ごくろうさん
で、次男坊の結婚式の続き。
式を終えて、披露宴までのひととき、知らぬ間にこんな写真を撮っていたようだ。
昨日は、一日中忙しく無駄話をしているゆとりなんて無かったが、夜も更けて明日の段取りを話し終えて、
新しい取締役の猪ちゃんに、末っ子が「 結婚式だったんですよ 」 と話し始めて、それでこんな写真を見せた。
長男の左肩に移ってくれているのが、次男の嫁さんのなるこちゃん。
上手に顔を覗かせていて、シャッターを押したのが、長男の嫁のまゆみちゃんだと言う。
あまり、こどもと縁のない時期を過ごしてきたので、なんだか不思議な気がするが、
まあ、こうして並んで肩を組んでいると、四人で育ってきたんだと思える。
こういう機会を作ってくれた次男に感謝をする。
私も、写真に写っている母親も、どちらも O 型なので、四人とも当然 O 型。
私も、両親 O 型で、四人兄弟も O 型。
そんな家庭で育っているから、みんな底で繋がっていても、
そのつながりが強すぎるので、あえてそんなことを表面に出そうとはしない。
それをまた意識させたのも、母親かもしれないと思う。
そんな母親に、感謝しても仕切れないかな。
こどもの結婚式
次男坊の結婚式に、埼玉県の大宮まで出掛けた。
暑いさなかの式で、着飾ってお祝いに来てくれた皆さんに、申し訳ないほどの暑さだった。
皆さんにお礼を述べるのに、この子が生まれた夜の話しをさせてもらった。
もう三人目だから、別に慌てることも無く、待っていた訳でもなく、
「 生まれるみたい 」
「 ほな、送って行くわ 」 と、
送って行った帰りに、長女と長男と三人で帰る車で、
長男が寂しかったのか、泣きはじめた。
慰めようも無かったので、泣かせておこうと思いそのままにしていたら、
隣の長女が、「 泣きなさんな、姉ちゃんやって泣きたいの我慢してるのに 」 と一括した。
そしたら、ピタッと泣き止んだ。
まだひとつ半の長男が、こんな複雑な日本語を理解できる訳がないのに、
姉ちゃんの気迫に圧倒されたのか、それからの一週間、寂しい思いを奥にしまいこんで我慢している様子だった。
今思えば、この一括されたときに、弟ができるという本質を、
弟のために姉ちゃんのように、自分が我慢をすることだと理解と覚悟をしたのかもしれない。
その夜は、リビングに布団を運んで三人で寝た。
二人が眠った頃、ふと子供が生まれる不思議に思いが巡ってきた。
父親と母親のそれぞれの両親がいて、その両親にもまたそれぞれ両親がいて、そのように、
10 代遡ると、2 の10 乗で、1024 人にもなる。
10 代遡った時代は、江戸時代の中期の頃で、その 1024 人の子供のうち 512 人が生んだ子供の、
その中の 256 人が、またまた生んだ子供のうちの 128 人が子供を生み、その子供たちの中の 64 人から生まれた、
32 人。
そうして、16 8 4 と、ずうと繋がっていて、
それらをすべて足すと、2000 人以上のすべてひとのうち、誰が欠けても、
この子は、生まれなかったと思い始め、如何に貴重な命の流れかと思い始めた。
こんな話しをみなさんが聞きたかったかどうかは分からないが、まあ、そんなことはことはいいか。
生まれてしまえば、親の如何を問わず、子供は育つものだということも、この話しをしながら思った。
岩木神社
日本人というのは、山岳信仰の民族なのかもしれない。
もっとも、日本人が民族と言えるのかどうか不確かだが、少なくともその山岳民族の流れを汲んでいるのは確かかな。
もう、20 年近く前、初めて訪問した時、空港からの道で初めて岩木山を見た。
確かに、神の存在を見ただけで感じる美しく神々しい風貌をしていて、
一気に気分が高揚した覚えがある。
津軽りんごの斉藤農園産を訪ねた。
そのときも、翌日時間があり、どこか観光案内をしましょうと、
ねぶた館に行きますかと言われたが、それよりも道案内の看板が見えた『 三内丸山遺跡 』 に案内してもらった。
小学校の高学年か、中学生の頃に大々的に週刊誌に報じられていたことを覚えているが、
そんなところに来られるとは思ってもいなかったので、大喜びした。
青森県というところは面白いところだと思っている。
斉藤農園のりんご園から弘前の街に戻るとき、岩木山のとても綺麗に見える位置があり、
写真を撮りたかったのですが、先導してもらってたので珍しく遠慮してしまってシャッターチャンスを逃してしまいました。
こんな地域で栽培すればりんごもさぞかし美味しくなるだろうと思い通り過ぎた。
話しはあまり弾まず、やっぱり見ているところが少し違うのかなとも思いましたが、
まあ、まだまだ時間のあることだから、あせって議論になるよりいいかなと思っています。
冷凍バナナ
毎年だが、夏の間は、バナナを冷凍してたべる。
バナナを冷やすという発想は無かったが、
むかし、お昼を食べに行っていた喫茶店で、焼肉チャーハンってメニューをよく食べた。
このチャーハンに二切れほどバナナが付いていて、このバナナが甘くてヌルッとした食感が気に入って、
どうみても、そんなにこだわったバナナには思えなかったので不思議に思っていたら、
あるとき、冷たくて美味かったので、おばさんに聞いてみたら、『 冷蔵してるのよ 』 ということだった。
皮はもちろん茶色くへなへなになってしまうが、中身は美味しくなって、これはいいと思って以来、
お客さんにも、この様にお勧めしているが、これがなかなか普及しない。
もう、すっかり諦めて、我が家だけのメニューになっているが、やっぱり美味しい。
枸杞との出会いは古く、未だ物心付いたころにお袋が体調が優れないからと、
枸杞を焼酎に漬けて、枸杞酒を作り、それを飲んでいた。
クコ、クコ、と心に響く音の不思議さに囚われて、
どんなものかと思っていた。
こんな年になって、自分がそれを毎朝食べ、それを商うことになるとは思わなかったが、
美味いものは美味い。
バナナで釘が打てますよと言うが、家庭用冷蔵庫では、そこまで堅くはならない。
お盆のお肉
Saeco の実家にいる娘が、お盆に降って湧いた仕事の手伝いに来てくれて、そのままこっちに来たので、
ステーキでも食べようという話しになり、近くのお肉屋さんに買いに行った。
ミートモリタヤさんというスーパーになっているが、毎月 29 日 はお肉が安い。
なかなか、この日に買い物が当らなくて、いつも高いまま買っている。
先月だったか、たまたま 29 日が休みの日だったので、
今日は 29 日 だと思い買う気満々で行ってみると、
お肉売り場のカウンターは、ひとが集まっていた。
30% OFF で、やっぱり安かった。
このスーパーは、京都のモリタヤさんの親戚で、
モリタヤさんは、森田屋という黒牛も飼っているし売ってもいるくらいだから、
安く売っても、あまり差し支えないのかもしれない。
さてこの日は、切ったサーロインがもう 2 枚しかなく、
冷蔵庫に持っていそうだったが、その隣のミスジって部位も美味しそうに見えたので、
サーロインを 2 枚とミスジを 2 枚買ってみた。
どうも、ミスジって名前を気に入っている。
食べてみると、やっぱりサーロインの方が美味い。
ミスジなら、ヒレの方が合うかもしれないと思いながら食べた。
そのうち、サーロインよりヒレの方が美味しく感じるようになるのかもしれないが、
もう、どっちにしてもそんなに食べられない。
100g 食べられれば、もう箸が伸びなくなってしまう。
A5 だとは言うけれど、A5 もピンキリかな。
こんなものまで品定めを出来るようになってきた自分が情けない。
ローザビアンカ
誰が作っても、こんなに美味しくなるとは思わないが、
不思議な家族が作っている農場から贈られてきた。
ごちそうになりました。
会社の女の人に大人気で、久しぶりに送られてきた品物に人だかりができた。
この農場は、なんでも自社で開発してしまう自然食品屋さんで、
開発してしまうといっても、単なる儲けようとか、何でも自社ブランドでやろうとか、
そんなことじゃなくて、ちゃんと政策がある。
原材料だけではなく、どこからかイメージが先にやってきて、
ありきたりな既製品にある材料を上質の品物に置き換えるだけということより、
材料の枠を大胆に置き換えて、もっとチカラのある原材料を集めて、磁力に代表されるような、
有機物だけじゃなくて、鉱物迄に及び、そこここにあるエネルギーを生活に取り入れようとするかの如き商品開発をしている。
代表的な製品は、エリクサーという活水器だが、この活水器が我が家にやってきた過程も面白かった。
事業が札幌でしているので、その取り付けは大阪近郊の設備業者に出されているのだが、
その業者さんが取り付けに来るに当り、何を勘違いしているのか、『 駐車場を確保しておけ 』 と、
命令口調で言ってきて、何を馬鹿なことを言ってるんだ、二度と電話をしてくるなと怒りかえして、
それで、この製品の担当だという取締役に、かくかくしかじか、と説明したが、その業者に任せているので・・・・
と、つれない返答しかなかった。
20 万円ほどする製品だが、水の気が良くなるという振れ込みなのに、これじゃ良くなる訳が無いと思い、
仕方がないので、飾っておくことにした。
そのことを、買った常務に言うと、分かりましたと言い、
しばらくしてから、わざわざ大阪に仕事を作って、それを出張のネタにして、
高槻の我が家にまで、常務じきじきに取り付けに来てくれた。
この活水器は、使えば使うほどエネルギーを発揮し、おかげで何を料理しても、それ以上の味になる。
一事が万事で、すべてこの調子の付き合いで、
あるとき、顧問が 70 才を期に、退職して仁木町に農場を買って、
社長と次男の家族を呼び寄せて、農場を始めちゃった。
前々から、この女性のことは聞かされていたので、私は興味が湧いて、それならと、
またまた無理を言って、その農場に案内を乞うた。
初めて、実はまったく初めてではないのだが、
農場で初めて会ったとき、彼女のお腹から、ソフトボールくらいの大きさのエネルギーの塊が出てきて、
それが、私のお腹に入ってきた。
いや、待てよ、と思ったが、その塊はしばらく消えることが無く、
そのままにしていると、私のお腹から身体全体に染み渡っていき薄まっていった。
いろんな不思議な対面はしてきたが、こういうことは初めてで、何かを話しかけてきていたが上の空だった。
それで、全作物を見てまわる間、その方は傍で私の話しに耳を傾けてくれていたが、
このローザビアンカが目に入ったときは、驚いて、すぐさまこの野菜を取り扱いたいと言ったが、
広い農場の割には、卸会社に卸す事など念頭には無い農場なので、諦めていた。
訳の分からない醤油で、でも使っているうちにこの醤油の美味しさから離れられなくて、
この醤油が我が家の定番醤油になり、無くなると送ってもらっているが、
先日、買ったばかりなのに、またお中元に贈ってくれて、
そのお礼も言わぬ間に、『 明日、吉田さんがおもろしいと思うものが届きますから、楽しみにしていて下さい 』 と、
連絡があった。
その通り、なにか楽しみにしていると、
うちの田中さんの桃の箱をひっくり返して、組み立てた箱に、画像のように茄子が届いた。
きょうは、そこからその醤油とミソと塩が届いており、ヤマダストアーさんに営業することになった。
エリクサーを取り付けにきてくれた常務を、ヤマダストアーさんに御案内したことがあるので、
彼は、あの店に何かを感じていて、なにかつながりを持とうとしているのかもしれない。
さて、未だお若いからどこまで自覚があるか定かではないが、
結果ではなく、線は張る必要があるので、
線をつなぐことにはしているが、あとは風次第と風任せにすることにしよう。
今日のパン
シナモンロールというが、この手のパンで何を食べるかというと、
あとは、メロンパンとあんぱん。
子供の頃は、何ていうんだっけかな、
コルネ だ。
うちでパンを普通に焼くようになって、
本当に美味しいパンを食べられるようになった。
こんなに美味いパンを食べると、みんなに食べてもらいたいという気持ちが強くなってきた。
いつの頃からだったか覚えていないが、
何処に行っても、材料が気になるようになって、結局外ではコストを考えなければ、
美味しいものにありつけることは分かって来た。
外で食べて、別次元の味は、心斎橋の大丸だったか、もう少し南の方の高島屋だったか、
ブランド物が並んでいるエリアにイギリスの紅茶屋が入っていて、そこのケーキが今まで食べたことが無かった味だった。
家では、エシレバターのおかげだってことになっている。
ぷっかけ素麺
夏の風物詩と言えば、てんぷら素麺だった。
これが、若い頃に仲間にすこぶる評判だった。
それが高じれば、ナスの田楽とそうめんを食べる。
ところが、いまの嫁は具沢山の素麺を作る。
つゆに、キュウリや錦糸卵を入れて、生姜や大葉も入れて、のりをかけて、それで食べる。
これっ、意外と美味いけど面倒くさい。
しごとで遅くなった息子が帰ってきて、ひとりでこのメニューを食べるときに、
気持ちはよく分かる面倒さで、どんぶり鉢にバサッと全てを入れて、食べていたのを発見。
以来、そうして食べるようになった。
上から見るとこんな感じ。
最近追加しているのが、オクラ。
これがまた美味しい。
かごしま有機生産組合のオクラ。
ここの野菜は美味しいが、あまり商売にならない。
惜しいと思うが、組織が大きすぎてなかなか方向を変えられない。
小豆島に行くつもりだったが、二日間どうしても仕事を避けられなくて、ことしもがっかりしながら断念。