レーズン
先週、アルファーのデザイン担当中野と、私の撮った動画の編集と自らの料理動画で Alphar's Movie を始め
Alphar's kitchen の料理レシピの作成をしている中澤と、ヤマダストアーさんに勉強に行かせてもらった。
中澤が、ざっとした買い物額、19 点 8,664 円、平均単価 456 円。
相変わらず、ヤマダストアーさんに行き、買い物カゴを持って、店内を一周すると、これくらいの額になる。
私と中澤の二人暮らしで、口もお腹も二人分しかないが、店で目に付いたものをカゴに入れてレジに行くと、
大体 20 点くらいがカゴに入り、それぞれのひと品、ひと品が、面白いと感じるものばかりで、楽しい。
アメリカで、一緒に歩いた文化堂の取締役の方に、スーパーとamazon で、食品は月 10万円以上の買い物になる、
と、言うと、びっくりされていたが、世間はどうなのかは分からないが、どうなんだろう。
びっくりされた事が、少し不思議なのだが、数年前に青山店のリニューアル後、2 時間かかって買い物をしたときは、
一万円で足りなかった。
多分、チーズも買ったような気がする。
チーズを買うと、途端に一万円は超える事になる。
デパートにでも行って、チーズ売り場に遭遇すると、チーズだけでもそれくらいになってしまう。
酒飲みでもないので、チーズをつまみのように食べることはないし、いったいチーズをどのように食べているんだろう。
考えてみれば、料理に調味料のように入れているとしか思い出せないが、栄養のないチーズを求めるか、
チーズを食べても、栄養摂取しない身体を求めるか、どちらを選べて言われれば、後者を間違いなく選ぶ。
食品を食べても、栄養摂取しない身体がもう直ぐ出来るらしいが、それを進化だというそうだ。
何故なら、人間が作り出した社会に、身体が順応・適応できていなくて、
それで、摂取栄養過多で病気を引き起こしている状態だということで、否定したくなるが、
自分を見ていると、それが進化の遅れといわれれば、納得せざるを得ない。
それとも、食欲に勝てない精神的な退化が、問題なのか、どちらか分からないが、
これだけ、成人病のような、食べることで引き起こされている病の氾濫は、肯定的に捉えれば、
肉体の進化の遅れと採る方が現実的で、そうであれば摂取しない身体に進化したときに、食糧品販売はどのようにあるのか。
野菜の栽培においては、土作りとは微生物性や物理性を言うのであって、理化学性は別次元にあるような気がしている。
野菜が成長の過程でその都度必要とする栄養は、有機由来であろうと無機由来であろうと、根からだけ吸わせるのでもなく、
葉からも、つまり人間の点滴のように、単体で栄養素を吸わせている栽培が、片方では少なからずあり、
いずれも、優れた農家は、そうしている。
片方というのには、もう一方では、栄養を足さない栽培で、とてつもなくいいものを作っている農家も、複数いるからだ。
日曜の朝に電話があり、彼は、「 1 kg にしかならない南瓜の条件でいながら、3kg の南瓜にしようとするから 」 と
面白い事を言っていた。
その彼は、4 割り程度を 3 kg 程度の南瓜にしていた。
この説明を、彼は、天候に恵まれて、今後二度とそういうことにはならないだろうといっていた。
二度とは、多少御幣もあるが、一つや二つの天候条件より多い条件が、たまたま合致したということだろうが、
そう大きくなる年でない南瓜も、美味しい玉を出荷してくる。
ただ、小玉もあるということだ。
彼は、痩せてはいるが、元気印そのもの。
まったく、ひとというのは実に面白い。
そういえば、昨日訪れてきてくれた金融機関は、考えた末、
先ず最初に融資枠を設定する、と言っていた。
いきなり結論にジャンプして、後は本部がどのように判断するかに任せるという。
気の利いたコンビも奇跡的にはあるもんだ。
彼は、実に愉快だが、その質を本部が理解できるかどうか非常に疑わしいが、
今ある金融機関があまりにつまらなくて、その理由が私にあると判断して、窓口を息子たちに譲ろうと決めた矢先なので、
さて、どうなることか。
ただ、大阪は、競合を合併で切り抜けて、
京都は、自助努力で切り抜けようとしている差はあるような気がする。
さて、冒頭のレーズンは、このようにパンに入り込んで登場した。
オーストラリア産のマスカットだそうだ。
画像の量で、580 円、多寡の判断など、何を基準にしようというのか。
有機の生姜
有機農産物で、包丁を使って商品作りをするのは、現在バナナと生姜。
それぞれの野菜に、使いやすい形いうのがあるので、先日テレサファームが使っている包丁を買ってきた。
こうして見てみると、バナナは刃の減りが激しいが、生姜はあまり減らないのかもしれない。
バナナの包丁は、研がなくても、切れ味が落ちない。
切ることで、研いでいるのと同じような結果になっているのか。
バナナのハンドのヘタから、切り離すときに、滑らせて切っていく。
この滑らせないと切れない、包丁の使い方の基本は滑らせるところにあるのだが、
滑らせない切り方は、ぶった切るように押さえつける、または叩きつけるようにして切るのだが、
それでは、繊維が強くて、とても切れないので、何度か滑らせてきり進んでいって、初めて切れる。
だから、汚れがつかないんだと思う。
生姜の包丁は、生姜も繊維が強そうに思うが、どうなるだろう。
Alphar's Movie 産地編
新しい媒体として、動画を取り入れることにして一週間。
スーパーマーケットの野菜売り場で、何とか動画が役に立たないかと、
考えていることは、随分進んでいるが、それは ipad 上での事で、
それをパソコンのメール上に反映できる方法を探しているが、なかなか見つからない。
今していることを、お客さんに伝える方法は、毎週一回メールで翌週の企画内容を発注書形式で配信させてもらう、
その機会に、本文中で商品の紹介や、アルファーが今目指している事や捉え方を記事にさせてもらっている。
残念ながら、皆さん忙しくって、アルファーの情報など、あまり読んで頂くことが出来なくて、
つまり、即売上額に繋がる情報が少ないことが要因なのだと思う。
それで、動画であれば、見ていただく可能性が高いではないかと考え始めている。
動画は、今までも売り場で展開されてきているが、
ベンダーやメーカーの側に立った情報の提供で、見る側のお客さんからの欲しい情報を、
お客さんの欲しい形で、提供して続けられる準備をしないと、これまた一過性のことで終わるので、
アルファーが、青果の商品ラベルのデザインと内容において一時代を築けたように、スタイルとしての定着を考えている。
そのひとつが、昨日アップした料理動画の、『 ブロッコリーとジャガイモ炒め 』。
この動画の設定は、共稼ぎ主婦が勤務を終えて、帰宅途中にスーパーマーケットに立ち寄る、場面を想定している。
頭が切り替わらずに、スーパーの買い物カゴを持ち、青果売り場に入った時に、
『 さて、こんばんはこれにしようか 』 と思える手助けになれれば、と思い編集している。
立ち止まって見てくれるには、画面がスピードを上げて動いている必要があり、
その時の女性の頭と心のスピードに合わせて、椅子に座って見るのではなく、立ったまま見てストレスが無いように。
そんな風に考えて、ベーシックなものにした。
すべて、動作は 1.5 以上の早送りにして、45 秒で結論が出るようにした。
これは、付け合わせでもいいし、ここに動物性、肉でも魚でも、いいので足せばメインの炒め物にも昇格する。
そういう場面を想定していて、産地動画や、もう少し手間のかかる料理動画は、
ウィークエンドや、日中に流せるように、編集していく方針で動き出した。
アルファーでは、物の販売から、事の販売、テーマの販売へと進んできているように、
新たに、『 捉え方 』 の販売提案をしたいと考え始めている。
同じ事実に遭遇しても、その捉え方次第で、その事実の価値は千差万別となってしまう。
この 『 捉え方 』 の共感の共有が、新たなマーケットの切り口になるような気がし始めている。
『 知識層 』 という、全体の 3 割りはいると思っている層に対しての切り口が、『 捉え方 』 にあるような気がする。
この 『 知識層 』 の正体は、何か。
もちろん、鼻持ちならないエリート意識ではない。
そんなものは、テクノロジーの進化によって、木っ端微塵に砕け散ってしまう。
『 知性 』 すら、AI に取って代わられる時代が直ぐ其処に近づいてきていると言われれば、否定できない。
そうすると、今起こっている事と、ひとが互いに敬意をもって存在し続けられるためには、
何が必要かを考える層がいても、ちっとも不思議ではなく、いずれ多数を占めていくことが容易に想像できる。
だって、戦争が出来なくなるんだから。
現に、今だって、させられている戦争、小競り合いしか起こっていない。
させている方は、自分たちの利のために、させていて火の粉は飛んでこないようになっている。
この国だって、させられてきたし、今後もそうなる可能性はゼロでなく、その時に、その道を踏みとどまるだけの、
素養は、築かれやすい国だから、このいずれ多数という筋を辿る事になりそうに思える。
つまり、それぞれ自分が何処に立っていたいかの選択を、幸いにも迫られる時が来る。
これだけのテクノロジーが進化していく時代に遭遇して、その恩恵に浴しない手はないと思って当然だろう。
一番大切な捉え方は、その進化が、特別な層に対してだけではなく、その何分の一かが、私たちの手の届くところに降りてくる。
だって、スマートフォンが、これだけ性急に世界中に普及するなんて、予想できたのはスティーブ・ジョブスだけではない。
しかも、そのスマホの能力の向上は、ますます文字通り拍車がかかり、4K 8K が手元にやってきている。
音だって、ナノ化が同じスピードで進み、小型のスピーカーで、すごくリアルな音が耳に届く。
八百屋だって、この音と映像を利用しない手はなく、僅かな投資で、実現できるからこそ、現実的な策になる。
すべて、北の東武の千葉社長のおかげである。
無知な自分の目を覚まさせて頂いた、大恩を感じる。
一直線に飛んでいきたい。
アイ サイト
追従型自動運転 というのかな。
前の車について走っていく技術。
一定の車間距離を保ちながら、走ってくれる。
何が楽かと言うと、スピードを気にしなくて走る事ができる。
いつも、いつの間にかスピードが出ている事を気にしながら運転することは大変だった。
それが、設定した速度以上には出ないので、大変楽な技術ということになる。
ただ、思ってた以上に、加速と制御が急だということ。
見ている車が、前方一台だけで、その前方の車がどうするかの予想はしていない。
自分がアクセルとブレーキをコントロールしている時は、その車の気持ちになって走っているので、
大体どのようにするかは想像できるので、車間距離も含めて、早めにスピードを落としたり、
徐々に上げたり出来るので、燃費もいいように走れるのだが、そこまでは未だしばらく難しいだろう。
一番の優れものは、リセットが簡単だということかな。
まあ、20 年前の自動運転とは格段の違いがある。
今にもっと進んだ自動運転技術が出てくるのだろう。
すごい事だと思う。
あゆみ
2 月の NOURISHING WEEK に、ブロッコリーということで、これも入れているのだが、
2 月の中旬くらいから、出荷量がピークを過ぎて下降線に入るのではと不安になっている。
商売なんてものは、あきないというくらいだから、厭きずにやるしかないと言われてきたが、
こういう有機や特栽の野菜は、価格がどうしても高くなるので、放っておいても売れるようになるまでは、売るしかない。
ところが、スーパーマーケットという業態は、品出しすれば後はお客さんが勝手にレジに持って行って精算してくれる、
ってことに馴れすぎていて、品出ししておいても、売れなければ、どうして売れるようにすればいいのか、
その技に不慣れで、その技にはコストも、同じ事だが時間もかかるので、
なかなか、途中で『 いうほど売れないよね 』って、
売れないという結論を安易に出してしまう。
でも、全部の顧客ではないが、確実に求めてる客層っていうのは存在する。
その数は、3 割りだろうと本屋の経験から知っている。
アルファーは、その 3 割の内、
1 / 3 を貰えれば、
経営が、次の投資まで出来る、
そういう構造で、組み立てをしている。
いわゆる、知識層ってことだが、この言葉がなかなかピタッとくる言葉が見つからない。
知識層 っていうと、イメージがエリートとつながり、私もそうだが抵抗を持つ人がいるので、
いわゆるエリートと知識層は、違うんだってことを伝えられる言葉を見出す必要がある。
はなもちならない って、どんな字を書くのかも知らないが、
そんなひとは、一緒にいてもつまらないので、すごいねぇ〜 で片付けているが、
どこが違うかというと、当たり前のことなので、普通にそのことに基づいて暮らしているひとは、
今朝は、遠くの梅田のビル郡が綺麗に見えているが、其処にいるひとと一緒にいることが素晴らしい事だと思う。
そういうなかで育ってきた野菜は、同じ有機や特別栽培の野菜でも、
何か、ひととは違う自分を発見して作っている野菜の中でも、
食べた時、身体に馴染みが違う物になっている。
さいきん、美味しさってのは、この事を言う気がしてきた。
食べた時の、美味しいという違和感ではなく、違和感無く口に入れた瞬間から、
身体のすべての細胞が、よう来たなあ と歓迎してくれるような、感覚を美味しいと感じるのかと思う。
ら・カンパネラ
小さな 鐘 を意味するそうな。
となりで、「 えらい、気にいらはったんやねぇ 」 とからかわれているが、
日曜の朝から、このピアニストのビデオばかり見て、聴いている。
彼の情景が、とても気に入って、私には音楽など聞こえては来ないけど、
それでも、小豆島で過ごした 10 年ほどの間に、春には春の、秋には秋の、夏には夏の、冬には冬の静寂が聞えていた。
聞えて来たと思えば、五輪真弓の「 枯れ葉舞う〜 」 って、聞えてきて、「 冗談だよと笑ってほしい 」
で終わる。
自分が、こんなに綺麗なところで、毎週末を、気が狂ったように農作業に没頭している自分が、
冗談にしか思えなくて、いつもひとり苦笑していた。
復習
Consumer Chefs
この 13 項目が頭に入りすぎて、忘れてしまいそうになるので、
もう一度、思い返す事にした。
この 11th の提示は、ALPHAR's KECHTIN を展開してきたので、
それに、更に力を注いで、その受け皿にできればいいと考えている。
それで、お店にレシピを料理手順として、動画にしたいと思い始めた。
6th の Clean Labels は、既にこの会社が始まって以来 30年間し続けてきて、
もう、世間が追いついてきているので、もう一歩先に進めようと、最近産地に行っては、動画を撮り始めている。
それで、今度はアルファーのホームページにアップしたり、営業に行ってお見せしたりする為のツールを、
昨日、心斎橋のアップルストアーに出掛けて、iPad を買って来た。
最近、テクノロジーの発達について、真剣に考え始めているが、
この iPad の機能の進化については、プロモーションビデオで、驚いた。
想像以上に、知らない世界が展開されていて、その技術を今直ぐに仕事に生かすべきだと考えた。
iPad Pro
Out of the Darkness
昨日も、BLUE OYSTER CULT の曲をアップしたけど、アップ直前で消えてしまった。
たまに、やってしまう。
ヘビメタの元祖みたいなグループで、シンプルさが気に入っている。
私にとっては、洋楽の入り口のような時期で、わりと本格的なグループのパシリみたいなものだった。
ダウンタウンブギウギバンドが、このグループのコピーをしていたような気もする。
で、昨日何を書いていたかは、虚脱感について書いていた。
また、30年も先の事を考えてしまっていて、目前の事が過去の物語になっていく感覚に陥ってしまっている。
実は、過去も未来も現在も、別な存在と思うのは、時計やカレンダーを人間が道具として使い始めたからではないかと、
小豆島の鹿に出会ってからそう思うようになり、LUCY というとんでもない映画の冒頭に時について説明されていたように、
結局は、ひとかたまりとしてある。
やらなければいけないこと、やりたいことはたくさんあるが、
少しずつ、進めれば、それでいい。
OYSTER BLUE
BLUE OYSTER CULT ってバンドの曲をよく聴いていた。
いわゆる、ギンギンってやつ。
食べる事が主体で行ったのではないから、
その牡蠣を撮ることはしなかったが、牡蠣尽くしの店で、
それだけに、最初の一個を口にしたときに、びっくりするほど美味しかった。
そういえば、むかしパリまで独りで行って、疲れ果てて行った店で、生牡蠣を食べた時の美味しさが甦った。
若い頃はそうでもなかったのに、いつのまにか牡蠣を食べるとお腹がシクシクと痛くなる時期が長くあった。
最近は、何故か、食べても我慢できる程度、少し違和感が出るという軽症で済むようになっているので、
遠慮なく食べたが、実に美味かった。
たまねぎの天ぷらも出てきたが、このたまねぎも美味しい玉葱だった。
昨日は、1985 年生まれの同窓会。
うちの三男坊も、その年だということで、急遽、飛び入り参加。
みんな嬉しそうで、私は保護者 ? の立場で、この会を企画したが、なんとか成功のようで良かった。
MILLENNIALS を意識しての事だが、今に始まったことではなく、
ずうと、この世代に期待を寄せている。
私たちは、物販を生業としているので、ターゲットとして見ているが、
私自身は、この世代が、世の中を変えていくと感じている。
一時期は、団塊ジュニア世代に期待したが、どうも思うような方向には動かず、
むしろその親世代を継承したように、残念ながら、ますます疎外が進んだように思う。
団塊の世代は、人数が多かったので、自らの生き残りを賭けたような戦いが多く、セクト間の争いが絶えなかった。
その、子供だから、そういう親の血を無批判に引き継ぐのは、当たり前といえば当たり前で、批判は出来ない。
でも、その後のこの世代は、そのことを反面教師に育ってきているのではないか、というのが期待の中心になっている。
どうか、このまま、敬意と愛に満ちた社会を作ってほしいものだと思う。
彼らが喜ぶ事なら、なんでもする覚悟でいる。
もう、自分の遊びは失くしてしまった。
彼らの目標になるにはどうしたらいいのか、だけがすべてで、その努力が唯一の楽しみ。
もう少し、がんばろう。