2016.04.29 Friday
東京オリンピック
真面目な事ばかりを書いていると肩が凝り、最近寝ている間にこむら返りがおこり、泣きをみている。
発展途上国だった1964年と違い、世界を相手に金を稼ぎまくってからの時代に開催地になるのだから、
選手村は当然 オーガニック一色 になることくらいは予想がつく。
世界から見て、この国の食べ物が、とりわけ農畜産物がどう見られているか、知っておいた方が良いような気がする。
ずばり、あまり信頼されているとは思えない。
それには理由があり、乾燥地帯の欧米や豪州の農業と、多湿のこの国の農業とは、根本的に違うのだが、
やつらは、そんな事お構いなしに、自分たちの常識・慣習を突き付けて来て、批判がましい事を言うような気がする。
たとえば、「 この国に、硝酸態窒素の残留値基準が無いのは、信じられな〜い 」 とか、
「 この国の、オーガニック基準はあますぎる 」 とか、アスリートのストイックさが前面に出てきた時に、
さて、どうする、と思う。
When in Rome, do as the Romans do. と言えるか。
Rome なら言いそうだ。
According if put in a township to township
傲慢な○国なら、日本に来て、彼の街の慣習に合せろと平気で言いそう。『 郷に入れば郷に従え 』 と、農林水産省の連中は、両手に大根を持って踊れるだろうか。
あの学校のひと達が、省を従えてればやるだろうが、お勉強ばかりで暮らして来たら、巻かれてしまうだろうな。
しかも、開催は7月末から、8月初旬の、梅雨が明けて一気に高温になる気節で、虫君も菌ちゃまも今からの季節。
さて、どうするべえ。
ちょうど、会社で小分けの認証を取得する機会が巡って来てるから、せめてこの国で唯一世界を見ている団体に、
格付けを監査してもらおうかと考えて準備をしている。
前回は、社長さんをしていたが、
今回は、ひともいないので自分も確認に加わって、
作業の進展をみまもっているお陰で、如何に面倒な作業かも理解し始めた。
出来る事なら避けて通りたいが、それなら仕掛けが薄く、役に立てる事も限定的になってしまうので、
がんばるしかない。
あ〜〜、やだやだ。
がんばるのは やだ。
きょうは、小豆島への移動日。
2016.04.28 Thursday
移動する農場
ネスレ日本株式会社(本社:兵庫県神戸市、代表取締役社長兼CEO:高岡 浩三、以下「ネスレ」)と、
養老乃瀧株式会社(本社:東京都豊島区、代表取締役社長:矢満田 敏之、以下「養老乃瀧」)は、
アイデアと志のある個人や企業の起業を支援するため、
“ネスカフェ キッチンカー”(移動販売車)を無料で入手できる新たなビジネスモデルを構築し、
7月10日(金)から最初のキッチンカーが池袋で営業を開始します。
・・PRTIMESから転載
そもそも、自分でも小豆島で栽培していた『 香川本鷹 』 という唐辛子がある。
けっこうな量を栽培していた。
週に、これだけの量の収穫があった。
乾かすのが、大変だったので、次の年には乾燥機を買った。
この唐辛子は、朝鮮出兵の時に参戦していた塩飽水軍に、秀吉が褒美として与えた種が起源とされているほど、
古い種で、一時期は世界中に輸出するほど栄えた唐辛子品種だが、中国からの安い唐辛子に駆逐された。
その種の存在を何で、知ったか知らないが、昨日会社にわざわざ来てくれた彼が、
10年程前に見出して、丸亀市に掛け合って、地域おこしプロジェクトまで持ち上げ、この唐辛子栽培の復活をやりはじめた。
食べてみると、この唐辛子は、今までの唐辛子とまったく違い、料理素材の味を引き出す逸品だった。
とても辛い唐辛子なので、今までのように使うと食べられない物になってしまう。
この唐辛子が、ALPHAR'S COLLECTION に加わる事になった。
ずうと、扱いたいと思ってきたが、太田専務にその機会を与えられた。
『 移動する農場 』 だったかな、違ったかもしれないが、
そういうコピーで、キッチンカーを応募したそうだ。
当ったそうだ。
別に、くじ引きではないので、それなりの企画と手順を踏むのだが、
こんなことは、彼はお手の物だから、よくもまあ次々と、遊びを考え付く事だ。
アムステルダムでフードトラックを買って、たこ焼き屋をやるんだと言っていたら、
こんな話があるぞ、と教えてくれたのが、冒頭のネスレジャパンと養老乃瀧の企画。
100台限定だったかな、吉田さん二次募集が始まってるよと教えてくれて、
興味を示すと、今日時間あるなら行くよ と来てくれた。
2016.04.26 Tuesday
『お取組の共有』という戦略
このラベルは、25年程前に作った。
当時、どうしても 『 豚まん 』 を食べたくて、自分のセンスで開発をした。
遠くではなく、近くで作ってもらうつもりだったので、
高槻のタウンページを見て、適切な製造所を探した。
まだ、30半ばでひとにお願いしにくい時期だったが、
そこの社長は、私の話をよく聞いてくれて、
「 国産小麦を使って、化学調味料も、その他の添加物を使わずに作れと言うのだな 」 と、
「 そうすると、その豚肉はよほど旨くないと、おいしい豚まんにはならんぞ 」。
そう言われて、「 なんとか、宜しくお願いします 」 と頭を下げて頼んでおいた。
小麦粉は、製造所で用意してくれて、豚の挽肉だけを送って、楽しみに待っていた。
一週間ほど待つと、「 出来たから取りに来い 」 と・・・、喜び勇んで、当面の代金を持って引取に行った。
会社に戻り、蒸かして食べた。
思い通りの、そんなに高級では無いけれど、とても満足できる品物だった。
さっそく、当時のお客様にサンプルとして出荷した。
「 うちのお父さんが、朝仕入に行く時、大事そうに食べていくよ 」と、
埼玉の自然食品店さんからは、ありがたく褒めてもらえた。
当時は、売上の半分以上がムソー株式会社で占めていた段階なので、
ムソーさんが扱ってくれなければ、開発は出来ても発売は出来なかった。
ラベルまで、用意してすべて出来上がっていたが、時を同じくして、ムソーさんに他社から、
『 豚まん 』 『 中華まん 』 『 あんまん 』 が、粒あんとこしあんの、合計4アイテムのシリーズ化しての提案があって、
それで、うちのは不採用となった。
その採用になった方も、何故かすぐに廃版になっていたが、それゃ美味しくなかった。
うちのは、それゃ美味しかったが、採用不採用はそれだけではなく、もっとトータルのものだから、
不採用に不満は無かったが、ラベルだけはどうしても捨てる気に成れず、あれから25年ずうと、
引っ越しするたびに、持ち歩いて、あの思った通りの美味しさに、出来た時の気持ちを抱いて過ごしてきた。
さて、『 お取組の共有 』 と いう『 戦略 』 のはなし。
お取組という 『 言葉 』 は、ともかくも、いやともかくじゃないな、この言葉はやっぱり重要だ。
ここから書くと長くなってしまいそうだが、そもそも言葉は 『 概念 』 だから、
その概念が無いと、『 単語 』 は無いし、従って、単語を聞いても理解は正確じゃない事になる。
父親が娘に、『 事実を記録し、分析して、現象を探り、結論を導き出せ 』 との教えは、今の私のトレンドになっている。
ところが、水元さんという人は、さすが職業柄か言葉の魔術師で、
『 異常値 』の反意語は 『 通常値 』 ではなく『 経験値 』 だと説明していた。
すごい!
これ以上の説明があるだろうか。
この論法を借りれば、『 お取組 』の反意語は 『 仕入 』 ではなく『 産直 』だ、ということになる。
産直がお取組と思っていると、そこはすでに商品が独自商品と言うだけで、独自商品が昂じると、
「 うちだけ 」⇒ 「 他所に卸さないでね 」 と繋がってしまい、メーカーはこれでシラケて、
「 なんだ、自分のとこだけの利益で、うちの利益は考えてくれていないのか 」 となってしまう。
これが、かつての質販ブームがしぼんで行った、最大の理由ではないかと思っている。
だけど、ここがこのセミナー参加者の凄いところで、そんな 『 やぼ 』 は言わない。
そもそも、このセミナー自体が、既存参加企業の競合先企業は主催者が参加を認めていないので、
参加企業は、すべてその一社の取組み関係を共有出来る事になって、
『 モデリング 』という名の元に、『 共有 』 するムードと仕組みが出来上がっている。
刺激し合って、結果が出た事は、ノウハウも惜しみなく公表し、『 みんなで良くなる 』思想の極みとなっている。
だから、この事が、『 産直流行り 』 の時期にあって、有効な戦略になり得る。
隣りの企業でも販売している、『 産直品 』 と、どこで、どう戦うかが手前味噌に陥ってしまう事になる。
その戦うポイントとして、『 誰から買いたいか 』 というのは、すごく重要だが、
これは、実は二次的な要素になる場合もあり、その前に圧倒的なアドバンテージを得る事が必要になる。
このアドバンテージを共有と言いう物量で、得られると考えていることが、最大の山場だと思っている。
圧倒的とは、他の追随を許さないという事であり、そのために 『 仕掛けが深い 』 という事にある。
この共有という仕掛けは、損所其処等ではできない。
水元仁志 という人物が、半生を掛けて作り上げた仕掛けという事になり、
このことが、他社の追随を許さない領域にあり、真似すらできないセミナーになっている。
自らが作り上げた異常値を、作り上げた限り経験値だと否定して、更に異常値を見出していくストイックさが、
過酷なんて言葉も忘れて、邁進できる人間なんて、常軌を逸している存在は、おそらくもう出て来ないだろう。
私が勉強熱心で、常にこういう存在を探っていれば、運が良ければ出会えたかもしれない。
だけど、天の神と地の神のおしゃべりの周波数に合せているだけの、スピードラーニング的な横着者の私が、
こうして、仲間の末席にでも、顔を覗かせてもらえる事自体が、棚から牡丹餅と言う以外に表現のしようがない。
なにも、おかげさまで上がった売上額が牡丹餅だと言っている訳ではない。
出会いが、牡丹餅だと言っているんだが、それを食ってしまえば、次の人の為に、
自分も新たに共有という名の戦略餅を作って、配るしかないと真面目に思えてしまう。
自分は、真面目になると自己崩壊してしまうので、『 冗談半分 』 でしか出来ないが、
それでも、出来るだけ遠くまで行きたくなってきた。
憧れはするけど、成りたくない自分に、時間を貸して、柄にもない頑張りを見せたいと思う。
どうか、みなさま、よろしくお願い申し上げます。
2016.04.25 Monday
青果ターミナル
今週は、疲れがたまっていたので小豆島に行かなく、摂津のターミナルに行って作業をしていた。
有機の『 小分け認証 』を、当社で取得しようとしている。
以前は、当然当社で取得していたが、
小分けというか、袋詰め・出荷作業自体を委託しているので、
最初の取得費用の半分を出して、委託先に取得してもらっていた。
今回、当社で取得する事にした。
およそ10年振りで、前回取得して、更新していた時期のファイルは、
どうも私が、すべてデータ消去をそのフォルダごとしていたようで、
中澤は、ひと言言いたそうな顔つきで、気まずい雰囲気になっている。
有機の作業エリアも、あまり気に入っていないので、少しお金をかけて、
整理整頓が出来るようにしたいとも思う。
お金のかかる場所になって来た。
2016.04.24 Sunday
工藤恵理佳さん
今回、打ち合わせもあって前日の月曜日に、会場に行った。
行くと 『 工藤恵理佳 』 さんもいて、挨拶に行った。
数日前に、彼女が 『 商人ねっと 』 の執行役員に昇格と水元さんのブログに書いてあったので、
何かお祝いを、と思い、会社の葉書で、『 女性最大の魅力は、男っぽさ 』 と書いて送らせてもらっていた。
彼女とは、昨年の 7月 金沢のどんたくさんであった 『 青果店舗視察セミナー 』 に行った時、
講演を聞いてくれる皆さんに、お土産にと持って行っていた 『 恋するマロン 』 を配るのを、一所懸命手伝って呉れた。
あの時、私の世話をしてくれた 信田君 は、月初めに連絡した時は、「 英国に語学留学に行く 」 と言っていた。
その予定なら、もう行っている事になる。
その後、新橋であった ID-POS DATA のセミナーに参加すると、なんとなく、「 あーあ、あのときの 」
と分かり、それ以来互いに顔を覚えて、好感をもっていた。
今回、あった時、お祝いの手紙のお礼にと、「 手紙を書いてきました 」 と、手渡してくれた。
彼女らしい、心のこもった手紙で、嬉しかった。
さて、今回の私の発表は、『 大抜擢 』 だった。
それで、何故それほど抜擢をしなければいけなかったのかを考えてみた。
スーパーマーケットが置かれている状況は、『 有機・特栽・こだわりの野菜 』 を販売する事が、
有効な手段で、また絶対必要になる事は間違いないと思う。
でも、その仕入程度の事は、さほど難しくないのだが、
置いておくだけでは売れないし、それ以上に置いているそれらの商品が、
まこと、『 法令 』 と 『 ガイドライン 』 で示されている 『 コンプライアンス 』 に合致しているかどうかに、
だれが、責任を持っているか、非常にあいまいな状態に置かれている。
それらを担保しようと思えば、相当な尽力がいるし、経験という時間の積み重ねもいる。
だからこそ、この法令とガイドラインが出来た時、名だたる企業はこの 『 特別栽培 』 の商材から、
あるいは、その表示から撤退すると判断したし、その判断は、『 実は正しい 』 と思わざるを得なかった。
しかし、それでは、1977年という昔から、長きに亘って『 農家のしている事への信頼 』 を、
『 食べるひと 』 に伝える事を仕事にして来た私にとっては、とうてい受け入れる事の出来ない事だった。
元々の、ひとが右に行けば自分は左に行く性格も手伝って、徹底的に 『 特栽表示 』 をしてやろうと考えた。
事実、農家との会話は、栽培に於いてテーマを求めないと、量と価格の話にしかならず、
そんな事は、ビジネスであって、信頼でもなんでもない。
そうすると、スーパーマーケットに来てくれる食べる人は、 『 食べるだけのひと 』 になってしまう。
『 健康 』 とは、農薬・化成肥料の多寡でもなく、栄養素の多寡でもないと考えている私にとって、
それは、屈辱以外の何ものでもない。
結果として、特別栽培の規定にある 『 5割削減 』 が達成されていようがいまいが、そんな事は問題ではなく、
農家のしている事が、食べるひとの理解につながり、互いに理解し合う事が、 『 健康 』 『 健全 』 である事は、
家庭で、母親にしろ、奥さんにしろ、旦那さんにしろ、子供にしろ、誰かが家族の為に作ってくれた料理を、
その気持ちの入った料理を、お金や量の問題で片付いてしまえば、 『 不健康 』 で 『 不健全 』 な事、
になって行く状態は、誰にも想像がつくだろうと思う。
家庭は、レストランでも、定食屋でもないのだから。
この枠を、『 農と食 』 を通して、この国に広げていきたいと思って長年、
『 商い 』 して来た私にとっては、幸い担当者がいて、その担当者が努力し続けて呉れたおかげだが、
そんなことで、引き下がれないのも自明の理と思うし、自分以外にこんな事を出来る人間はいないとも思う。
自分以外にいないと思う理由は簡単で、
みんなは、もっと一所懸命になるから、費用対効果の問題で、やりきれなく、
自分の様に、『 まあ、なんとかなるやろ 』 程度に暮らしていないと、こんな貧乏くじは誰も引かない、
ことくらい、容易に分かるからで、別に大したことではない。
長い注釈になったが、あちこち忙しくスーパーマーケットを回って、
スーパーマーケットの事情の奥深くに入り込んでいる水元さんは、この程度の事は分かっていて、
「 こんな事が出来るのは、アルファーしかいない 」 というのが、大抜擢の動機だろうと考えた。
ところがである。
水元さんは、欲張りで、もっと奥のある人だから、
コンプライアンス程度の事は、守りに過ぎなくて、攻める事は別物と理解している。
『 置いておくだけでは売れない 』 これ等の商材を、『 売れる仕組みにしてこそ 』 意味がある事を知っていて、
其処に 『 戦略 』 が必要になると考えている。
つまり、『 お取組関係 』 が、その戦略なのだが、その戦略だけでは、勝てないと私は分かっている。
私は分かっているという事も、確かではないが、水元さんは分かってくれているのではないかという気がする。
これは、親父が 『 唯ダ 信ズベシ 』 と書き残して呉れているので、そうしている。
それで、そのお取り組み関係を戦略として、一歩進める 『 取組関係の共有 』 という戦略をエントリーした。
それで、 『 青果部門 』 と 『 お取組部門 』 の同時発表となったのだが、
二部門同時発表なら、時間も二枠呉れよ、というのが私の言い分だが、そんなに世間は甘くない。
きっと、私の発表は、みなさんに時間足らずで、底まで理解されなかっただろう。
この三日間、足りなかった事への悔しさの理由をずうと考え続けていた。
自分に起こる事は、すべて理由があると考えているので、その理由の解明に時間を使ってきた。
それが、ようやく理解できた。
saeco は、その一端を聞いて、「 信じられへんわ 」 と言ったが、残念ながら事実だ。
実は、わたしは、こんかい、発表すれば良いだけだと思っていた。
其の後のことなんて、何も考えてなかった。
理由の解明に、いろいろ考えている間に、言った事に対する 『 責任 』 がついてまわる事に気がついた。
これは、大変なことを言ってしまったと、後悔しても、先には立たないなんて、昔の人は上手い事を言う。
大口をたたいたのだから、その責任を取るには相応のエネルギーがかかる。
その膨大なエネルギーの出処を支える事が、出来るのは 『 意地 』 という、
多少負のエネルギーが必要で、その事が、完全な発表をさせてもらえなかった訳という事になる。
自分の事だから、仮に、時間がもらえて、遠慮も無く、言いたい事を言い尽くしたら、
おそらく自分の今までの、経験からしたら、 『 あ〜、楽しかった 』 で終わって、
後のことは知らん、まあ、なんとかなるやろで、清ました顔していただろう。
『 商人ねっと 』 の稲さんて方の記事を、読む事から、この解明は始まったが、
まあ、そう言うことかもしれない。
そう思うと、直前に山岸さんが事故に合われたのも、何かの意味かも知れない。
自分に残されている時間がどれだけあるのか知る由はないが、残されているなら、
せめて、先行きが見えるところまでは残されていることになる。
まあ、そういうことだろう。
2016.04.22 Friday
はずかしいけど、うれしかった
ながい君だったかな。
彼は、5年前、小豆島に新入社員研修会に参加してくれていた。
一番右が、彼。
その隣が確か、やべ君って言ったかな、網干かどこかの惣菜にいたような気がする。
となりは、竹内さん、今は北野で青果をしてくれている。
そのとなりは、大野さんだと思う。
このこは印象に残る彼女で、私の講義が終わった後、みんながひとつずつ質問する事があって、
この彼女だけは、講義の具体的な内容とはまったく違う、『 自分は自信が持てないが、どうすれば・・ 』 というような、
ことを聞いてきたように覚えている。
ほんとうは、この事こそ講義の内容だったので、丁寧に答えたら、「 そういうものか 」 という顔をしてくれた。
そのとなりが、吉田さんだったと思う。彼女はクールな子だった。
みなさん、間違っていたらごめんなさい。
発表の前に、中川チーフが席に来てくれて「 最後、戻る時に騎馬に乗ってもらえますか 」 と言いに来てくれた。
単なる仕入先に、ここまでしてくれる会社って、他にあるだろうか。
後で聞けば、うちの息子のところに田中バイヤーが来て、「 アルファーさんで、花束は用意されていますか 」
とまで、聞いてくれていたようだ。
こんなうれしい写真は、他にない。宮崎さんが撮ってくれたのかな。
ながい君は、途中でほとぼりが冷めて、「 はずかしいですね 」 と、下でぽつりと言っていた。
水元さんは、どうも自分は「 先生 」 という言葉に馴染めない、それなら「 師匠 」の方が良い、
どんな大恩があっても、「 先生 」 と言った瞬間に、すべて薄まってしまうような気がするからだが、
「 一生で、味わえない気分になりますよ 」 と、言ってくれていたが、まこと、この画像を見る限りそう思う。
セミナーで、その水元さんが、「 高い目標を持たない行動は、ただの暇つぶし 」 と教えていた。
おかげさまで、長い間、神の御加護の元で、楽しく暇をつぶさせてもらってきた。
だから、その神が、「 ちょっとくらい働け 」 と言っているなら、
『 「 有機・特栽・こだわりの野菜 」 って、言うほど売れないよね 』 って、
このことを、売る方法を知らずに、みんながそう思っている。
この会社を始める時、いくらいい鶏肉でも、『 もも 』 と 『 むね 』 をくっつけて売るなんてしてたら、
売れないのは当たり前だって思い、その理由は 『 苦労 』 をお客さんに押し付けてるからで、
その苦労を自分で引き受ければ、簡単に売れるようになると思って始めた。
苦労を知恵で克服すれば、売れるようになるのは当たり前で、
その他にも、『 日本のわがまま運びます 』 って、ヤマト運輸が圧倒的な市場を開拓したように、
自分の我儘をお金で買えるなら、誰だって利用するし、誰だって知的満足を願っているのは当たり前で、
でなきゃ、出版業界が流行る訳がないし、本屋なんて商売が存在する訳がなかったはずだ。
そのおかげで、私たち四人は親に育ててもらえた。
『 目利き 』 という言葉が流行って来たが、今度は『 眼のつけどころ 』 て言葉が流行らないかな。
山岸さんが、半ばで天に召されたなら、招待してもらえない自分はやるしかない。
ちょうど一年前、初めて水元さんに出した手紙で、「 ひとを幸せにする事が出来るひと 」 と、
書いて送って、だから私もその事に参加しますよ、と書いていたのに、
こうして、画像の幸せそうな自分の顔を見ると、まったく不覚の至りだ。
自分が幸せになっていてどうすんだ。
暇が保てなくなってきたから、高い目標をもった暇つぶしに走ろう。
みなさん、ありがとうございました。
太田専務、ありがとうございました。
2016.04.21 Thursday
さとうファームの有精卵の事
いくら好きでも、毎日3〜4個の卵は、食べ過ぎだろうと思う。
普通の卵と、平飼卵との比較をしている。
CONVENTIONAL は、アメリカ農務省が出している栄養表示との、比較をしている。
つまり、ケージで飼われている鶏は、ストレスが掛かっていて、平飼いはハッピーに暮らしていて、
その違いが、卵の栄養素の度合いの違い、になって現われるということ。
『 Nourishing 』 は、そう言うことを表した言葉としている。
飼料の質の違いがあるかどうかの前提に、この表は言及されていないので、分からないが、
例え同じ質の資料を与えていたとしても、飼育の仕方違いが、卵の栄養素の違いとなって現われると思っている。
また、コレステロール値も低く、飽和脂肪酸も少なくなると見て取れる。
つまり、栄養素的な事だけではなく、のびのび暮しているという事が、健康的な身体をしている、
という事に繋がっていく。
これら持っている『 力 』 の全体を『 気 』 として受け取っていく事が重要だと考えている。
たかが卵と言えば、それだけだが、ひとつひとつについて深く視ていく事が、信頼につながっていき、
いずれは、結果となって現れ、その結果が次の段階に信頼を高めてくれていくと思う。
大切にされていく会社の形や要素は、さまざまあるけれど、こういう事を愚直に履行していく会社が、
あっても、いいと思い、それを目指して行こうとしている。
2016.04.18 Monday
なんてこっちゃ
今朝は、晴れているのに、次には雨が落ちてきて、次にはまた晴れて、
ベランダに出てしばらく、この世のものとは思えない景色を見ていた。
春の命の洪水のような風景が、目を奪って放してくれなかった。
確かに、天気は目まぐるしく変わり、風は強かった。
10時頃には、その風景に入って、昨日の続きの草刈りを始めた。
今までと同じように、日曜の最終便で、小豆島を離れ姫路に戻り、
そこから港に置いている車で高槻に戻る生活が、また始まった。
今日は、昼寝もしていたので、船の中ですぐに眠る事も無く、しばらくテレビを見ていたが、
そろそろ、眠るかと思ったき、テレビのニュースから 「 なめりかわし 」 と言う音に反応して、
テレビに目を戻すと、次の瞬間には、「 ショッピングセンター 」 と言う音が入って来て、
その次に、テロップが、まるまん社長の 山岸利基 って出していて、続いて 重体 の文字に、思わず声を出した。
うろたえたが、すぐに、葛島さんを思い出して、携帯に電話をした。
すぐに出てくれたが、従業員にも、その後の状況が詳しく入って来ていないという事だった。
心配で仕方が無かったので、「 分かり次第必ず連絡が欲しい 」と話して、電話を切った。
しばらく、何分経ったか、15分か20分か、葛島さんから電話が鳴り、「 残念な・・・ 」と教えてくれた。
へんなよかんがあたってしまったが、気づいて最初に電話をした時には、もう息を引き取っていた事になる。
まったく、なんてことだ、と思う。
彗星の様に、私の、前に現れて、そのまま一瞬で消えて行ってしまった。
1月の新春セミナーで、私の横に座り、その席はタマヤパンの社長が座っていた席だが、
その席から動かず、ずうと私に語りかけ、話が途切れそうもないので、「 まず、腹ごしらえしようよ 」と、
たべものを取りに行った。
翌日、セミナーがはねて、会場を出しなに近くに座っておられたのに気が付き、
携帯電話の番号と、メールアドレスを渡して、分かれた。
しばらくして、メールが入り、姫路までの旅程を作って、返信しておいた。
その通りのスケジュールで、一泊二日で来てくれた。
同じ歳という事もあり、育ってきた時代背景も同じで、車の中でも話し通しだった。
ああ〜、残念だ。
こんな事が、あるなんて。