳を少し過ぎたかなと思う生産者が、

「 こんな薄っぺらい葉・・・ 」 と言うから、

「 そんな事ないよ、この大葉、厚みがあるよ 」 と話の脈絡とは違う事を言っていた。


私の、試食後の感想を言わないから、「 あれっ 」 と歯がゆく思ったのか、

彼は、自分で、何枚か千切って、重ねてそれを四つに畳んで、犬歯あたりで軽く噛んで、出たエキスを確認し始め、

「 自分の味の見方は、いつもこうして確認している 」 と教えてくれたので、

「 儂もしていいか 」 と言いながら、同じように5枚ほど採って折って、やってみたが、分からない。

「 噛むのではなく、軽く歯でしがしがとするだけ 」 とコツまで教えてくれて、

その通りしてみたが、味が分からない。

実は、その前に食べた一枚が、口の中で広がっていて、細かな味は感じられなくなっていた。

そんな説明をしながら、分からないことに対して、「 負け惜しみを言ってるみたいやなあ 」 と苦笑いをしてしまった。


結局、「 それじゃ 」 と言って、車で移動する道々、ずうと口の中は、大葉の味がなおいっぱいで、

それで、いつまでも引かない大葉の味が、嫌味かというと、そんな事はない、心地いい清涼感が口の中に広がっていて、


ようやく、この大葉は、美味いんだと分かった。




親父さんの後を、若くして継いでいる野中君は、どうも言っている事が、もうすでに老成している。

この年頃の農家は、どちらかというと頭が先に立ち、やたら采配を振るいたがる監督みたいな感じを受ける事が多いのだが、

彼は、既にそれらをどんどんとそぎ落として、自分が栽培しているという事の不自然さを充分に認識していて、

する事と、しない事との分別が明確で、選手の持てる力の発揮を邪魔しないように、どっしりと腰を下ろし、



じっと見守っている感じがする。


その、じっとしている姿に、迫力も感じるし、「 こいつは、いったい何者なんだ 」と思いずうと探っていて、

高校を卒業してすぐに、園に入ったのかと思って聞いてみると、「 農業大学に行き、その後市場に一年修業に出ている 」

と、こっちの心の底を見抜くように言うので、それでその言い方でようやく謎が解け、

「 子供の、それこそ中学校、小学校の頃から、ここに来て、大葉を見ていただろう 」 と言うと、

にやっ と笑って、返事をしなかった。



もう少し続くが、ちょっと疲れたから、明日に回す。




2013.05.29 Wednesday

ベビーリーフの入念さ

 







いつも小森のおばちゃんとは、実にいろんな会話をする。


歳の差を数えてみれば、19歳違うから、それこそ親子ほども離れているが、

話も気も合って、実際の作業の進展には、ほとんど会話をしなくても、互いに相手のしている事で、

自分がそれでは何を為すべきかが決まるし、相手がそれを期待している事も分かる。 



互いが、ちゃんと相手を見ている。


前回は、それがぴったり来て、いつも12蒔まで掛かってしまう作業がなんと、11時前に終了してしまった。



こういう単純な作業では、何よりの大事は、気分が滞らない事にある。


以前は、世間話はしても、肝心のベビーリーフの栽培については、互いに遠慮して、ほとんど話が進まなかった。



どちらかが切り出しても、中身が転がったり、積み上がる事はなかったが、今は、栽培が順調なことも手伝って、

自分の意見に責任を過度に感じることなく、感じている事を素直に述べて、相手の反応に自分の答えを探している。

自分の見立てと、その解決策に100%の確信がなくても、その思いつく解決策を言い、相手のまた別な視点、

別な頭からの解決策に、自分の出した答えの微妙な修正を施していって、また一週間を過ごす。


一番愉快なのは、黙って相手に乗っかってみる事かな。

乗っかられると、< 何故、乗っかってくれない > というようなブレーキを掛けるエネルギーいらなくて、

ひたすら自分の乗っけ方について、考えが及ぶようになる。






2013.05.28 Tuesday

えっ もう ?

 






今日から、宮崎の南瓜畑に行くのだが、

昨日、都城の人に電話をすると、

「 私は、明日から梅雨入り宣言をしてもいいと思っています 」


と言っていた。



こうして天気図を見てみると、

低気圧の特売が始まったような様相を呈している。



熊本にベビーリーフの農家を訪ねた時に、

「 今が一番いい状態で、梅雨に入ればまたややこしくなる 」

と言っていて、

「 うん うん 」

と大きく頷いていた。




絶好調の 【 小豆島産ベビーリーフ 】 も、なんとか耐えてみせよう。






2013.05.27 Monday

同窓の人ー福原紀彦君

 

「 行動する知性 」


少し、まじめに描くと、

高校の同級生で、中央大学の学長で総長の講演が、あった。


この高校を卒業してから、ずうと根無し草か浮草みたいな稼業で、

そろっと、この旅も終わりに近づいてきていて、今更帰りはしないけど、自分の生まれたところが恋しくなり始めている。


そんな事もあって、この催しへの誘いがあったとき、< これも何かの縁 > と思って、聞いてみる事にした。



なかなか、聞き応えのある内容で、その中の一節の言葉を耳にしてメモまでした。


現実から遊離して得た知識も、いつか現実と合致して、血と肉につながり、空から色づく時が訪れ、

その時に、知識は知性へと変換され、知識は私的なものだけれど、知性は公共性を帯びるもので、

これが自然と他の為に動こうとした時、志へと昇華するのであって、その基となる < 素 > を養う事を教育と言う。


これを中央大学の「 人が人を育てる 」 教育方針とした という講演であったように聞こえた。


そもそも、中央大学は、増島六一郎なる幕末の彦根藩に生まれて、明治〜昭和迄を生きたひとが、

維新後の国造りの為に、英国に留学する資金を、三菱創始者の岩崎弥太郎に資金援助を申し出て、後年、

その岩崎弥太郎が学校経営に行き詰ったとき、その縁で買い上げて作ったという、鶴の恩返しみたいな話だと言っていた。


自分が歴代最年少で総長・学長の立場を得たのは、数学が得意で理数系で学び、

その後に、文系の法律を身に着け、弁護士資格を有したが、電子決済が日本で取り入れられる時、に、

数学が分かる法律家という事で、国からの抜擢を受けて、そのプロジェクトの一線で活躍できた御蔭だと言ってもいた。


その数学は、高校生の時に友達と、難しい証明問題を解きあっていた縁の知識が、こうして役に立って・・・・と、


「 行動する知性 」 の話は、自分の話というわけだが、彦根出身の創設者に128年後、

同じく彦根で学んだ自分に、お鉢が回ってくるのも何かの縁  という、

この高校の新校舎落成記念講演にしては、出来過ぎの話でもあった。


大塚君、よくぞ誘っていただきました。

でも、今回私が出かける気になったのは、長い鉢巻きをおでこに巻き、

はかま姿で、体育祭の団の応援に本気になっている卒業アルバムに載っていた一枚の写真が、


ずうと、気になっていて、その答えを得るためでした。


その答えは、増島六一郎は、彦根藩の弓術指南役の父親が61歳の時の子供で、

同じ頃に長岡藩で父親が56歳の時に生まれた、山本五十六と比べて、

「 彦根藩は、長岡藩に勝った 」 と 心でガッツポーズを、

した気概の、冗談で充分に理解できました。



2013.05.26 Sunday

フランボワーズムース

 





今日は、高校の同級生から頼まれていた人数合わせを果たすため、
日曜にもかかわらず、ハウスを小森のおばちゃんに頼んで、昨日の夜に高槻に戻った。


家に帰れば、このケーキが迎えてくれた。


こんなに長く多くの人に、「 おめでとう 」と言ってもらったり、

メールをもらったり、プレゼントをしてもらった誕生日は初めてで、これから一年、また一年忘れ去られる事を覚悟しよう。


そういえば、一昨日に両替がてら、昔よく食べに行った「 ヒュッテ 」 という食堂のおばさんに、

「 もう、この島に来て7年経つけど、いつも元気やね 」 というと、

「 こないだ、古稀のお祝いをしてもらった 」 と言っていた。



年寄りの方が、何故か元気で、素直に飄々としてる。


じぶんは、まだ   かな。


風が心地いい、ゆっくりした、日曜日。



2013.05.25 Saturday

硝酸対窒素の残留測定

 





確かに、味が濃くなった。


「 濃くなって、美味くなった 」 って 言ってくれるひともいる。


確かに、そうも思う。

でも、自分の好みは、前の透き通るような甘みが好き。



それで、硝酸値を測定したくて、中澤に頼んだ。


結果は、昨年6月25日測定と、奇しくも同じ数値になった。



それにしても、伸びるのが早い。

現在の収穫適期は、18日から20日くらい。

梅雨になれば、もう少し鈍るのかな。



今は、刈り捨てながら、欠品を出す恐怖を克服しようとしている。






2013.05.24 Friday

イラスト-伊藤農園

 




ここまでが、イラストについている、宣伝の文句。

どなたが書かれたのかは、聞いていないので分からないが、

この作業というか、この仕事に愛情を感じているひと、が書いたような気がしている。


この伊藤農園さんが、ここまで発展した源は、つきなみの表現で恐縮だが この<愛情>という他ないような気がする。






このラベルは、馬路村のゆずポンが出る前に作られているが、この一見、見逃してしまいそうな雰囲気にあるような気がする。

あか抜けているとか、そういうレベルの < 素朴ねらい > が全く感じられないところに惹きつけられる魔法がある。

そういうものってのは、20年経っても少しも食傷気味にならない、まさしく 月並み っていう、

ベーシックなところにあって、このラベルは、聞くと地元のおじいさんが書いてくれたらしい。

きっと、この有田の山に植えられる、江戸の頃からのミカンの樹を見てきた人の、心情の底に焼き付いていた風景かも知れない。


かわらず、存在し続けられるものの自然との合致の仕方は、この表現は本末がひっくり返っているかも知れないが、



ずうと、ひとをくすぐり続けるものなんだろうと思う。



そのおじいさんも、もう見届けたのか、膨大なアイテムのラベル作りから引退をされたらしい。


モンドセレクション金賞 とか、最高金賞とか、数々の商品に対して表彰を受けておられたが、

その中に、地元の行政機関から、< 百年企業 > として、プレートを授与されていた事の方に、私は魅力を感じた。


いずれも、20年 25年を経て、新たな胎動のための揺らぎが、ここにもあるような気がしている。


昔を振り返れば、

私が、最初に伊藤農園で見た時は、この圧搾のお椀が一列に6個くらい並んで、その下に樋(とい)のような受け皿がついていた。


圧搾のエネルギーは、腕力で、50cm程度の棒を上から下に引き降ろし、絞り加減をひしゃげる果実を見て調整する。



今回は、工場には入らなかったから、現在はよく分からないが、一点だけ、コンベアーで絞った後の皮が排出されるが見えた。

その量で、この工場の生産量が見て取れて、従業員数30名と会社案内に出ていたから、たくさん絞ってるんだと思った。


殺菌温度も定まっていない頃からの取り扱いで、事故も少なからずあったが、社長、前は「 お父さん 」 の、

何とも言えない、まっすぐな努力と、外にはあまり出てこない熱っぽさで、こっちはなんの意気込みもなかったが、

自然と、我慢もできて、お客様になってくれる会社には、すべてご案内していたほど、メインの商材だった。


どこかで、気が抜けたというか、もう役目は終わったと思ったのは、近畿コカコーラの子会社が扱い始めた事だった。

当時は、郵パックの全盛時代で、そのカタログで見つけられたのだと思うが、この頃には、ノウハウも固まっていたのだろう。


俗に < 石の上にも三年 > と聞くが、信念というか、執念というか、何か賭けるものがあったのかも知れない。


久し振りに会った、お父さん、御主人、社長は、精悍で少し角を感じた顔は、すっかり温和な表情で、

伊藤さんに、伊藤さんというと、出会いの入り口だった奥さんを指すのだが、「 お父さん、えらい丸うなったなあ 」

というと、「 そう思う? 私もそう思うし、じっさい肥えてきたわ 」 って、ホッとした様子だった。


この ホッ とした気分に隠されたいろんな事が、きっと自分の中にもあるのか、見送ってくれた時に、

背中に、「 元気な顔を見せてもらって、・・・・ 」 安心したと言われたのか、うれしいと言われたのか、

そこは、聞き取れなかったが、ちょうどまた一歳から始めるには、いい門出になったと思っている。



奥さんとは、相変わらずで、応接間で話している姿しか記憶になくて、唯一、岩出に玉ねぎを見に行ったとき、

選果機に向かっている後姿が記憶に残っていて、今回もまた、今度はかんきつ類の選果機に向かっている後姿を発見した。


でも、お父さんとは、初めて触れ合うような、互いを認め合うような、会話がなされて、

試食に出された三種類のジュレを、ひとつひとつ試食したが、味がシンプルなので、勿論美味いんだが少し退屈で、

八朔と、ミカンのジュレを、出してもらった器に入れて、スプーンで混ぜ合わせて食べてみたら、

口の中で、二つの味がして、これなら美味いし、食べていても飽きが来ないと思ったので、

その話をしながら、ちょうどもう一人分の器とスプーンが出されていたので、

「 ちょうど、器とスプーンがあるから、やってみて 」 促すと、

素直に従ってくれて、「 うん、ほんまや 」と言ってくれた。


「 でも、こんな商品開発をしろと言ってるんと違うで、こんな食べ方もありますよ 」という程度でいい  と、

そう説明をすると、「 そう、食べ方の説明をすると、売れ方も変わるんよ 」 と応じてくれていた。



最近、同世代の人と話していると、昨日のとまと家族さんもそうだが、

ついつい長居をしてしまい、この記事も長くなってしまった。





2013.05.23 Thursday

伊藤農園さんの娘

 






バックコーラス の三人のうち、どの人かが奥さんだろうと思うが、

結局、脳腫瘍かなんかで 1980年代の初めの私の誕生日に逝ってしまったらしい。


YOU TUBE で、< redemption song > を聞いている時に、その娘が出てきて、


それ以来、その娘の歌いっぷりが好きになり、時々聞きたくなって、ここに上げている。



ブログも使い勝手が良く、その時に聴きたい歌をアップしておくと、<お気に入り>みたいなもんで、

自分のページを開いては、クリックすると、ちゃんと流れてくる。


気分は、大体ひと月からふた月続くので、その間は同じ歌を聴いていて、まこと便利。





昨年は、和歌山有田の < 伊藤農園 > さんに行って来た。

本当言うと、実に懐かしく、何度かこのブログでも触れたことがあったが、

うちの会社や、私の仕事始めのころに、いっぱいいろんなヒントを与えてくれた夫妻と、場所でもあり、


想いは、つまったままで、時は流れて 形も流れて、 先日、横浜のお客様が、

「 いつも発注書の一番下に載せておられる、柑橘のジュースに興味が・・・ 」 って言ってくれたので、

久し振りに電話をすると、ちょうど奥さんが出てこられて、昔話になった。

その内のひとつで、五人兄弟の末っ子の娘さんが幼稚園の時に書いた絵を見せてもらって、

私が、いたくその絵を気に入って、「 いやー、この絵は面白い、こんな大胆な絵は見たことがない 」

と、「 この子は、絵描きになれる 」 と言うた事を奥さんが憶えていて、その通りその道に進み、

「 なんとか、絵で食べているのよ 」 と言っていた。

伊藤農園のキャラも、その娘が作って、名前があるかどうかは聞かなかったが、ひこにゃんより愛らしい。



農家で、地元の集荷業者だった伊藤家が、すっかりジュースメーカーになっていて、

晩柑に特化した、おもしろいアイテムがいつのまにかいっぱい揃っていた。


いったいどこに紹介すればいいのか、双方に喜んでもらえるところは多くないが、

ひとり二人にでも 喜んでもらえるなら、自分も面白いから、少しずつ持って歩こうかな。





2013.05.22 Wednesday

ほんとだ!

 






朝一番に、スタッフと打ち合わせをしていると、

何やら、宅急便屋さんが隣の部屋に来ているらしくて、ちょっと違う雰囲気。



別に、何かが届く心当たりはないがなあ と思っていたが、

席に戻ると、大きな箱が届いていて、慌てて送り状を見ると、なんと上の姉からだった。



うまく取り出したつもりだったが、ふたつ 花がこぼれてしまって、それを会社の中澤が拾ってくれた。






こんなことをしていると、母親から電話が掛かってきて、< きょうは、まわりにとっても特別な日らしい >




午後になると、今度は長男がケーキを買って来てくれて、みんなにも分けてくれた。

だれも、どう言っていいのかわからない様子だったが、「 しゃちょう おめでとうございます 」

と、渡辺さんが代弁してくれて、




初めて、子供から誕生日を祝ってもらう、くすぐったさを味わったが、ケーキはそれとは関係なく美味かった。



今日は、早めに家に帰ると、 「 何が たべたい ? 」 って聞かれて答えていた、

「 ロシア料理が食べたい 」 と頼んでいた < ビーフストロガノフ > 作りが始まっていた。


今年の2月から一緒に住み始めた16歳の娘が、いつもと違う、「 自分が作るんだ 」って表情で、

「 とまとは、どう切るんだ 」 って聞いているが、母親は、私へのプレゼントと一緒に届いたブーツに気をとられている。


だれも、見たことも、食べたこともない料理を、ipad 頼りに、

圧力釜の圧を二度も、掛けたり、抜いたりする複雑な調理を、一歩ずつ前進した。


出来上がった、ビーフストロガノフは、なるほどロシア人が好んで食べそうな雰囲気で、手間をかけた分、実に美味くて、

草食動物かと思うくらいの、てんこ盛りのベビーリーフと一緒に4人で平らげた。









前日、増井さんに 「 明日で還暦なん ですよ 」 というと、「 じゃあ、また一歳ですね 」 と言ってくれた。



たしかに、そうなのかも知れないと思う。

「 生涯現役 」 を目指して、うちの会社に入社をして来てくれたが、

じぶんも、欲張って、もう一回、別な生き方をしてみよう。




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