今週のお花はん
昨日は月曜日だった。
高槻の会社に戻ると、お花はんが最初に目に入った。
早起きの、毎朝冷やしたバナナをヨーグルトに混ぜて食べた、暑い夏が終わり、
秋が始まった。
夏の終わりは何故かひと恋しく、
とりあえず、会社のみんなと慣れ親しんでおく。
一年程で、それまで、6〜7人程だった会社のスタッフが、40人ほどになった。
一時は、全員のファーストネームを覚えていたが、だんだん忘れてきた。
一度覚えた名前を忘れてしまうような事が、自分に起こるなんて思いもよらなかったが、
ほんとうに、これからもこうして覚えた事を忘れていくのだろうか。
知恵も、どんどん湧かなくなって、ただ、空気の流れに身を任せて、話したり、したりしていくだけになるのだろうか。
そうすると、よほどしっかり何かに身を寄せていないと、どこか宙ぶらりんになってしまいそうだ。
では、どこに身を寄せる?
どういう訳か、いちばん最初に見出した、
「 ここのバナナを食べるようになってから、他のバナナを食べても美味しいと感じなくなって困っている 」
という、彼女のあの感覚に、添って行ける身の寄せどころがあるはずで、それが何処にあるのか分かっているのに、
ただ困った事に、一度整理した感覚に、このひと月ほど、どうしても戻れないでいる。
あれほど確かに感じたのに、あの感覚は、幻だったのだろうか。
今から行く、東武の皆さんに話ししたくて、戻ろうとしているのだが、セドリックが持って行ってしまったのか。
LE CORDON BLEU
る・こるどん・ぶる〜 と読むらしい。
ずうと、仕事をしているから、ひとりで料理をして遊んでいる。
それで、その料理本を持ち出して来て、横で何やかやと言っていて、本の斜め読みと言うのはあるが、
嫁の話しの斜め聞きというのは、男なら誰でもしている事だと思うが、そうすると、料理教室が如何のと言っている。
それに耳が反応して、「 それは、いい。娘と行って来れば・・・ 」 と言ったが、
娘は反応しなくて、息子が反応していた。
まあ、一石二鳥を狙って、一羽外すという事もよくあるが、
それでもいいから、デビューコースというのに、参加してきたようだ。
忙しい事もあるが、よく食べ歩きに行ったが、今はそんなに行かなくなった。
行っても、さほど目新しくも無く、むしろ素材をもっといいのを使ってよと、足りずが気になってしまう。
素材でいえば、京都の三条通りにあった、大人が通うフランス料理屋さんで出て来た、
あの、6ハンドのバナナ程度の太さのホワイトアスパラは、目が点になるほど美味しかった。
聞くと、プロバンス地域の産だと言っていたが、京都にはそういう野菜を専門に扱っている八百屋があるらしい。
サンダルにナップザックを肩に掛けて、どう見てもヒッピーにしか見えない出で立ちでも、丁寧な応接をしてくれた。
3 年ほど通ったが、オーナーも我儘そうな人だったので、気まぐれだったのかも知れない。
気まぐれであんな店を出来るんだから、きっと御曹司なんだろうけど、よく見ないとそうは見えない人だった。
年に二度は、店を一週間閉めて、スタッフ全員フランスに研修に行くそうだ。
たまに居る他のお客さんは、通りでは出会わないような人たちだった。
下に敷いてあるのは、ワイルドライス、
http://www.myfood.jp/usfood_dic/grain/wild_rice.html
この URL で、いろんな食材が紹介されていて面白いが、今はやりのスーパーフードかも知れない。
そんな味がしていた。
そういえば、なかなか機会は少ないが、田中さんと食べ歩いても、同じような味の感じ方をして、楽しそうだ。
想い 2
『 町のために、みんながハッピーに なれるように がんばっています。 』
送ってくれた野菜は、左上から、ツルムラサキ・ゴーヤ・水茄子・スイスチャードの赤・黄・緑、
パクチー・丸オクラ・四角豆、のセット。
どの野菜もきれい。
この時期、入荷してくるどの野菜も、いまひとつの物が多いが、
どうした訳か、とても綺麗な輝きをもった顔をしていた。
ゴーヤと四角豆を使った、チャンプルーになって出てきた。
どういう味付けになっているのか、最近分からなくなってきた。
醤油と、酒と、塩で、少しごま油を落としているらしいが、
いずれの調味料も控えめで、控えめなのに、それらが一体となって具材に滲み込んでいて、
だから、それぞれの調味料の味がまったく分からなくて、最近我が家はこういう味付けが増えて来た。
自分は、料理にあまり興味が無いし、する必要も無くなったが、食べる事には貪欲で、舌はますます肥えていく。
ゴーヤを食べるなら、売るなら、アバシゴーヤと決めているが、ちゃんとそのアバシを送って来ている。
何も言わずとも、通じるものがある事はいいことだ。
応援させてほしいと思っている。
こんなきれいな写真を送って来られれば、実物をくれよと言いたくなるのは、
自然の反応だろうと思う。
想い
昨日、帰って来れば、若い時の David Bowie が鳴ってた。
ひどく懐かしかった。
その前の日の夜、Jimi Hendrix の特集番組の録画を観ていた。
この人の魅力は、孤立無援 の一言に尽きるが、お父さんが出てくれば、
遣っている事はまるで違うが、お父さんのひと柄が、そのまま息子に引き継がれていると思えば、
求めている世界観が、感じられて、ひとは情緒というものを、どこで育てるのかとても大切な選択のような気がした。
家に帰ってみると、百日紅がきれいに刈られていて、とても悲しくなった。
この高槻の家の百日紅が咲いてから、ひと月足らずで、小豆島の庭の白い百日紅が咲くのだが、
ことしは、その咲いた姿を見てやれなかった。
見られる事も無く、さびしく咲いているのだろうと思うと、飛んで行って見てやりたくなった。
どうしても、百日紅が咲く時期は、季節外れに思えてしまい、そんな暑い盛りに、
あんな可憐な小さな花が、咲き乱れる姿を見せるこの樹は、なんなんだろうといつの間にか好きになっていた。
よく分からない病気に枝が侵されていて、庭木に薬を掛ける気にもなれないので、
ひたすら、樹が弱らない程度に、何年もかけて、その冒された枝を刈ってきたら、もうひと息で完治するところまで来た。
もう、小豆島は、イノシシやシカや、蜂やヘビの巣窟になっているに違いない。
港に置きっぱなしのパジェロも、バッテリーが上がってしまっているかも知れない。
でも、もう少したてば、小豆島にも戻れそうな気がしてきた。
そら
『 有機栽培・無農薬野菜 』
40 年前は、こんな言い方をしていた。
その野菜の行商で、成城の料理研究家、末広百合子さんのところに初めて行った時、
「 空を見て生きてる人だねぇ〜 」 とすれ違いざまに言っていた。
娘と仲良くしている男が、どんな男かと思ったのか、その通り、あの頃も今も、明後日を見ているようなもの。
夜明けの行燈、と言われるより、ましかも知れないと思い、聞き流した。
あの頃は、私も元気だった。
最近は、パソコンに向かっていても、背中が丸くなってきて、
思わず、背筋を伸ばしている事が多い。
朝の空を見ると、秋の雲だった。
ところが、着いた鹿児島は、大阪も暑いが、鹿児島も暑かった。
空港で見るテレビは、北海道の様子を映していた。
四国沖を、東に流れる台風は多いが、もっと東を真っ直ぐ北上する台風はあまり経験が無い。
もっとも、子供の頃は、台風の言えば秋の稲刈りシーズンのものだと思っていた。
北の高気圧が強いのが、今年の特徴かな。
それでも、秋は来るし、出来るだけ秋を長く感じていたい。
あと、一週間ってとこかな。
生パスタ
ふと、生パスタが食べたくなった。
味は、いい。
だけど、麺の味がいまひとつ。
もちろん、欲を言えば切りが無いが、オリーブオイルの味も。
欲は留まるところを知らない。
45 坪で 7 億円の社長に電話をした。
自分から電話をするなど、滅多になく、何年振りだろう。
このところ、乗馬クラブの景品の注文の連絡もないので、久し振りと言えば、『 めずらしい 』 は本当だ。
セドリックが廃車になった報告をした。
ところで、何の電話だ、と言われても、その話だけだ。
で、どうすんだと言われ、欲しい車も無い、と言うと、じゃ自転車に乗っとけ。
はいっ、分かりました。
大笑いしながら、ホントのおしゃれというのを、世間に示せ。
果たして、自転車に乗る事が、オシャレなんだろうか。
そう言えば彼は、スキーで負けたことが悔しくて、ひと夏自転車で過ごして、
次の冬の間中、キャンピングカー代わりのワンボックスを買って、ずうとスキーをしてまわった、
と言っていた事があった。
新潟の、細かい地名を知っていたので、何でと聞いた時の話しだった。
同じ車を21年間、44万km も乗り続けるより、錘を背中にしょって、
次の冬に、大会を歴戦して回る時間の使い方の方が、洒落てるような気がする。
大きい事はいいことだ
この画像で、大きさが伝わるかどうか分からないが、
少なくとも、ターミナルで見たみんなは、驚き桃の木山椒の木だった。
3.665kg だった。
たしか小豆島で自分で栽培していた頃も、
この程度の大きさの玉も、作れたことはあったが、それはたまたまだったが、
さすがにプロは、このサイズを全体の、3 割ほども出して来て、5t コンテナに入ってきた 470 箱の内訳は下の通り。
3 〜 4 玉で、77% もある。
こんな、玉割りの納品書は、視た事が無い。
よほど、天候が南瓜に味方をしたのだろう、北海道の農家の方が見ればうらやむに違いない。
今年の北海道は、特に大雪山から東の方は、大荒れでこれでは、じゃが芋・玉葱もどんな荒れ方をするか分からない。
もっと怖いのは、年明けのみなみの新じゃが価格が、果たしてどうなる事かと、今から気になり始めた。
西瓜の 4L をカットするのと同じ要領で、3 玉を 1/4 カットした。
平均で、380g ほどになる。
ひと箱重量は、11.5kg 程度は入っている。
この時点で、計り売りをすれば、1 割ほどは利益になってしまう。
♫ 大きいことは いいことだ〜 と山本直純 が唄っていたが、もうそんな時代ではなくなった。
あれは、昭和 30 年代の高度経済成長が始まった、ころのチョコレートのコマーシャルだったが、
そのチョコレートは、いわゆる本場の本物とは少し違う、日本のチョコレートだった。
今は、大きい事が目的ではなく、ひともものも、中身が問題になっている。
では、この南瓜の中身は、どうなんだろう。
これほどの南瓜が、ゴロゴロ出来ていれば、想像つくと思うが、例年に増して想像通りとてつもなく美味かった。
1 カット 198 円までで販売して、198円 × 8 × 3 = 4,752円 の販売金額になる。
仕入は、3,100 円なので、34.7% の粗利率になる。
南瓜も美味いけど、商売もうまみがある。
美味い南瓜を、安くで沢山の方に食べてもらうための 『 恋するマロン 』 企画。
どうだ、食べて驚くなよ !!
これが、大川氏と話している時の彼の雰囲気だが、
もっとも、僕も昨夜食べて、驚きを隠せなかった。
手際と段取りとベテラン
子供の頃は、街の子だったので、道を歩いていても、いろんなところで道端から、
大人が、仕事をしているのが見えた。
今の様に機械なんてあまり普及していなくて、
ほとんどが手作業と言えるもので、ルーティン化したその手際に、
見惚れて、あまりに ジィー っと見ているものだから、しまいにはうっとおしくなったのか
『 あっちに行け 』 と言う顔をされて、それでも繰り返されるその所作に、意味を見いだせるまで見ていた。
だからという訳ではないだろうが、ひと目見ただけで、そのひとの作業の熟練度が分かってしまうようになってしまった。
このドライバーさんの場合、私が積んでほしいパレットを選んで、準備して積み上げておいたパレットを、
トラックにの横に降ろして、リフトでトラックに二度・三度ぶつけるようにしていて、不思議だった。
そのパレットに登ろうとした時グラついたので、今度は自らの足で、蹴飛ばしていた。
そのふたつの、一見乱暴に見える所作が、実は意味がある行為だったと、
気づいたのは、最初の、2〜3箱をリフトで上げていたパレットに下ろして、其の後だった。
なんと、蹴飛ばしたパレットにも、下ろし始めた。
なるほど、こうすれば、横に歩く距離は無くなるし、早く自分の立ち位置を確保できる。
画像は、早くも 3 パレット目に積んでいるところ。
そもそも、最初に伝票を丸ごと私に渡したので、怪訝な顔をしたのか、
「 玉数別に書いて来ているから 」 と、伝票が入っていた封筒を、マグネット付のクリップで挟んで、
コンテナに、バチッ と貼り付けて作業を開始した。
玉数別にパレットを換えてもらう事をちゃんと知っていて、
それを言うと、『 面倒な 』 と嫌な顔をするドライバーが多いが、彼はその準備までして来ている。
一事が万事、仕事が出来る人は、こころの屈託が無い。
逆か、こころの屈託が無い事が、仕事が出来る最初の条件と言う方が正しいか。
ベテランの味で、そんなに私と歳も離れていないだろうに、鍛えられた体つきだった。
私も、小豆島でひとり農業に夢中になっていることろ、骨格は違えど、ああいう身体つきをしていた。
草野球でついた筋肉とは、違う筋肉がついていた。
声を掛けると、こんなことばかりやっているから、とサラリと言った。
身体を使う気持ち良さが好きなんだろう。
この秋、何台コンテナが入って来るか分からないが、
暑い間は、中で作業が出来るようにスペースを空けておくから、仲間のひとにも言っておいて、
と言うと、私も彼に驚いたが、彼もそんな事を言う私に驚いたような顔をしてた。
気持ち良く下ろしてもらえれば、気持ち良く売れていくような気がしただけだ。
うちの三男坊は、今日の夜に残る量だけネステナーに仕舞うつもりで、残りの予定のメモを私に渡していた。
今日だけで、入った半分以上が、お客さんに転送されて行く。
今週末には足りなくなるので、また入ってくる。
前評判だけで、御注文を頂けるようになった、『 恋するマロン 』 は、
目に見えぬ何かが、積み重なってきたように思う。