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いつも目にする一対のサボテンがあり、お袋もそれを気に入っている。
随分大きくなった。
話しを聞いていると、嫁に来たときからあるサボテンで、
実は、そのサボテンの三代目だと言っていた。
二代目は、忘れていたが自分が欲しいといい、持ち帰ったそうだ。
まったく記憶に無かったので、そんなことは無いよと言うと、
ピシャリと「 あんた、忘れてるだけやがな 」 と言われた。
だとすると、相当前に持ち帰って、引越しを繰り返すうちに忘れてしまったのだろう。
じゃあ、一代目は何処に行ったのだろう。
姉二人のうち、どちらかが持ち去ったのかも知れないな。
母親の父親は 100 才まで生きたので、ひょっとするとこのままだったら、同じように生きるかもしれない。
夜が暑くなったので、毛布にカバーをつけて、その首元に真新しいタオルを縫いつけようとしていた。
懐かしい風景で、お袋が縫い物をしている手捌きが好きで、よく見ていて、
見入るあまり顔を近づけ過ぎて、
『 あぶないから、顔を近づけるな 』と叱られていた。
で、その新しいタオルを探しているとき、こんなタオルが出てきたのだろう。
その息子が八百屋商売を始めて、作ってお客さんに配ったタオルを久しぶりにジッと見ていたら、
その直後に、息子が目の前に現れてびっくりしただろう。
それで、「 あんたの勲章だから持って帰れ 」 と言って手渡してくれた。
もう自分は死んでいくから、機会があればそれまで大切にしてきたものを順番に子供たちに渡していく作業をしている。
いつも、「 ちょっと寄るのではなく、その目的で時間を取って来て欲しい 」と言われるが、
はい、そうですか、と取りに来ましたと行けるものでもない。
『 南風商店 』 これが最初につけた屋号で、しばらくこの名前で商売をしてた。
27 才だったから、38 年も前のタオルってことになる。
今の携帯電話の番号が、8828 なので、2282 は、まったく逆の番号になる。
昔は、母屋と離れのあいだには、もっと広い庭があり、よくそこで遊んだが、今は母屋の拡張でこんなに狭い庭になった。
そういえば、その時によく遊んだ柘榴の樹も、今はその二代目になって、大きくなっていた。
最近、親しくしていた人が、72 才になり、枯葉マークを車に貼っていた。
そうか、70 になるんだと、思っていたが、この調子なら自分も 90 まで生きられるかもしれない。
割れたようで
そんなに計算高い人間ではないので、あまり使ったことがないが、
それでも、かれこれ 30 年近く使ってきた。
先日の地震で、蝶番部分の右が割れていた。
出勤すると、壁がボロボロになっていることに目が行ったが、
机に、この計算機と衝立部分がちぎれて置かれていた。
増井さんは既に出社していたようで、あちこち倒れたり落下したものを棚に直してくれていたそうで、
このカリキュレーターも拾ってくれたのだろう。
なんとか直そうと思ったが、出来なくて諦めて、放置していた。
使ってみると、やはりカタカタと不便で、思い切って、壊れてもいいやと思い押し込んでみた。
すると、ベキッと音を立てながら、無事嵌まってくれた。
ターミナルでも倒れた食器棚に、私のガラスコップだけが割れていて、
事務所でも、他に誰も何かが壊れたという話しは聞かないが、どうして自分のだけこうなったのでろう。
なんか、身代わりになって壊れてくれたような気がして、逆に感謝しているのだが、
あれだけの揺れで、近所の屋根はブルーシートだらけなのに、よくもこの程度で済んで本当に良かった。
自宅でも、あれだけ棚から落ちたのに、壊れたものは沖縄で買った置物ひとつだけで、
これも接合部分が剥がれただけで修復可能。
前回アメリカで友達になった ERICK にも読めるように、
地震の状況を英語で書いているが、伝わるかどうかが分からないので、放棄してしまって放置している。
土付きらっきょう
『 らっきょ 』 と私は発音してきた。
でも、文字にすると『 らっきょう 』 と書くようで、不思議な気がする。
『 土付きらっきょう 』は、昨今売れないと聞いていたけれど、
そんな事はなかったようだ。
売上にして、170 万円ほどあった。
量的には、2000 kg 。
合ってるかな、特売で 780 円/kg で × 2000 = 156 万円
合ってそうだ、定番価格は 980 円なので、何人かは定価で買ってくれたということになる。
食べることを提案することはよく分かる。
でも、作ることをもっと提案すべきではないかと思ってきた。
食べる楽しみは、作る楽しみに下支えされているべきで、
その上で、食べて身体の調子が整えられて、初めて『 食文化 』 になるような気がする。
で、『 らっきょうの栄養と効能 』 と検索してみた。
そしたら、『 畑の薬と言われるほど・・・・ 』 と出てきた。
画像は、姫路のお客さんだが、先日愛知のお客さんでこの話しをしていると、
店にいる頃に、洗いらっきょうを一切店舗に並べず、土付きだけを販売していたら、お客さんから本部にまでクレームが・・
と言っていた。
『 売れるものを売る 』 事が商売の鉄則だが、これは『 売らなければいけないものを売る 』事を裏に控えている。
自然界と科学みたいなもので、科学は既にあることを理屈付けしているだけで、
順番は自然界の存在が親で、科学は子のような位置関係にすぎない。
どちらも、人間には必要なことで、面白いことに人間は科学が好きだ。
人間が『 知的好奇心 』 を失えば、生きていくことは困難になる。
だから、『 なるほどなあ 』 と喜ぶ能力を開発してきたんだと思う。
恵方巻きを無理して売らないことで話題になったが、
そのとなりで、『 恵方巻きを作る 』 事も提案してくださいとお願いしたが、
食文化の入り口は、作ることだと思い、その単位は家族にあって、
恵方巻きのように、自然界の重要な節目、つまり節分に、天の影響下で私たちが存在できることを、
たのしく意識することで、無病息災を願う行事を祝うことが、日々の暮らしに感謝しそこから離れないことを誓うこと。
この積み重ねが、文化へと発展していくのだろうと思う。
環境への配慮とは、この結果であって、家族の無病息災を願うことが土台にある。
ひと粒食べれば、百メートル走れるとグリコはキャラメルで言い、おまけまで付けてくれていたが、
らっきょうは、一日三個食べ続ければ、うん、確かに身体も心もすっきりするような気がしてきた。
それにしても、やっぱりすごい集中力というか、結集力を持っている会社だ。
今日日土付きらっきょうを 2 トンも売る、これが、企業文化なのかもしれないと、つくづく感心させられた。
解釈しないこととすること
現代の科学を定義づけるとすれば、再生産可能という言葉に行き当たる。
農業は、再生産可能である必要があるが、日常の出来事に対して再生産に何の意味があるのだろうか。
とすると言い換えれば、日常の出来事を IN PUT 出来た、つまり理解して認識できたことを、
OUT PUT に苦しんでいるようなもので、その苦しみに意味があるかどうか疑わしいという結論になる。
人を説得するときに、OUT PUT する必要があるが、これを論理的につまり再生産可能と、
従って普遍的事実として、論理を説明する必要がある。
ひとは鳥を見て、あのように自由に空を飛びたいと思った。
事実、空気力学理解して認識し、再現可能にして空を飛べるようになった。
このことに、頭脳を使った。
ところが、頭脳の無い生物は何ら説明できなくて、再現できないのかと言えば、それは否で、
植物が地中の種から発芽して、芽を地上に現すときに、決して芽の繊細な先端から地上に現すようなリスクは負わない。
ちゃんと、胴の部分の途中から、逆 U の字型に姿を現し、物理的なリスクを避けるだけではなく、
何も器官が備わっていそうに無い茎の銅の部分から、地上界の情報を取得して順応してから繊細な芽の先端を出す。
この知恵を獲得できなかった植物は、淘汰を受けたことだろう。
進化の過程でこの段階を経て来ている人類は、
頭脳が無くても出来る能力を捨てて、
空を飛ぶ努力をしてきた。
先人は、別に捨てようとして捨ては訳では無かろうが、
光と影のような関係で、光が増せば影は消えていき、光が弱まれば影が色濃く現れる。
願わくば、そこを自由に行き来できれば言う事は無い。
ひとつだけコツがある。
それは、我を消し、天のエネルギーと一体になることだ。
南魚沼市
左の真ん中あたりに、赤い屋根があり、そこにこんもり写っている樹があるが、
実は、この樹は、鎮守の一本。
この小さな氏神さんが好きで、ここらは『 雷土新田 』という地域。
イカヅチ と読む。
10年ほど前の天気のいい日、この直ぐそばの『 まきば 』 さんて、
当社にとって創業前からの最も古いお付き合いの仕入先。
当時、小学校低学年だった息子さんが、今では40才になっている。
「 士 (サムライ) よ来たれ !! 」 って檄文を書いたひとの会社。
もう一社、このエリアにはあるが、いずれも大きな会社になっている。
北海道帯広の長芋の摩り下ろしを、パック詰めしてほしいと頼みにやってきた。
「 『 吉田さん、今度はもっと儲かる仕事を持ってきてな 』と言ってくれてもいいから、今回だけは、黙ってやってね 」
と、お願いしてにこっと笑ってきた。
この程度の我が侭は許されるだろう。
ひさしぶりに、機上の景色を楽しんだ。
苦労して登った山頂から見た景色であれば、もっと感動したかも。
天空そのものにある旋律が、地上の命の隅々にまで行き渡っている。
らしい
静岡から帰ってきたら、こんな張り紙が張られていた。
まあ、落ち着いてきたら、こんな程度で済んで良かったって気持ちが湧いてきた。
どういうことだろう、何を根拠にこんな張り紙をしているのかは分からないが、
単に、近くを歩く人に、タイルが落ちてくるかも知れませんよと警告しているだけなのかも知れないが、
それはそれで、注意深く生きている人は役に立つかもしれない。
確かに、ビルの際は歩かなくなった。
それはともかくも冷静になると、近くでももっと被害が出ている家屋もあるし、
そう思うと、お皿の一枚も割れていないし、瓶物も、測定の理科室の道具も何ひとつ割れていない。
正確な震源地を見ると、本社よりむしろ青果ターミナルの方が近かった。
そういえば、ターミナルの食器棚は倒れて引き出しが壊れたと言っていた。
私のガラスコップのみ割れていた。
不思議なことに、高く積み上げている商品は、何ひとつ落下することも無く、・・・・
喜びなんて無いけど、ホッとしているというのが正直なところ。
冷静になればなるほど、そういう思いが湧いてくる。
喜びはないけど、何に対してかは分からないが、感謝している。
さて、今日は新潟まで長芋のすり卸しの商品を完成させるため、頼みごとをしに行く。
たったこれだけの商品開発だが、沢山の方に無理を言って、動いてもらっている。
2018 恋するマロン
収穫後4日目の『 恋するマロン 』
都城産。
北海度の八雲に行っても、九州の都城に行っても、熊本水俣に行っても、
地震の話しばかりで、野菜の話しより盛り上がってるかという感じ。
それゃそうだろう、震源の中心の高槻から直後に行っているのだから無理も無い。
昨日も、ガスも無く水のシャワーを浴びなければいけないのか、
疲れた身体で、7階まで階段を上がらなければいけないのか、
と思いながら、エントランスのドアを開けると、エレベーターの前に 6 階の住人が立っていた。
掲示板のガスに関する情報を探して読むと、『 供給停止 』 のままでガッカリした。
「 未だ、ガスは無理なのかなあ 」 と言うと、にっこりして「 来てますよ 」 と言ってくれた。
・・・・・
ひょっとしてと思い、エレベーターのボタンを見ると、ボタンもランプが着いていた。
・・・・・・・・
私では、彼がどうしてこれだけ美味しい南瓜を栽培できるようになったのか分からない。
種だけの問題でも無いと思うが、それでも結果がすべてで、美味しくできればいい。
地震の話しだけではなく、どこへ行っても、ジャンジャカ降りだった。
赤子でも、もうそろっと止む頃だけど。
まあ、んとか
沢山のお見舞いのメールやお電話いただき、ありがとうございました。
壁が剥がれていました。
あちこち。
会社に着くと、駐車場からビルをみっつ通り越しても、外壁のタイルが落ちていたりしていました。
やっぱりけっこう激しかったんだと思いました。
当社が入っているビルも、
階段を上がる時に、
柱の隅のクロスがひび割れていました。
すると、事務所はもっと激しかったようで、壁がいたるところで剥がれたりしていました。
中を覗くと、格子を組んで貼り付けているのかと思っていましたが、
画像のように、ぺったんぱったんと貼っているだけなんですね。
こっちの方が、手間要らずなんでしょうか、なるほどなあと思いました。
ヤマト運輸が早々と、昼過ぎには集荷の中止を言ってきた。
まあ、高速が止まっていた段階では、仕方がないかもしれないが・・・。
なんとかかんとか、日常の業務をこなし、帰宅したが、
自宅は、エレベーターが故障して止まっていた。
故障しているのか、敢えて自動で停止させ、復旧させていないのか分からない。
最上階の7階まで、階段を上る。
そういえば、草野球をしている頃、鍛えようと階段で上り下りしたが数度で止めた。
家に着いたら、散乱している後片付けをして、お湯を出そうとするとガスが止まっている。
そういえば、ガスが止まっているらしいことは言われていた。
仕方がないので、Saeco は実家へ、自分は息子のところにシャワーを借りにに行った。
夜中に、地鳴りがして揺れた。
子供の頃に、小学校の校庭で遊んでいるとき地震が来た。
その時に地鳴りを聞いたので、地面に耳をつけたらどうかと思い、耳をつけたらよく聴こえた。
今日は、道南の八雲というところまで日帰り。
電車が動いていなかったら、空港までの道路が混むので早めに出る。
朝、お風呂に入らなければ、することがない。