健康ってなに?
久しぶりに読めない漢字にお目にかかった。
息子に読んでもらっても、今度は意味がつかめなかった。
昨日訪問した彦根の同級生のお店。
春の選抜高校野球に彦根東・近江高校と彦根市から2校出場し、滋賀県からもうひとつ膳所高校も選抜されている。
高野連も気が狂ったかと送った私のメールの返信に書かれいた言葉。
どうも、息子曰く「テレビでよく言われていた」らしい。
でも、他人の気持ちをおしはかること から受ける印象とは少し使い方が違うような。
で、同じように使い方がいまひとつ、ピタッと来ていない言葉の『健康』について考えてみようと思う。
昨年の秋の会合で、弊社は『薬膳』をテーマにブース出展をしていた。
東京の企業さんで仲良くさせてもらっている幹部の方が「 後で、担当者に来るように言っておきます 」ということで、
しばらくしてこられた担当の方、一瞥して「健康に興味はまったくない」と言って直ぐ去っていかれた。
御自身は即今からだのどこにも不満はなく、
また、食品販売をされているにもかかわらずお客様の健康にもまったく興味を持っておられないのかなと思う。
身体の何処にも不満がない状態を世間では『健康』と理解されていて、
それが大多数で共通の概念であれば言葉として成立しても良い様な気がする。
だけど、本来的な意味は、人間の身体の機能の能力向上を表す動的な事柄も含んでいるような気がする。
人間の身体能力なんてたかが知れている。
視力だって、今の人間に見える色だけが世界に存在する色ではない。
眼に見えない色はいっぱいある。
音もそうだ。
どちらも周波数で、
キャッチできる周波数の枠がある。
この周波数が問題で、色や音だけではなく世界にはあらゆる情報が周波数を伴って行き交っている。
この周波数を眼や耳・鼻・舌・身でキャッチするだけではなく、意識も動員して生物は健康に生きのびる。
そうすると、世界の成り立ちと自分の身体を同化させることで、いままでキャッチできなかったことも、
身体に入ってくることになる。
これを人間は『 智慧 』 と読んだりしている。
つまりは、自分が普段捉えている外にも正しいことの存在を認識できることが、
健康な状態だ言える。
遊びは、今知っていること以上に知ることから始まり、
それを古文で彦根東高校は「いとおかし」と教えていたように思う。
生産者来訪
【 農業を守る 】 これは、40年来のテーマ。
昨日は、この生産者、上村英樹さんが一日来社してくれた。
今は、かの農家にとっていちばん忙しい時期にもかかわらず、私用で兵庫に来たついでに、
一日余分に時間をわざわざ取って、来てくれた。
もちろん、来てくれたには理由があった。
先週から出荷できるとのことが、出来ない状態に陥っていて、それでふたつの会社の間が、
ギクシャクなりそうなタイミングで、私自身も急遽息子二人を沖永良部島まで日帰りで派遣することを考えていた。
農家を守ることと、農業を守ることは決定的に違う。
このことが分からないと、ミスリードになる。
40年ほど前から日本の有機農業は始まっているが、この違いを理解しなかったことが、
私は、いま世界的にこの国が有機農業の普及において立ち遅れている要因のひとつだとまで考えている。
農家を守るとは、農家の立場を守ることで、立場とは農家の事情を優先どころか、それしか考えない価値観が生まれてしまう。
この一文では理解しにくいかもしれないが、それは次の一文で分かるはず。
それは、では農家の立場のみを考えて農業は成り立つことはなく、
商業が農業の横に対等の立場でくっついていなくてはならなく、
その先に、ユーザーが存在する。
つまり、三方良しということは、
その中の一方のみに偏ると、三方とも共倒れになることを意味している。
農業を守るということは、この三つの立場と事情を鑑み、それぞれが成り立つ筋を探ることになる。
どうも、いままで商業を中心に農業を捉えて、そのことでユーザーに選択肢を与えてこなかったことが、
大きなひずみとなっている。
おかげさんで、いま弊社が取り組みをしている農家で、後継者がいないところはどこもない。
だから、この国で農業が廃れる懸念はまったく無いと私が言うと、
北海道の彼は、それは答えとして正しいが、絶対数が少ないことには違いないと言っていた。
私は、それも真だと感じている。
では、その方法論はというと、決して農家を守ることではない。
これをやると、農業のレベルが上がらないままになるからだ。
すべてが、経済行為であることは間違いないので、お金の問題はついてまわる。
だけど、お金の問題だけで捉えると、ひとは間違ったプライドを持つことになる。
農家のブライドは、
ひとは食べた物の化身に過ぎない大切な食を預かる者として、
その技術が根底になければならず、その技術を支えることは不断の知恵と勤勉さに在る。
その知恵と勤勉さが、資金力になる。
このことを昨日来てくれた上村さんは話しをしていた。
まったくその通り。
では、北海道の大川氏も同じだが、地域でこれが出来る人間がどの程度の絶対的な人数が、
あるいは、確立でいるかということは私より彼らの方が良く知っている。
どの産業でも同じだが、仲間に学ぶということが必須であるが、農業に於いてそれが成り立ちにくい現状がある。
いちばん寡占化が進んでいない産業が農業だということを考えれば直ぐに分かる。
地域でこの指導的立場に立ってきたのが歴史的に農協ということになるが、
先の二人は、農協と一定の距離を保っている。
保っているということは、敵対している訳ではないが、
農協の傘の下にはいない。
ということは、農協がその指導的立場として充分ではないことが分かる。
これは、農協が特別な立場、つまり農家と一般的に対等な立場ではなく、
とすると、その二人の農家とも、他の農家とは対等の立場という事になる。
片方で、その充分とはいえない農協から自立している農家の姿に、ビジネスモデルとして素直に学ぶ姿勢が、
当然ながら出来るかできないかで決まる。
技術とは、知識同様、共有するもので個人のものではない。
これは持っている者の問題もあるが、持っていない者の問題も大きく、それが共有の妨げとなっている。
資金力とは、不断の知恵と勤勉さの結果だとすると、
知恵は、素直さがあれば盗むことが出来る。
勤勉さは自分で獲得するしかない。
それが、資金力を得ることになるとすると、答えは簡単だ。
新旧交代
下の名刺入れ、30年前に買って始めた仕事。
使い慣れて愛着もあり、ほころびも気になっていなかったが、ちょっと限界を超えた。
で、新調した。
馴染むまで、違和感はあるが気にしないで使うことにする。
住めば都だ。
今年は、数えていないが30年を迎えている。
法人設立までに1年かかっているので、25年を過ぎてから設立後を数えるようにしている。
でないと、自分の歳も数えられないので会社の年数も数えられないでは、頭がおかしくなる。
で、いま設立何期をしているかというと、これも分かっていない。
設立は、平成2年2月2日だということだけ。
これだけは、結婚記念日を忘れても、
忘れることはない。
ついでにパソコンの背景も変えた。
つぼみ菜
久しぶりに、新しい農家さんに行って来た。
吉田麻衣に、TOKITA 種苗さんの展示会に行っといでと言って、彼が出会ってきた農家さん。
なかなか、いいチョイスをしている。
春の息吹を感じる野菜。
これは、農家いわく 『 展示会では人数の問題で火を使ってまで出来ないから、生のまま食べてもらう 』
それで、編み出した食べ方だと言っていた。
なるほど、いける。
でもね、畑で食べたあの驚きの味が、
全部消えていた。
ドレッシングの味で、あの尖ったそれぞれの味が、
ひとつにまとまってしまって、ただただ上品な味になっていて、箸休めかな。
でも、ここにマグロやタイの刺身が乗っていれば、カルパッチョとして一皿千円と言われても、食べるだろう。
で、焼いてくれたつぼみ菜がこちら。
これは、オリーブオイルでそてーして塩でも振っているのか、振っていないのか、
今度は旨みがというか、甘みというか、凝縮して全部食べてしまいそうだが、遠慮した。
むかし、どうぞと言われて丼鉢ていどの器に出されたウニを、半分くらい食べて、空気感がおかしいのに気づいて、
顔を上げると、どんなけ食べるのやって顔をしていて、食べるのをやめたことがあった。
だから、それ以来、美味いからといって出されたものをすべて平らげるのはやめた。
畑は、こんな感じ。
外葉を手でどけながら、なかの脇目を探して収穫していた。
何処の国の彼女か知らないが、賢そうな顔をしていた。
収穫作業を見れば分かるし、その後の後始末もきちっとしていた。
子供の頃から親に叱られながら、手伝いをしてきたその雰囲気が感じ取れて、
ああ、日本もむかしはこのように子供の頃から働いてきたのだろうと思うと、この先が見えるような気がする。
で、彼が農家だが、なかなかユニークなひとだった。
尊敬に値する。
「 おかあ〜さん 」 と嫁さんをすぐに大声で呼ぶ。
10 分ほどして、その呼ばれた奥さんがやって来た。
「 ○○さんが 20 キャンセルだって連絡してきた 」
「 それだけのために呼んだの? 」
思わず笑ってしまった。
「 電話っていうもんがあるでしょ 」
と口を挟むと、「 電話置きっぱなしやろ 」 と怒っていた。
夫婦の話に口を挟まんとこと、またひとつ勉強した。
で、ここは鳴門なので、若布が沢山あり、それを醗酵させて肥料を作っている。
これが、味の秘密か。
肥料を遣らない素朴な美味しさもあるが、遣る肥料によってしか出てこない旨みもある。
天気の良い日に農家に行くと気を使うが、3時間もの長きに亘って話しをしていた。
お邪魔しました。
アグリフーズEXPO
なんて書いてあるのか。
はふ と思っていたが 游 と書いてあると、今気がついた。
ようは、わさび屋 さん。
こういうわさびが売れる八百屋になりたいとずうと思ってきた。
今まで、二度トライしたことがある。
二度とも、いつの間にかやめることになって、今は無い。
その理由が分からないので、今回もどうか分からない。
また、トライして、今度はどうしたらいいのか、ちゃんと考えよう。
おなじ、わさびでも、こっちは 山わさび 。
最初はなにか分からなかった。
でも、山わさびに間違いない。
「 山わさびが、こんなに大きさになるとは思わなかった 」
というと、ブースのひとは、どうだという雰囲気で笑ってた。
以前に、肉売り場においてもらう提案で、よく売れたというと、何やら加工品を持ってきてくれた。
どこも、加工品を一所懸命作っている。
でも、なかなか難しいものばかり。
もちろん、味はいい。
あんのう芋三兄弟。
三姉妹かな。
冷凍焼き芋で売りたいと言っていた。
ことしは、あんのう芋が良く売れている。
というか、根物・土物しか売れていない。
よくこんなんで商売が成り立っていると思うが、まあこれらが売れる八百屋をしたかったので、
それは、それで喜んでいる。
レアな品目が売れるのも面白いけど、基本は基本的な野菜が売れることが私の一番の願い。
だって、八百屋なんだから。
有機や特栽と言っても、特別なものしか売れないようなら、
何のための有機特栽か意味が無い。
40年前にみんなと一緒に有機の八百屋を始めた頃、
スーパーマーケットで、普通に有機の野菜が並ぶようになるまでやろう話ししていた。
私は、もう直ぐだと思っている。
今回は出展するのではなく、仕入にまわろうと決めていた。
結果は、面白かった。
有機・特栽が普通になってきたと実感している。
屋宣さんの特栽塩セロリ
久しぶりにセロリの硝酸態窒素の残留値を測ってもらった。
葉っぱ部分の糖度が 10 度もあった。
栽培しているのは、彼ら。
いつだったか、ターミナルで小分けしているとき、
すごい綺麗な、ツヤツヤした葉っぱに驚いた。
この画像でも分かると思うが、光っている。
もっとも、彼らの顔も輝いているように見える。
畑全体は、こんな感じ。
沖縄は、とっくに桜が咲いて、もう散っているらしい。
北見に行こうかと思い調べたら、今日は最低気温が -16 度 最高気温が -4 度だった。
ちなみに、和田政治さんが行っているローマは、最低気温 4 度 最高気温 12 度。
高槻と同じだ。
料理動画
初日にいちやまマートさんがお見えになって、
この料理動画を御覧になっていただき、リニューアルオープンのお店で、
デジタルサイネージを設置するのですが、この料理動画を放映していいんですか と聞かれた。
もちろん、嬉しくて、直ぐに「 是非是非 」 とお応えしたのだが、
それで、この料理動画は店舗内で放映可能ですとお知らせする事になり、
プリントの裏紙で書いたが、あまりに洒落ていないからか、
ブースで急遽中澤が、画像のように作ってくれた。
これが今回ミソになったので、一動画終わるごとにこの画像が流れるようにするのが大変で、
結局、動画の本数と同じだけコピーして、動画に偶数のナンバーを振って、コピーした画像に奇数を振って並び替えた。
おかげで上手く流れるようになったが、誰も見てくれなく、誰一人として問い合わせしていただけなかった。
ガッカリ
それにしても、今回いろんな方にブースを訪ねて頂けた。
やっぱり出展して良かったと思う。
もちろん、試食を出せば通りすがりの方も多く足を止めていただけたと思うが、
それが、その後の関係性に繋がるかどうかは別な問題だと分かっているので試食・試飲は出さないことにしている。
かえって、落ち着いて話しができない。
それで、椅子を用意して、ほんとうに用事のある方は、座ってじっくり話しをすることを旨として出展している。
いちばん可笑しいのは、歩きつかれたお客様が、椅子に座って憩っていかれること。
和やかに話しをして、周囲の喧騒を他所に癒しのブースになっている。
もちろん、お茶も出しませんで申し訳ございませんという事になるのだが。
帰りの飛行機まで時間が無いので、大急ぎで撤収作業をしているとき、
ヤマダストアーさんの堀口さんや足立さん一行が、「 間に合ったぁ〜 」 と駆け込んできていただけた。
あれは、嬉しかった。
さあ〜、これで終わりと思っていたら、こんどは昨年アメリカで仲良くなったロピアの富田さんが走ってきてくれた。
仲良くなった方が、ちゃんと覚えていて、わざわざ走り込んで来てくれれば嬉しくない訳がない。
BOXチャーターがなかなか来なくて、駅までの800mほどを小走りに歩いて、
この電車にならなければ、もう飛行機に間に合わないという電車発車2分前にホームに着いた。
券売機が混んでいたらアウトと思い、頑張った。
頑張るところが違うだろうとも思うが、なんとか予定通り電車を乗り継いだ結果、たどり着いた。
サニーマートの和田さん、よくお越しくださいました。
捕獲者
象とシロナガスクジラの壮大な物語を紹介している。
ひとの身体は、機械のようにパーツで考えることは出来ない。
なんでなら、そこに生命という、原子以前の状態が存在するからという説明をしたがっているが、
そこは科学者なので、証明することが出来なければ、「 思う 」 という表現でとどめて、
でも、このひとは、理科系でありながら「 言葉 」 を駆使して、なんとかひとに伝えようとしている。
そこがこのひとの面白いところなのだが、その言葉は『 動的平衡 』 という分かりやすい言葉で、
この言葉は、随分前に読んだ「 生物と無生物の間 」 という書籍名の本で書いていて、分かりやすい言葉と思った記憶がある。
つまり、『 砂上の楼閣 』 だという。
砂浜に、砂で楼閣を作って、翌日、潮の満ち干きの後、見に行っても、そこに楼閣は変わらず建っていた。
でも、その楼閣を構成する砂粒は、すべて別な砂粒に入れ替わっていたという話しで、
その説明の引用に、鴨長明だったか方丈記の有名な一説、『 行く川の流れは絶えずして・・・・ 』 だった。
動的平衡という分かりやすい言葉で置き換えるセンスの良さに驚いたが、
生物を定義づけると、『 自己再生能力 』 と説明していた。
『 エレファントム 』 という書籍の一節を紹介している。
捕獲者による、象の危機。
アルファーが30年掛けて探して選んできた生産者のカタログ。
ブースにおいて、閲覧していただくための展示だったが、
心無い捕獲者が、知らぬ間に持ち去っていた。
樹から降りて、象に道を譲ってもらって、どれだけの月日が経つのか。
YAKUZEN BAR
野菜のお客さんと、薬膳のお客さん。
ひょっとしたら、出すブースのエリアを間違っていたか。
まあ、今年はこれで正しかった。
ひとり、神戸の人と千葉で出会うってのも可笑しいが、勢いのあるひとが飛び込んできた。
おかいしいことをしていると、おかしいひとが入ってくる。
せっかくこういう人たちのために、椅子を用意しているのに、もう一人の方に椅子を勧める余裕もないほど可笑しかった。
話しをしながら、相方が立ったままでいるので、どうしたものかと思っていると、私の隣の椅子がひとつ空いていた。
話しの中身は、薬膳はブームになっているそうだ。
薬膳茶があるなら、薬膳酒もあり、それならそのふたつの BAR があっても当然か。
そういえば、薬膳スープBAR もやりたいって言ってたな。
まわり疲れた人の安息所になって、どういう訳か、数は少ないがみなさん息を取り戻して、行かれる。
幕張
今日から3日間、展示会に出る。
やってることは、昨年の ORGANIC EXPO とまったく同じだから、
面白くもなんとも無いが、設営が楽でいい。
みなさん、大掛かりなブースを作っておいでだが、
それでも10年前に比べれば、地味になってきてるかな。
狙いはなんなんだろう。
やっぱり、我が社のように無名のところは新規顧客開発かな。
メジャーなところは、商談会っぽい感じかな。
まあ、いずれにしても、時間をもてあます三日間になりそう。
まあ、ひとの様子をみながら、いろんなことを考える機会にしよう。
それより、本気でこの国の行く末が心配になってきた。
戦争の時代が終わる最後の戦争の時期で、それが終わった後のことを考えているんだろうか。