春爛漫
このお店の青果チーフさんは、吉田さん。
もう何年前のことか思い出せないが、青果チーフ全員参加で沖縄研修に行った。
その時に、いちばんおとなしい吉田さんで、すこし心配になっていた。
それからしばらくして、確か北野店から辻井店に移動になって、辻井店さんにはよく訪問するので、
その時々で顔を合わせられるようになって、私の顔を見ても笑ってくれるようになり、喜んでいた。
その店が、移転してリニューアルされて、超人気店になった。
前にも増して頻繁に顔を合わせるようになったが、なんとなく、自信が顔に出てくるようになって、
私もおおよろこび。
バイヤーに話しをすると、それゃこれだけ数字が伸びれば・・・・と、笑ってた。
やっぱり、結果って大事なんだ。
ひとが成長するのに、成長するから結果がついてくるのか、結果が出れば成長するのか、
そのふたつが上手くかみ合えば、結果的に成長したということなんだろうけど、
それなら、まわりの人間のサポートがないと、ひとはなかなか成長できないって事になる。
我が社でも、上を退けて成長しやすい状態を作ろうとしているが、
いまから、3ヶ月間が勝負かな。
ちょっと気を張って、注視しておかなければ。
よく、昔は会社も若ければ自分も若いと自分に言い訳をしてきた。
いまは、会社も 30 になり、自分ももうすぐ 64 、違った 65 になる。
もう、言い訳は出来なくなった。
辛抱強く
一塁側なので、午前中の日差しが当たるアルプススタンドだった。
まわりは、高校生の女の子。
最初はみんな静かで、盛り上がりに欠けているし、
それなら、せっかくメガホンも買って持っていることだし、いっちょ儂がと思い、第一声を発した。
想像通り、前に居た数人の高校生は振り向いた。
なんだか、中学の全校集会で野次を発して、何よあの人ってジィーっとした視線を浴びてバツが悪かった事を思い出した。
昔からこういう雰囲気だった。
そんな事はどうでも良いが、あの増居君ってピッチャーの辛抱強さには驚いた。
上げた右足の踏み出しから、球が左手から離れるまでの時間が短いので、球速以上に打者には早く見えているはず。
ちょうど、読売から MLB に行って活躍した上原投手のような感じで、打席に立った者しか分からない打ちにくさがあると思う。
去年の夏、バックネット付近で観た時は、球質が重そうな、具体的にはキャッチャーのミットに入るまで球速が落ちない、
そんなボールを投げる頼りがいのあるピッチャーに見えて、これは来年も行けると思ったことをそのまま実現してくれた。
先頭打者を四球で出すイニングの連続だった。
当然本人もそれがまずいことくらい分かっているはず。
それでも、四球を出す。
考えてみれば、それを嫌がって、真ん中に投げたくなる。
よく、四球で塁に出すくらいなら、ヒットで出した方が守っている野手は納得が出来るという。
自分の野球経験でも、そのように思いながら守っていた。
でも、事、試合に勝つとなると違うんだって昨日分かった。
攻撃する側は、同じ塁に出るのでも、四球で出塁してもチームは盛り上がらない。
逆にヒットが出れば、ヒットを打った打者だけでなく、ベンチに居る打者の気分も盛り上がる。
野球ってのは、チームプレーだが、スタートは打者と投手の一対一の勝負から始まる。
一対一の勝負は互いの気分が大きく作用する。
同じタイプの投手対決の試合だったが、そこが違ったように思え、
それが、与四球の数と被安打の数に表れていたように思う。
彦根東のヒットの数と四球の数は、慶応義塾高校のヒットと四球の数と、ひっくり返っているだけで和は一緒だった。
片方は四球を嫌がって、真ん中付近に投げてヒットを打たれ、片方は辛抱強く投げて四球を出していた。
打者は、打つために打席に入っているので、四球を選んでも少しも嬉しくない。
相手の嫌がることをするのが野球とという人もいるが、相手を喜ばせないのも野球といえるかもしれない。
これには、辛抱強さが必要になりそうな気がする。
増居君は、批判を背に、ここまで分かっていて投げているのではないかと思う。
そのように考えると、彼が偉大に見えてきた。
掃除
昨日は、朝から奈良の山口農園さんに行って来た。
すっかり恒例となってきた、ヤマダストアーさんの新入社員研修会。
昨年は、少し遠いけどと、奈良の宇陀市まで行ってもらうことにしたら、これが大好評で、今年もという事になった。
私は、あまり長時間立っていることが出来なくなったので、途中で休憩場所に戻って一服させてもらっていた。
玄関と脇の土間が、綺麗に掃き掃除されていて、いつ来ても感心しているが、
ふと横を見ると、箒が立てかけてあった。
多分、この箒は半年もたないだろう。
棕櫚の箒もそうだが、その横のブラシ状の箒は角が丸くなっているので、
この角を使って、隅を綺麗に掃いているのだと思う。
初めて気がついたが、丸く掃くという言葉があるが、
四隅まで綺麗に掃くと、箒の角が丸くなるんだ。
いつも、山口社長の会社の話しを聞くと感心する事ばかりだが、
当たり前のことを当たり前に考え、そのことを普通になるまで徹底してやっていく。
これは、相当高いところに目標を置いていないと出来ないように思う。
どんな言葉がこの会社に当てはまるか考えたが、やっぱり『 天晴れ 』 というしかない。
春爛漫のような日に、いいところに出かけさせてもらった。
講習の途中で、じくという漢字が分からなかった。
柚 って字になって、違うなと思ったが、手が間違ってしまえば、頭で考えても思い出せなかった。
いちばん前に座っていた女性が、『 車偏です 』 と教えてくれた。
軸 だった。
話しは、『 良心を取り戻しつつある時代の幕開け 』 で、
この良心の発露が無くて、
そこで、抽象は具象でしか結集できないので、
その具象を店舗で作り出すことが出来れば、良心を集客できるということを話したくて、
それで、昨年はいかなご、今年は恵方巻と、ヤマダストアーさんの人気の秘密を私なりに考えて解き明かしてみた。
台湾茶
台湾の標高の高いところで自生しているお茶だそうだ。
下から、変な雑菌を運び込まないように注意して、そのままの状態を維持している、いわば野生のお茶。
たしかに、雑味はまったく無く、美味い。
すこしずつ、台湾の商品開発準備が進んでいる。
そろそろ、一段ステップアップする時期が来て、その確認が取れれば亦台北に行く。
狙いは、1月から5月までの栗南瓜の開発。
もう、沖縄は時間を置くことにした。
石垣島の代わり、台湾で栗南瓜の栽培依頼をする。
そして、南国のフルーツ。
常に自分に鮮度感を感じていないと駄目になってしまう。
違う言い方をすれば、単に気が多いだけなのかもしれないが、これが無いと生きていけない。
だけど、知らない国で信頼を結ぶためには、うまく行っているときより、うまく行かなかった場合にどのようにするか。
このことが整理できていないと、博打みたいになってしまうので、ここのリスク管理をどのようにするかが、
最終段階になることは間違いない。
そのように考えると、ステップ 4 段階ほどあり、その 1 段目を上がったに過ぎない。
後は、お茶とコーヒー。
念願
念ずれば通ずという言葉があるが、
故佐竹文彰会長にご挨拶がようやくできた。
半ば押しかけた格好だが、そんな気持ちは一心で跳ね除けてお邪魔した。
10 年ほど前から、小豆島の畑で、単純な畑作業をしている、思い出したくも無いのに頭に出てきて、
それも、一度ならず、二度三度でもなく、頭が停止状態になると必ず出てくる想いに苦しんでいた。
その想いを押し退ける事が出来るのは、いつも『 会長に会える 』 という想いだった。
連絡を待っていても、其処までじゃなかったのか、そらそうだろう、
会いたいと具体的に言われれば拒む理由は無いよという程度で当たり前だと思い、
遠慮してたら前に進めないと考え始めて、意を決して渡された連絡先に私からお会いしたい旨を伝えた。
いついつなら会えるからおいで と言ってもらって、
それこそ、喜び勇んで出かけた。
食べ物商売をしているので、何か自分の商品開発が表現できるものをと思い、
和豚もちぶたで作った無塩せきベーコンを持って行き、
会話は言葉だけではないので、
その場で味をみて頂ける様に、まな板とナイフも持参し、
おまけにムードも大切なので、ちょっとしたお皿とフォークまで携えて準備万端。
そこまでやるか というのと、じっさいに舌に乗せてもらったら、私の気持ちが通じるはずだと思い、
とにかく、会長の表情を変えるのがいちばんの私に出来ることで、そうでなければ
数多いであろう通り一遍の表敬訪問のひとりと、あるいは商用のひとりと、
思われるより、こんな男もおる と思っていただきたくて、こころを尽くしてお会いした。
ひとまわり下だと思っていたが、昨日奥さんにその話しをしてみると、
私は巳年だが、会長は辰年ですよと教えていただき、早生まれなので同級だと話してもらった。
もう少し、会長の若い頃のお話しを聞けば良かった。
私と会長の、出会いという言葉はおこがましいが、この最初の場面を横で見ておられた、
秘書の山田奈緒美さんも、同時に出会った方で、昨日驚いたことにその場面のことを話すと、
一部始終を詳しく覚えていてくれた様子で、だから私が今回ご挨拶したいという気持ちも、よく理解してくれていたのだろう。
念願叶って、とても晴れた天気のように、すっきりした。
山田奈緒美さん、感謝しています。
ありがとうございます。
今後も変わらぬお付き合いのほど、宜しくお願い申し上げます。
サボテン
彼岸が過ぎて、ずいぶん夜が明けるのが早くなった。
春のお彼岸を迎えるのは 64 回目だと思うが、毎年そのように思うのは、
いくつになっても、身体は太陽と月の巡りを基礎にリズムを取っていることの証なのかもしれない。
画像のサボテンは、父親がどこかの夜店で買ってきたものだろうと思うが、
寒い冬だったので、未だ縮んだままになっている。
いつだったか、冬に見ると、こうして身を縮こませているので心配していたが、
暖かい季節に訪れて見てみると、ぷくっと身体全体を膨らませていたので、
ああ、夏にサボテンは成長するんだと思った事を思い出して、その思いが懐かしかった。
そして、また寒い季節に訪れてみると、やっぱり夏に膨らんだ分、縮んでいたので、
だから、彦根というこの地では、あまり大きくならないんだ思っていた。
昨日も、もう何十年この大きさなんだろうと思い、
大きくなることが成長とばかりはいえないのかなと思ってしまった。
つぼみ菜
鳴門若布の外品を醗酵させて、液肥を自分で作っておられる農家です。
当初は資材屋さんから購入されていたそうだが、それでは高くて充分に散布できないので自分で作るようになったらしい。
自分で作れば、そんなにコストがかかるものでもないので、株元に如雨露でいっぱい遣れるそうで、味にそれが出ている。
美味しい野菜はいっぱい食べてきたが、こういう上品な味が私は好きで、どれだけでも食べられそう。
それで、最近は営業に伺えば、この野菜を勧めているのだが、
先日、和歌山のバイヤーさんが、「 この野菜は袋より、カップに入れた方がいいですよ 」 と教えてくれた。
早速、そのように試作してみたら、画像のように味と同じように上品な商品になった。
春 ですね。
祝 彦根東
左は彦根城の東側の中堀。
その右が『 聖ヨゼフ幼稚園 』
私の記憶では、姉二人は『 るんびにえん 』 、兄貴は『 のりのわ 』 という、
お寺さんがやってる幼稚園に行ってたような気がする。
ところが、最後の私は教会がやってる幼稚園に入れられた。
いまでも、父親の自転車の後ろに唐突に乗せられて、
この幼稚園に入園の申し込みに来た場面を覚えている。
きっと、「 この幼稚園に通え 」と父親から説明を受けたと思うが、
そのときに、ここに通うことになるんだ、そう思ってその場面が記憶に留まったような気がする。
この幼稚園はできたばかりで、私はその第一期卒園生ということになる。
ここの園長先生は、徳川某かという家康の末裔だと父親が言っていた事も覚えている。
いま、そのお顔を思い出したら、確かに目が教科書でよく目にした家康の肖像画の目にそっくりだった。
そのように考えると、当時徳川家と縁が深かった彦根伊井のお膝元のどこかに輿入れしてきたお姫さんの、
その子供か孫程度の、遺伝子の流れなのかも知れないと想像できる。
その伊井家の藩校がこの中堀の左側にある。
どちらも私が育った家からは 10 分 程度の距離にあり、
その藩校は、明治に彦根元中になり、いつかは知らないが彦根東高校となった。
この春の選抜甲子園大会に選ばれて、去年の夏の大会に続き、出場できる事になった。
一回戦の相手校は、慶応だそうだ。
この高校は、慶応より圧倒的に早稲田に進学する人数が多いように思うが、
まあ、それはどうでもいい。
その試合が、28 日の第一試合、9:00 だと組み合わせと日程表には出ていた。
で、無理やり仕事のスケジュールを空けて、甲子園に応援に行けるようにした。
でも、春は雨が多いので、思い通り日程が進まないので、最後は天気頼みになる。
だれか、一緒に神さんに頼んでくれる人がいればうれしい。