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2016.09.30 Friday

ハロウィン ー ケルト族

  

 

 

訪問するところ、すべて店の玄関は、かぼちゃ一色。

 

どの会社も、かぼちゃの飾り付けに、手馴れた様子が伺えた。

 

日本でこの品種のかぼちゃは、ほとんど見ることがなく、唯一見るのは、小豆島のどでカボチャ大会のみ。 

 

 

 

 

 

 会社で、古いラベルを整理していると、こんなラベルが出てきた。

 

前任者が、用意していたらしく、このラベルの創造に関わったデザイナーも存在していない。

 

残数を現在のデザイナーに調べてもらうと、わずか 6000 枚を残すだけとなっている。

 

 

何とか刷り増しをして皆さんのご注文の恋するマロン南瓜に添付したいのだが、

 

そのデータの所在も、どのフォルダか不明らしい。

 

もう少し、根をつめて探してもらうことにする。

 

 

 

 

 

 

 

2016.09.29 Thursday

帰国

 

 

 

 チェックイン時、エコノミーの思う席が無くて、どうしようかと考えていたら、

 

ビジネスの席が、安く出せますのでアップグレードされれば、隣同士の席を御用意できますよ、というので、

 

ちょっと贅沢をさせてもらって、おかげで楽して帰った来た。

 

もっとも、今回は会社に負担してもらうのは申し訳なくて、すべて自費でのセミナー参加だった。

 

それでも、せっかく楽しているのだから、少しこのセミナーが鮮明な間にまとめておこうと、

 

機中でメモ帳に、頭に浮かぶことを、ランダムに書き連ねていた。

 

 

 

 

 

 

これは、そのうちの 1 ページ。

 

 

全部で、20 ページ程度は、書き留めた。

 

次に何が来るかと問われれば、ずうと前から、精神世界にひとは行くと信じて疑わない。

 

ただし、それが商売にどこまで結びつくかは、もう少し具体的な方策まで考えを進めて、そうだ、もう一枚重要なメモがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

これ、着想することと、実現することとは、同じ程度の重要性があって、

 

今まで、そのことを面倒がって、あまり力を注いで来なかったが、実は実現の過程にこそ、

 

その深みと面白みが潜んでいるような気がして、ここまで来たのだから、そこまで足を踏み出すことに決めている。 

 

 

 

 

 それにしても、このアメリカセミナーの企画元、日本経営コンサルタントは、すごい会社だと思う。

 

この会社の、している事、目指している事、のおかげでどれだけ前に進めているか、

 

振り返ると怖ろしい影響力で、その支えになっている社長、水元氏の、

 

たゆまぬ努力の積み重ねに思いを馳せると、

 

一人の人間の、

 

信念 というものが、

 

『 実践こそすべて 』 という決意を経て、

 

実現される結果が、どれほど人の幸せに貢献できいるのか、

 

まさしく、 リーダー ・ ボス 、としての方向性を失わないストイックさを得ると、

 

斯くも強靭な形となって現れるのか、一週間とくと見せていただいた。

 

また、横で補佐する、影なになど成り得ぬ目立ち加減の細やかな気配りに、本当に助けられた。

 

 

 

初めて参加させていただいた、昨年 4 月の 『 やる気と感動の祭典 』 と同じ気分を味わわせていただいた。

 

このお二人だけでは、とてもここまで及ぶことはないだろうと思う、参加されている皆さんの、

 

真摯な、学び実践していく姿勢に、互いが刺激を受けていくスパイラルがこれだけの力を生み出しているのだと思う。

 

 

 

打ち上げの宴を、キックオフパーティ だと名づけるその真意をみんなが、理解している。 

 

 

ありがとうございました。 

 

  

 

2016.09.28 Wednesday

おとなりさん

 

 

  

 

 

 

今回の旅で、ずいぶんお世話になった素敵な女性。

 

いままで、話をすれば、相手は黙りこくってしまうか、うつむいて時の過ぎるのを待つか、

 

いずれにしても、変なやつ、としか思われないことが多く、あまり本当に思っていることを話せなくなっていた。

 

 

 

数年前に、知り合って 20 年も経っているのに、この会話で、相手もうなずいてくれて、

 

それで、同じ思いで過ごしてきたことが分かり、打ち解けて話が出来る相手だと確認し合えたのに、

 

そのまま、時を待っている間に、天国に召されてしまい、結局、墓石と話をする羽目になった。

 

 

 

だから、薪割りに、ポートランドまで出かけることにした。

 

空港まで、迎えにいきますよ、とまで言ってくれたので、今からそのお招きの時期を楽しみに帰ることにした。

 

 

 

聴講していて、びっくりして、本当にうれしかったんだと言うと、

 

分かってましたよ、だって、目がきらきらして、まったく違う目をしていたから、

 

と、こころのうちを読み取っていただけて様で、おかげでその後の 6 日間をすごく興奮して、学ぶことが出来た。

 

おかげで少し、それでなくても浮いた存在の門外漢なのに、疎ましく思う方もおられたかも知れないが、

 

それは、許していただきたい。

  

 

 

 申し訳ございません。

 

 

 

 

 

 

 

2016.09.26 Monday

大事な仕事

 

 

 

 

 

 

PCC って、会社。

 

会社っていっても、どのような組織形態かわからないけど、

 

インタビュー中での答えは、ファンドがも近い立場でついているとかとの事だった。

 

 

資金集めって、大事なことなんだ。

 

上場するだけが、すべてでもないのも知れない。

 

 

 

今朝も3時過ぎから起きているが、出だしでずいぶん古いところまで遡ってしまった。

 

打ち込んでいたバスケットボールが、不甲斐ない結果に終わってしまい、ポッカリ開いた穴に入ってきた言葉が、

 

三派系全学連や反代々木系、その年が暮れて、明けた正月には、安田講堂が解体される抵抗に、目と頭は釘付けになっていた。

   

 

 

こんなところから、振り返っていた。 

 

  

時代は進む。

 

 

 

この画像の液肥は、この店で、残った食物残渣で作られて、

 

店に戻ってきて、15ドルだと聞こえたが ( これは確かではないが ) 、商品になっているらしい。

 

 

言いたい事は山ほど・・・。

 

でも、黙っておくほうが、いいのかも・・・と思わされた。 

 

 

 

 

 

2016.09.25 Sunday

仕事より大事なこと

 

 

 

 

 

視察に寄ったスーパーマーケットの前の広場で、ホームパーティーをしていた。

 

今回米国に来ても、米国の普通の家庭の事情というものは一切わからなくて、

 

スーパーマーケットばかりを、一日に4店舗も5店舗も見て歩く毎日を過ごしていた。

 

今日は、たまたま住宅地の中にある PCC という素晴らしいスーパーマーケットを訪問したが、

 

実は、毎日、毎日、食事はほとんどスーパーの惣菜で過ごすように出来ていて、もう何を食べても、

 

正確な評価すら出来ない状態になっているので、昨日あたりから、普通の食材で買って食べるようになってきた。

 

 

今日は、シアトルに来て、一社前のスーパーで、スイカが美味しいのを発見して、

 

 この店では、葡萄の試食をさせてもらったら、とても美味しくて、どうやらシアトルは秋が深まると、

 

果物が美味しくなるのかもしれないと、それでスイカのカットを買って、外の椅子とテーブルで食べることにした。

 

 

 

 

何やら、生の音楽が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016.09.22 Thursday

みんなの玉ねぎ

  

 

 

 

みなさんに、くっついてアメリカまでやって来た。

 

とりあえず、お店の視察。

 

 

初日なので、とりあえず商品の雰囲気を見て歩く。

 

陳列は、印象だけを感じるにとどまる。

 

 

玉ねぎの売り場で、裸で売られていた。

 

総じて、パッキングされているのは大袋ばかりで、

 

2〜3kg は入っていそう。 

 

あんなの、日本でも売れそうに思うが、日本の台所事情では、

 

スペース的に無理なのか、それともそんなに買いだめしなくても思っているか、

 

玉ねぎとジャガイモ程度なら、ああいう袋で纏め買いしておくほうが楽でいいと思うのだが。

 

 

 

ところで、今年、残念なことになった、ホワイトオニオンが並んでいた。

 

これは、日本で定着するような気がする。

 

北海道産の甘系の玉ねぎなら、これで充分な気もする。

 

じっくり炒めて、あるいは煮て、というなら従来の品種が硬い分だけ良いかもしれない。

 

でも、これが上手くいくなら、夏のさらだちゃんをいつまでも引っ張らなくていいようになりそうな気がする。

 

 

他にも、面白そうな野菜はあった。

 

ビーツもそのひとつ。

 

ハラペーニョあたりも、当たり前に並んでいて、

 

ひとつひとつ、考えて紹介していきたい。

 

 

 

ところで、こういうバラ売り、定着させることが出来れば、人手不足の解消と、

 

低価格での販売、粗利の確保、買うお客さんの参加型の楽しみ等、案外いいことずくめではないか。

  

 

 

 

 

 

 

2016.09.19 Monday

2500

 

 

 

 

2501 

 

 

イチローのアメリカでのヒット数に、500 ほど足りないが、

 

今日で、この blog の記事は、2501 目だという。

 

別に自分で数えて来た訳ではないが、

 

この blogサイト の統計欄に、そうカウントされている。

 

 

 

昨年の春に、日本経営コンサルタント株式会社の社長、水元仁志氏に出会って、

 

私の仕事振りは、大きく変わった。

 

元々、自分は仕事をする方だった。

 

但し、仕事をする時は、という注釈がつくが。

 

 

そもそも、仕事をするスタートが、ひとより遅かった。

 

今の会社のスタートは、28 年前だが、当初 3 年程は寝食を忘れて没頭していた。

 

ところが、会社も、何となくやれるかなあ、と思った時、『 草野球 』 に出会ってしまった。

 

この草野球のインパクトは大きく、仕事を忘れた訳ではなく、頭の中ではあれこれといっぱい考えていたが、

 

身体は、野球を中心に回っていて、ひと月の試合日程が決まってから、出張の日程を作るほど、

 

明けても、暮れても、野球という競技はどうしたらいいのか、藤井寺球場にまで何度も足を運び、

 

プロの選手の、バッティングの身体の使い方を見て、学んでいたり、テレビで大写しされる、

 

スライディング の、仕方を見て、頭の中でその通り、身体を動かしたり、とにかく余念が無かった。

 

最初にモデリングしたのは、今はどうしているのか気になる清原和弘の打撃フォームだった。

 

だから、落合博光が指摘する、彼の無冠の帝王に終わる重大な欠陥も、分かるような気がする。

 

そんな欠陥を直そうともせずに、あれだけの結果を残せるのだから、やっぱり彼は天才的なバッターだった。

  

 その点、イチローは、どこがどうで、だからこうなると説明をできる突き詰め方で、突き詰め出来る事は、

 

ひとつひとつの動きが理路整然としていて、彼が、天才というより、秀才という事を現しているような気がする。

 

 

 

話を、先の水元氏に戻すと、今年の春に、『 高い目標の無い行動は、ただの暇つぶし 』 と彼は発言した。

 

この言葉は、私には強烈なインパクトがあり、それまでの自分を根底から否定された気分に陥った。

 

草野球へ自分を導いてくれた、40 坪で 7 億円売り上げる会社の社長、宗接元信氏に、

 

「 お前は、自分を怠け者だというけど、そうじゃない、お前には使命感がないだけだ 」 と揶揄されても、

 

心に引っ掛かりはすれ、『 使命 』 なんて大それたものには、自分には縁の無い事だと思ってきた。 

  

  

 だけど、暇つぶしでいいと思ってきた人間に、『 ただの 』 が付くと、何の価値もないと言われているのと同じだから、

 

それは困ると思い始めた。

 

実は、今の会社を始めて 20 年という節目が見えた時、凄く無駄な時間を過ごしてきたような気がして、

 

何も残っていない自分が、とても情けなく、寂しい気持ちに襲われて、それを如何に解決しようかと考えて、

 

 

それで、小豆島で農業をする事にした。

 

これには、草野球以上に夢中になった。

 

 

でも、惨敗と言える結果に終わった。

 

 

仕方が無いから、また、食料品屋の親父に逆戻りしてきた。

 

食料品屋は、かれこれ 40 年にもなるが、途中で一度放棄して、樵になろうと山仕事をしていた。

 

その時も、叶わず、食料品屋に戻って来て、始めたのが今の会社なのだが、物心ついてこの方 50 年、

 

いったい自分は、どこに行こうとしているのか、その像が出て来ぬまま、暇つぶしで良いと思ってきたが、

 

不覚にも、60 年も経って、火がついてしまった。

 

 

 

 それは、いいんだけど、実は、しんどい ことだと思っている。

  

 

 

 

 

 

2016.09.18 Sunday

おちゃめ

 

 

 

 

 

おちゃめな 会社だった。 

 

おかげさまで親しくさせて頂き、ありがたいことだが、

 

実は、特徴を捉えかねていたが、結局過去何度かいろんな場面で御一緒させて頂いた共通の印象は、

 

社長の雰囲気を、みんながもっていて、これが社風にまでなっているような気がした。

 

もちろん、おちゃめなだけではなく、すべてにおいて社長の気風をみんなが理解して賛同して、同調しようとされている。

 

 

 

その社長は、一度お話しする機会を作って頂いたきりだが、その時、

 

自分は、スーパーマーケットが好きで、天職だと思っている、と話されていて印象的だった。

 

最初から、天職だと思われたわけではないだろう。

 

最初は、スーパーマーケットでも、というお気持ちだったのではないだろうか。

 

でも、どうせやるならと、深く考えられている内に、その考えが身に付き、新たな身体から沸き起こる考えが、

 

まるで天から降りてくる考えのように思え始めて、それが自分の使命に思えて来て、果たす事が歓びに変わる。

 

 

 

これは、自分の事を言っているに過ぎないのだが、そこまでくると、どんどんスーパーマーケットの可能性が、

 

事業としての可能性ではなく、社会活動としての可能性が、目の前に広がって行き、見果てぬ夢にまで深まっていく。 

 

 

 

 Super という英単語を誰が着けたのか分からないけど、米国産の業態を採り入れた時の、

 

『 より安く 』の奥にある 『 消費者の為 』 という哲学が、安くのみが消費者の為となってしまい、

 

その他の、消費者の為という項目が、あまりに安くに強くスポットライトが当たった為に、他の項目を陰に追いやって、

 

 

消費者の為という目的が、安くという目的に置き換わってしまったのかも知れない。

 

 

 

自分は、買い物代行業だと捉えていて、消費者という言葉すら全体を捉えていない気がする。 

 

 生活総合価値を、エネルギーという切り口で提案していこうとしている。

 

その為に、良質のエネルギーとその性質を総体として届けたいと、自分のモチベーションを定義している。

 

 

 

 

 

 

2016.09.17 Saturday

波動測定器

 

 

 

 

 

 

 フレッシュ・デポ さんに見せてもらった測定器。

 

いきさつは先日書いたから省くが、そういえば若い頃、この バイブレーション という、

 

敢えて言うなら、ヒッピーが好んで使った言葉で、しばらくしてから、自分なりに日本語に置き換えて、

 

『 気 』 という言葉を使い始め、それで世界の成り立ちを視るようになったのかも知れないが、なかなか筋が良かったかも。

 

 

物理学で、物質の解明できている一番小さな位相は、どこまで到達しているのだろう。

 

そもそも物理学のひと達が、見えぬ物の存在を認めたがらないのは、立証できるか否かに拠るものだろうと思うが、

 

それはそれで正しい事だとは思うが、逆に立証できない事柄の存在を認められなければ学問として成り立たない事実の、

 

その証明はやりたがらないのは何故か、不思議に思うが、それなら空気圧という目に見えない物質エネルギーは、

 

現在、物理学でどのように説明しているのか知りたくなってきた。

 

 

  

 その性質について、類が及ぶ波動というものは、彼らにとって遠い存在なのかも知れない。

 

 

 

2016.09.16 Friday

命の根

 

 

 

 

南魚沼郡大和町と、むかしは言ったところ。

 

トップワールドさんの御三方と行ってきた。 

  

皆さんが、工場を見学されている間に、ふらっと外に出てみた。

 

 

 

縦長の工場の隙間に、田んぼの稲が黄金色に輝いていた。

 

畔は、きれいに草が刈られて、この草刈りも稲刈りの準備のひとつかと思い、

 

この田んぼの農家の、一年のピークを迎えられる気持ちに、畔すら応えているように見えて、

 

この国の人々に脈々と受け継がれて来たであろう遺伝子の骨格の、ひとつひとつの感覚が伝わって来て、

 

すべてに創造の神が存在していると感じても、少しの無理もなく、「 い ね 」 の語源が 『 命の根 』 と言われても、

 

「 そうかも知れない 」 と思う。

 

 

 

この文章に出会ったのは、ちょうど会社を始めた頃の、納豆について調べていた時の事だった。

 

あの頃は、ひとの命を育む根が 『 米 』 だという意味で読んだが、こうして此処に立って眺めていた時には、

 

そんな人という小さなことではなく、その人も、ありとあらゆる命のたったひとつに過ぎなくて、

 

ありとあらゆる命が支え合って、またひとつの命が繋がる様を見て、そう名付けたのかも知れないと思っていると、

 

この工場の社長が、私を探して、ふらっと出て来て、物を語らずとも、互いの今の想いは通じてしまう、

 

表面に浮かんでは、また沈み込んでいく感情に、静かに乾杯をしているような 『 秋 』 という季節を見ていた。

 

 

米が外れた残りの藁ですら、今はもう植えなくなってしまった畔の大豆を煮た後、その藁でくるんで、

 

こたつの中で、藁に住み着く原始生物に近い菌の力を借りて、醗酵させて御飯に乗っけて食べる納豆なんてものを、

 

考え付く生命力の旺盛さが、神のおかげとの感謝に昇華されていき、その藁を撚って神棚にしめ縄として、

 

捩じられた力を解放しようとする力で結束されて、陰と陽とが一体となって宙に舞い上がっていく、

 

そんな野放図な夢を見ながら、冬を過ごしていたのかと思うと、西へ東へと走り回っている自分が、

 

ほんとうに、ごくろうさんと思えてくる。

 

 

 

 

 

 

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