過去の記事
昨日、ことしの3月のひと月間を誰かが読んでくれてたようだ。
このブログは、誰がは分からないが、誰かが読んでくれた記事は、日々分かるようになっている。
それで、何を書いていたか、自分でも開いてみたら、
代わる様相というタイトルで以下を書いていた。
10年あまりで、3000余の記事を書いてきて、初めて過去の記事をそのまま貼りつけようと思った。
様相が代わる時が来た。
だけど、真っ当に行きてるひとは何も心配する事は無い。
真っ当になるだけの事だから。
そもそも人間は脳でできていて、脳は電気信号で出来ている。
電気信号は実態があるのだが、感じる事はできても誰も見ることは出来ない。
だから、ややこしくなるし、楽しいという事でもある。
縦×横 何cmかの紙に刷られた印刷物に実態としての価値は何も無いのに、
それが、寒さを凌いでくれる Moncler のダウンジャケットに換わったりする。
この額になると、その紙すら必要なく、電子的な数値があるという信頼で換わる。
生んでくれた母親や父親は、実際に生んでくれたかどうかは別にして、この人たちから生まれたんだと信じている。
これは、個有の信じている事だが、個人と個人の信用を超えてそういうものだと実態からかけ離れたところで、
価値はドンドン倍増してきたから、ある意味経済は発展してきた。
でも、それは永続的に発展すると信じられることが前提になってきたが、
とうとう、その価値は永遠に発展するという事は無いのだということが誰の目にも明らかになってきた。
誰の目にも明らかになるという事は、集団幻想が成立しなくなることを指しているので、
人間も含む自然界が生み出した物事だけが価値があるものだというところに立ち返る。
価値が上がると信じる事で成り立ってきた経済は、本当に上がるのかと思った瞬間に価値が下がる。
こういうときは、もっともベーシックなところに、つまり実態のある物事に帰順していく。
そんな風に考えて、変える事の出来ない自然の摂理から来る原理に支えられた法則を深く反映するところで、
今の事業を展開している。
来月の中旬に、スーパーマーケット事業関連の企業が150社くらい集まるセミナーで、
青果事業について、今後の青果売り場の行き末の対策を我が社が発表をする。
それは、こういう時代に代わっていくから、このように対応して、
スーパーマーケットを中心に地域社会の暮らしを立てていこうという提案を書こうと、
最終形は失ってしまったが、最初のデザインページを画像に撮っていたのを思い出した。
秋のお彼岸
秋の彼岸。
今年は、お萩はおあずけかな。
金曜日の朝に、寝ぼけたままトイレに行って、左手でドアの取っ手を引き、右手で便器の蓋を開けようとしたとき、
腰の左から、背中にかけて斜めに、痛みが走った。
トイレと洗面所は、要注意というか、腰を傷める頻度が高いのに、
随意筋と不随意筋というが、本人の意思とは係わりなく動く筋肉がある限り、このように不注意と、
あとから、思うことが発生する。
普段から余程、継続的に言い聞かせておかないと、防ぐ事はできない。
防ぐ事は出来ないが、発生の頻度は低く抑えられるということになる。
暑さ、寒さも、彼岸までと、まったく昔の人は上手に教えてくれているが、
ことしほど、どっぷりクーラーで冷やし続けて過した夏は無かった。
ひとつには、鼻炎が今までのようにひどくなくなってきた事もあるが、
そうじゃなければ、暑さと鼻炎の葛藤を繰り返す、どうしろというのだという状態に陥っていただろう。
これだけ、あちこち行く必要のある仕事で、若いときに遊んできたから、キリギリスのように、
今頃になって、寒さに震えながら仕事をする順番がまわって来ているにもかかわらず、
薬膳のおかげで、思いのほか、元気に過させてもらっている。
腰が立たなくなって、這っていかなければいけないような状態の金曜日を過し、
上手い具合に、土曜日から三連休で、家で仕事ができる地球の回りで、
朝から、1時間ほど畳の上に仰向けに、寝転がって、腰と相談しながら気を巡らせ、
なんとか、立って歩ける様にまで、回復させることが出来て、
いつもの体操は、ある箇所で音を立てて、動くその箇所が、壊れるのではないかと思うほど、
強烈な抵抗と、大きな2段階の音を立てて、動いて、ああなるほどと、絶望の淵をかろうじて踏みとどまっている。
3年でも5年でもなんて贅沢は言わない、1年でも2年でも長く生きていられるように、
その時が来たらもちろん足掻く事無く、あっさりと諦めるけど、その前に意識して努力も必要かと思う。
世の中も変わるけど、それ以上に自分が変わっていく。
決して、変わっていく世の中の傍観者ではいられないので、うごがせて行く方に回りたい。
Pebble
Oregon Welches にお邪魔したとき、庭の 大きな切り株の上に置かれていた小石を頂いてきた。
小石を英語訳すると、Pebble と言うそうだ。
山の奥深くを通っている、一昨日の ルート26 を更に東に進むと、この地域がある。
近くをこんな川が流れている。
Mt. Hood から出て、コロンビア川に流れていく川の途中で、
川の水に洗われていたこの小石を、誰かが川から拾ってきて、僕の手元にやって来た。
この石の語る内容を探ってみたい。
だって、小石にも記憶力があるに違いない。
ところで、過去を尋ねて自分の仕事を表現するセリフの記述を探してみた。
道教の宇宙観が詰まった世界を、その摂理に従って編み出した栽培方法で、作ったじゃが芋を、
芸術の域にまで高める完璧な美しさで商品化し、
Community & Friend =自利利他= で、その暮らし実現の方法論を提示していく。
こんなセリフが出てきた。
今年の6月だったか、上海セミナーに参加したときのレポートを締めくくったセリフだった。
川底の小石のような者の言う事ではないかな。
野菜のデザイン
前回、知り合った Lane って女性。
イタリア系だと言っていた。
グローバル企業による世界の農業支配から独立した農業を営む必要があり、
その部分の【 種 】 について開発している女性だという内容で、
単に在来種と言うだけではなく、その在来種を Organic で味・収量が良くなるように研究・開発をしている。
その女性に今回、もう一度会って、日本でも同様の活躍をしてもらいたいと思い、話しをしてみた。
さりとて、すぐに具体的に何かをできる訳では無いが・・・・
とりあえず、関係を絶やさないために、彼女たちが関係しているグループのデザイナーの作品を見せてもらった。
野菜が生きているように見えるインパクトは素晴らしいものがあると思った。
Avant Garde な作品が多いけれど、少し抑え目の作品を気に入っている。
アバンギャルド って少し気になり調べてみたら、フランス語で軍の前衛が語源になっていると出てきた。
如何にも、戦うことが好きなフランスらしく、芸術の世界にもその戦いのイメージを持ってきてる。
戦うことが好きというか、負けず嫌いというか、まあフランスのイメージはそういう事を感じていて、
何処の国のお家事情も、愉快というか、頼もしいというか、こういうセンスは嫌いじゃない。
ひとはどこかに現状と戦う姿勢を持っていないとつまらないと思ってしまう。
来年の2月に三たびスーパーマーケットトレードショーに出るので、
そのときのポスターのメインデザインをしてもらうことにしようと考えている。
こんなカーテンの部屋があれば、楽しそうだ。
プロバンス辺りで、こんなワンピースを着た女性が歩いていれば、惚れてしまいそう。
ポスターのデザインというより、生地のデザインに見える。
楽しみながら、地域の暮らしを一緒に作っていく面白さは、何事にも変え難くなってきた。